第3話 事情を知る者 1
広々とした室内にはいかにも高そうなベッドや、高級な机などが並んでいる。壁紙や照明を見ると、これまた一般庶民には手が届かないほど高価な物だという事が、素人目でもよく分かる。これらを見ているとつい、自分の家だというのに、お金ってある所にはあるんだなって思ってしまう。
今でもたまに、ここがアタシの部屋だという事が信じられなくなる事がある。たぶんだけど、前世のアタシは庶民中の庶民。きっとこんな豪華な部屋には一生は入れないような生活を送っていたに違いない。もし何かの間違いでここに放り込まれたとしても、きっと物を壊したり汚したりするのが怖くて、隅っこで縮こまっていただろう。
しかし春乃宮家は日本でも有数の名家。その本家の一人娘の部屋となると、これくらい豪華な作りになってしまうのもうなずける。
そんな高級品に溢れた室内で、アタシは今日届いたばかりの高校の制服に袖を通していた。
緑を基調としたブレザーに赤いリボン。姿見の前に立ったアタシは自分の姿を見ながら、あな恋の旭様の事を思い出す。
「旭様はスカートじゃなくて、ズボンを履いていたのになあ」
その事を思うと、とたんに眉が下がる。
性別が違うのだから、制服が違っているのも当然だけど、あの美しかった旭様の制服姿をこの世界では拝めないのかと思うと、やはり寂しくなってしまう。
アタシが旭様のポジションにいる。という事は必然的に、あの優しく優雅で完璧超人だった旭様は、この世界にはいないという事だ。
せっかくあな恋の世界に転生したと言うのに、最も崇拝していた旭様には、どうやっても会うことが出来ない。しかもその原因はアタシが居場所を奪ってしまったため。最初それに気づいた時はショックだった。
おまけにアタシは、頭も運動も並と言う低スペック。それに顔だって、不美人とは言わないけれど、とりわけ目立つほどでもない。何て言うか、地味顔だ。
これじゃ麗しの旭様とは似ても似つかない。スチルになったって全然栄えない。こんなのが旭様の代わりにこの世界に存在しているなんて。
何てことをしてしまったのだろう。この重すぎる罪を償うため、腹でも切ろうかと本気で思ったほどだ。しかし幼い頃の私は、厨房に包丁を借りに行こうとしたところで思い止まった。
旭様は決して、ご自身の腹を切るようなお方ではない。なのにそのポジションにいるアタシがそれをしてしまっては、旭様の顔に泥を塗る行為に他ならないのではないか。それはマズい、マズすぎる!
てなわけで考えを改めたアタシは、それから自分がどうするべきかを真剣に考えた。ここがあな恋の世界なら、高校生になったらヒロインの琴音ちゃんとだって会えるはずだ。本来のあな恋なら迷わず旭様エンドを目指して琴音ちゃんと仲良くなろうとするところだけど、生憎アタシも琴音ちゃんも女の子。百合展開は望んでないのよね。
だけどせっかくこうして転生したのだから、何もしないというのは勿体無さすぎる。何か、何かこの状況を生かして美味しい想いをする方法はないだろうか。
そうして悩む日々が続いたある日の事、幼馴染である壮一が心配そうに声をかけてくれたのだ。
「旭、最近悩んでいるみたいだけど、何かあったの?俺で良ければ相談に乗るけど」
そう優し気に言われた瞬間、アタシの方針は決まった。どんな手を使ってでも、壮一と琴音ちゃんをくっつけよう、と。
これはなにも、旭様がいないから代わりに二番手の壮一に琴音ちゃんを譲ろうという、そんな単純な考えではない。
風見家は代々春乃宮家に仕えてきたお家。その風見家の長男である壮一もまた、物心をつく前からアタシと共に過ごし、熱い友情を共に育んできた。
私はあな恋の記憶を取り戻す以前から、壮一の事が好きだった。あ、恋愛的な意味じゃなくて、友情的な意味でね。ゲームでは旭様と壮一も親友だったけど、今世の私達だって幼いころから何をするのも一緒で、本家に劣らない固い友情で結ばれてるって信じているのだ。
