第7話 ゲーム開始 1
『待ちに待った』という言葉があるけれど、今のアタシほどこの言葉を使うのにふさわしい人はそうそういないのではないのだろうか。何せ今日という日を、十年前から心待ちにしていたのだから。
そう、今日アタシ達は、桜崎学園高等部へ入学したのだ。指定されたクラスに行き、入学式も先生の話も終わったからもう家に帰っても良いのだけれど。アタシは席に着いたまま、今日起きた出来事を思い返しては顔をほころばせていた。
中等部にいた時から高等部の校舎を見ては気持ちを高ぶらせていたけど、今朝高等部の正門を潜った時は、感激のあまりそのまま気絶しかけたほどだ。
だって夢にまで見たあな恋の舞台だよ。映画のロケ地やアニメの舞台のモデルとなった聖地に足を運んだのと同じ、ファンなら誰だって感激するでしょう。だから思わず天を仰いで涙を流し、その場で膝をつき、隣を歩いていた壮一が何事かと声をかけてきたけど、これってきっとファンのあるあるだよね。
その後も下駄箱や体育館等、あな恋で何度も目にした場所へ行くたびに、言いようのない感動に心を震わせた。
今はもう放課後だけど、結局今日は朝から、休むことなく感動が押し寄せて来ていたなあ。だって見るもの全てがあな恋で出てきた場所で、今日からここに通えるんだもの。当然だよね。
今いる教室だってそう、ここで旭様達が勉学に励んでいたかと思うと、それはもう――
「どうしたの旭、帰らないの?」
いつの間にかアタシの席までやって来た壮一が、あな恋の空気を吸おうと深呼吸をしているアタシを見てギョッとしている。
「何だか今朝から様子がおかしいけど、大丈夫なの?ダメだよそんな深呼吸なんてしたら。さっきもやりすぎて過呼吸起こしたばかりじゃない」
心配そうに見つめる壮一。確かにそれに関しては返す言葉も無いし。入学式が始まる前に過呼吸を起したアタシは、そのまま保健室に運ばれたのだった。
「あの時はゴメンね。危うく入学式に出られなくなるところだったわ」
「俺のことはいいよ。それより、今日は早く休んだ方がいいね。さっさと帰ろう、鞄持つよ」
そう言って机の横にかけていたアタシの鞄を手に取る。こういう何気ない気づかいが良いのよねえ、女の子ならついときめいちゃうわ。って、ちょっと待って。
「帰っちゃダメ!」
思わず椅子から立ち上がって声を上げる。あまりに声が大きかったため壮一だけでなく、クラスに残っていた生徒が皆こっちに注目したけれど、そんなことは気にしていられない。
「どうしたの?何か用事でもある?」
「あるわよ。だって部活、部活動見学があるじゃない。見に行かないと」
「部活動見学?ああ、そういえばもう、学校のあちこちでパフォーマンスをやってるみたいだね、まだ入学式が終わったばかりだっていうのに。だけど部活の紹介なら、後日大規模なものがあるみたいだから、その時で良いんじゃないの?今日は早く帰って休んで……」
「行くの!だって今日でなきゃ意味が無いんだもの!」
当然だけど、壮一はどうしてアタシがこんなに拘っているのか分からない様子。実はあな恋では入学式の今日、部活動見学をしている琴音ちゃんが旭様や壮一と出会って、輝かしい歴史の第一歩を踏み出すことになっているのだ。それなのにここで帰ってしまっては、出会いが無くなってしまうじゃないか。
「と言うわけで、行くわよ壮一」
「どう言うわけ?今日行く事にいったいどんな意味があるのさ?」
アタシは質問に答えないまま、壮一が持ってくれていた鞄を奪うと、ズカズカと歩き始める。
慌てて後ろを追いかけてくる壮一が「本当に大丈夫?」「無理はしちゃダメだから」と優しい言葉を掛けて来てくれるけど、元々保健室に運ばれたのだって体調が悪かったからでなく、ちょっと興奮しすぎちゃっただけだ。何の問題も無い。
しかし意気揚々と教室を出ようとするアタシの耳に、教室に残っていた女子の会話が飛び込んできた。
「何なのあの子?さっきから大声を出したり大股で歩いたり。はしたない」
「一緒にいるのって、風見壮一くんよね。新入生代表挨拶をしていた。どうしてあんな子と一緒にいるのかしら?」
聞こえてきた言葉に、胸がチクリと痛む。
またやってしまった。実はアタシは時々、お嬢様らしかぬ言動をしては周りから変な目で見られることがあるのだ。
どう思われようが関係無い、アタシはアタシのやりたいようにやる……なんて考えられれば良かったのだけど、今のアタシはあの旭様なのだ。もちろん本家旭様は、こんなアホな陰口を叩かれたりはしない。
常に優雅で、見るものを惹きつける。さっきの子達が、壮一が新入生代表挨拶をしていたと言っていたけど、本当ならそれをするのも旭様だった。だけど生憎、アタシはそんな頭がいいわけじゃないから、今世では代表の挨拶は壮一が任されたのだ。
旭様の顔に泥を塗ってはいけないって分かっているのに、これではあまりに申し訳ない。
気落ちしていると、更に話し声が聞こえてくる。
「ちょっと、マズいって。あの子、春乃宮旭さんだよ。あの春乃宮家の御令嬢の」
「え、アレが?何かイメージと違う……ひっ」
会話が気になって振り向くと、ちょうど話していた中の一人と目が合い、悲鳴を上げられてしまった。春乃宮家は日本屈指の名家だから、大方アタシの機嫌を損ねたら酷い目に遭うとでも思ったのだろう。心配しなくても、そんな意地悪なんてしないのに。
でも、はしたないとかイメージと違うとか言われたのはちょっとショックだなあ。
足を止めて沈んでいると、そんなアタシの肩を壮一がポンと叩いてくる。
「行くのなら早く行こう。部活動紹介、始まっちゃうよ」
「う、うん」
急かされるまま、再び歩き出すアタシ。
壮一は何事も無かったような顔をしているけど、さっきの子達の話は聞こえていなかったのだろうか。そう思った時……
「旭は旭のままで良いから」
アタシにだけ聞こえるような小さな、だけどどこか力強い声でそう言ってきた。
「俺は、今の旭が好きだ」
「壮一……」
一瞬だけアタシの方を見て、柔らかな笑みを浮かべる壮一。すぐに何事も無かったようにポーカーフェイスに戻ったけど、アタシはその一瞬の笑みが、かけられた言葉がとても嬉しかった。
言いようのない感動が溢れる。壮一の事がとても愛おしく思えてきて、思わず両手を彼の腕に巻き付け、そのまま体をくっつかせる。
「壮一っ!」
「うわっ、ちょっと、旭!」
「アタシも、壮一のこと大好きだよっ」
ああ、やっぱり壮一は最高だ。アタシは旭様みたいに何ができると言うわけでは無いけれど、少しでも彼に恩を返したい。そのためには……
(待っててね壮一、今すぐ琴音ちゃんと合わせてあげるから。将来壮一のお嫁さんになる人と!)
あな恋では二人の結婚式のシーンなんて無かったけれど、ゲーム終了後を描いた同人誌では、スーツを着た壮一と、純白のウエディングドレスに身を包んだ琴音ちゃんの姿が描かれていたっけ。あれを、現実のものにするのだ。
決意を胸に、アタシは歩を進める。琴音ちゃんとの出会いを求め、意気揚々と部室棟へと向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます