第十七章・知られた真実
山仲医院から兄さんは退院することとなった。山仲医院のふるびれた建物の前には、僕と雄子だけでなく、大樹夫婦と母さんの五人が出迎えていた。入り口には兄さんが立っていた。義理の両親と産みの母親から、ねぎらいの言葉と言うよりも、危険な目にあったことに対する批判が集中する中、兄さんはずっと頭をかいて困ったような表情で笑っていた。僕はその様子をただ微笑んで見ていた。
「礼子」
雄子の突然の声が聞こえた。全員が医院の敷地の外、歩道の上に立つ二人の男女に気がついた。それは、兄さんの義理の兄弟の、次郎と礼子ちゃんの二人であった。
礼子ちゃんの斜め後ろに立っている、大樹次郎は、大樹夫婦の本来の長男であり、次男となっている少年だった。中学二年生で、真面目な秀才タイプの少年。無表情に立っている次郎君と違って礼子ちゃんは、兄さんたちを睨んでいるかのように見つめていた。
「あ、ああ、次郎に礼子じゃないか、なんだ、お前らわざわざ来てくれたのか」
「兄ちゃんは幸せ者だね、お向かいに住んでる他人の、双山一家にまで出迎えられて」
「な、なんだよ、妙にとげのある言い方だな」
「あ、あのね礼子ちゃん、私はたまたまこれからオフで、和也と雄子と一緒に食事に行こうとしていただけなのよ。さっきまで仕事していたのよ」
母さんのしどろもどろな返答が、さらに怪しまれるのではないかと僕は思った。
「ねぇ兄ちゃん、血液型RHマイナスのO型なんだって?和也さんと同じだね」
「か、和也と同じなんだ、ハハハ、奇遇なこともあるものだな」
「うん奇遇だね、うちの両親AとBなのにね」
「な、何が言いたいんだよさっきから」
兄さんは少しいらだっているようだった。明らかに礼子ちゃんは、兄さんが実の兄ではないことを疑っているように見えた。
「あのとき兄ちゃんが刺されて救急車に乗ったときに、和也さんがとっさに今の血液型を言ったとき、おかしいと思ったんだよね」
「A型とB型の両親からO型の子供は産まれないってか」
「そうよ、どう考えたっておかしいじゃない、何で血液型が違うのよ」
それから沈黙が流れた。全員なんとかごまかす方法を考えていることは明白だった。大きな体をした筋骨隆々の太郎さんの背中が小さく見えた。額に尋常じゃないほどの汗が流れ出ていた。その横で花子さんはチラチラ兄さんと太郎の顔を伺いながら、太郎さんの腕を引っ張っていた。おそらくなんか言えという合図だったのだろうが、太郎さんは微動だにしていなかった。反対側で母さんがうつむいていた。少し体が震えているように見えた。雄子はその横で母さんを支えるように腕をつかんで礼子ちゃんをじっと見つめていた。僕はというと、そんな家族の様子を見ながら、横に立つ兄さんの表情を伺っていた。兄さんの表情は苦虫をかみつぶしたような、険しい表情になっていた。体はこうちゃくして、瞬きも忘れて、礼子をじっと見つめているようだった。
しばらく沈黙が続いたが、兄さんが目をつぶり、息を吐いてから目を開けて告げた。
「バレちゃあしかたないな。親父、ちゃんと言った方がいいんじゃないか、俺が親父の連れ子だったって」
全員が驚いて兄さんを見た。もちろん連れ子なんて言うのはとっさについた嘘だった。
「兄ちゃん、父さん、本当ですか」
ずっと事の成り行きを見守っていた次郎君が、驚いたようにつぶやいた。
「ああ、本当さ。俺も驚いたぜ、まさかおふくろと血が繋がっていないとはねぇ」
「あ、ああ、だから血液型もおかしな事になっていたんだ。俺の前妻はO型だったから」
今度は太郎さんがしどろもどろに応えた。すると、礼子ちゃんが後ろ手にしていた両手を出しながら告げた。
「へぇー、連れ子の場合でも養子って明記されるんだ、お父さんの実子じゃなく」
その手に握られたものは、住民票と母子手帳の二つだった。誰もが目を見開き口をつぐんでしまった。