で、そんな親友の壮一だからこそ、ぜひとも琴音ちゃんとくっついてハッピーエンドを迎えてほしいって思ってる。本家あな恋で壮一と美しい友情を見せつけてくれていた旭様だって、この状況ならきっとそれを望むに違いないしね。
高等部に上がれば琴音ちゃんが入学してきて、アタシはなんとしてでも二人をくっつける。そして壮一と琴音ちゃんのキャッキャウフフな様子を、誰よりも近くで堪能してやるんだ。
その時の事を考えると、思わず笑いが込み上げてくる。
「ふふふふふふ……」
恋に落ちる壮一と琴音ちゃんがもうすぐ見られる。ああ、その日を一体どれだけ待ち望んできたか。
「フハハハハハハハハハハ」
ゲームで幾度となく目にしていた光景だけど。まさか3Dで見られるだなんて。これ以上の幸運なんて、おそらく今後何回生まれ変わっても訪れないだろう。
「ぐわっはっはっはっはっは……」
この幸運を神様に感謝しながら、声高々に笑っていると。
「アサ姉、いい加減その不気味な笑い辞めなよ。コエーから」
突如聞こえた声にハッと振り返ると、そこにはやや小柄でサラサラの髪をした、一人の男の子が立っていた。
「ちょっと
「したよ何度も。けど返事が無かったから、入らせてもらったよ。大口開けて笑うのに夢中になってて、気づかなかったんだろうねきっと」
慌てて口を手で押さえる。怖いとか大口を開けるとか、そんなはしたない笑い方してた?失礼しちゃうなあ。
「部屋の中だからって、少しは慎ましくした方が良いよ。俺は見慣れてるけど、大抵の人はそれ見たら引くから」
大袈裟なことを言ってため息をついている、幼さの残るこの子は、
名門春乃宮家の分家に当たる日乃﨑家。そこの長男である空太はアタシの事をアサ姉、壮一の事をソウ兄と呼んでは、昔からアタシ達の後をトコトコついて来ていた、弟みたいな子だ。最近はちょっと生意気な所も出てきたけど、これはこれで可愛いからまあ良いか。
「ソウ兄がお茶の用意が出来たって言うから呼びに来たんだけど、不気味に笑っているんだもの。ビックリしたよ」
「だからそんなに気味悪くないって。ところで今日は何の用?来る約束なんてしてたっけ?」
「いいや、アポなし。ちょっとソウ兄に電話してたら、アサ姉が高校の制服が届いて喜んでるって聞いたから。少し様子を見に」
「おおっ、お姉ちゃんの制服姿が見たかったんだね。可愛いところあるじゃない」
普段は生意気ばっかり言ってるけど、こういう所は昔から変わらないなあ。ヨシ、お姉ちゃんが頭を撫でてあげよう。そう思って手を伸ばしたんだけど。
「何勘違いしてるの?俺はただ、アサ姉がまた奇行に走っていないかと思って見に来ただけだから」
伸ばした手を払って、辛辣な言葉をぶつけてくる。奇行って、何を言い出すかなこの子は?
「アタシがいつ奇行に走ったって言うの?」
「たった今悪魔のような笑い声をあげてたのをもう忘れたの?まあアサ姉の事だから、どうせまた例の……ええと、何だっけ?アナ雪……あな声……」
「あな恋!」
「そうそれ。そいつの事でも考えていたんでしょ。前世で大ハマリしたっていう乙女ゲームだっけ?」
ようやく思い出してくれたかと思うと、再度深くため息をつく空太。何もそんなに呆れなくたっていいじゃん。
だけど呆れられるのは嫌だけど、堂々とあな恋の話ができると言うのは嬉しいかな。
思えばアタシにとって空太は、ある種特別な存在と言える。何せアタシの前世の事情やここがあな恋の世界だという事を知っていて、気兼ね無しにその事について話ができる、唯一の男の子なのだから。
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