「次郎兄ちゃんから聞いたんだけど、こないだ兄ちゃんが宝塚の病院に入院したって連絡もらったときに、お母さんが保険証と一緒に何か持って行くのが見えたって言ってた。すぐに母子手帳だってわかったわ。それで古い母子手帳探し出したの。そこにも兄ちゃんの血液型がO型ってなっていた。そして、次郎兄ちゃんに頼んで住民票を取りに行ってもらったの。それと、うちの実のおばあちゃんに聞いたよ、お父さんもお母さんも初婚だってね」
全員が生唾を飲み込んで呆然と立ち尽くすしかなかった。礼子ちゃんは昔から頭の切れるところがあり、事件もののドラマではいつも真っ先に犯人を言い当てたり、ある探偵アニメでの仕掛け等を見極めることがたびたびあるほどだった。そのため兄さんも大樹夫婦も、僕たちのことを知った後の雄子も、礼子ちゃんにだけは悟られないようにと、十分に注意していた。
そのため、あの救急車で血液型を言ったときに、僕は少し不安に思っていた。しかし、雄子に「大丈夫」と言われていたことで安心しきっていた。礼子ちゃんに感づかれていないのではないかと思ってしまったし、何よりそれどころではなかった。
しかし、礼子ちゃんは感づいていた。しかも用心深い彼女のこと、雄子にも知られないように兄さんのことを調べていたのだった。
「嘘つき」
礼子ちゃんが短くそうつぶやいた。兄さんが声をかけようと体を動かしたとき、礼子ちゃんが叫んだ。
「お父さんもお母さんも、みんなみんな大っ嫌いよ」
礼子ちゃんは泣いていた。泣き叫んでいた。後ろにいた次郎君が心配そうに礼子ちゃんの隣に立って見守っていた。
「礼子、悪かったよ。お前と次郎をだますようなことをしてしまって。けど、親父たちを責めないでくれるか」
「言い訳なんか聞きたくないっ」
「じゃあどうしろって言うのよ」
ずっと事の成り行きを見守っていた雄子が急に礼子ちゃんに毒ついた。
「どうって、そんなの雄子には関係ないでしょ」
「関係あるよ、ねぇ礼子、ちゃんとおばさんたちの話を聞いてあげて」
「嫌よ、どうせまた嘘ついてごまかそうとするだけじゃない」
「そんなことないよ、ちゃんと話しあえばわかることだから」
「うるさいなぁ、雄子には私の気持ちなんかわかんないのよ、突然身内に他人がいたって知った人間の気持ちなんか」
「よせっ礼子っ」
兄さんが呼びかけるのと同時に、雄子が声を荒げて礼子ちゃんに怒鳴った。
「そんな気持ちがなんだって言うのよ」
「なんですってぇ」
雄子と礼子ちゃんが言い合いしそうになったので、慌てて兄さんが止めた。
「おい、よさないか。礼子、俺はあの家を出て行く。だから、それで親父たちを許してくれ」
兄さんの突然の提案に誰もが驚いた。母さんが、出て行ってどうするのか聞くと、双山の家に戻るだけだと兄さんは言った。
「俺のことで礼子が親父たちを嫌うのも嫌だし、何より雄子と礼子までけんかするのは見てられない。まぁちょうどいい機会だったのかもな、いずれ戻るつもりでいたんだ。それが早まっただけさ」
そう言って兄さんは歩き去った。いつもは背が高くて大きな背中が、この日は小さく見えた。その後を雄子と母さんが追いかけていった。僕は、礼子ちゃんを見ずに、「雄子は、誰とも血が繋がっていないんだよ、それは覚えておいてほしい」と言って兄さんたちの元へと走り去っていった。残された大樹一家がどうしたかは、わからなかった。
それから兄さんは、双山家の家で住むこととなった。大樹家の家から荷物を運び出す最中、母さんと雄子から、ちゃんと話し合おうと言われたが、兄さんの決意が揺らぐことはなかった。
「いいんだよこれで、元々出るつもりだったんだし」
「だから兄さん、礼子ちゃんたちにわざと嫌われるようなことしてたんだよね」
「そうなの?」
雄子が不思議そうに僕を見た。兄さんは、数年前自分達のことがわかってからというもの、たびたび礼子ちゃんと次郎君をいじめていた。それは楽しんでしていると言うよりも、まるでわざと怒らせているようだった。そのことに気づいた僕は、何度か注意したものの、兄さんはやめなかった。兄さんはこんな日が来ることを待ち望んでいたのかもしれないと、僕は思った。
「だからいいんだよ、これで」
そう言う兄さんの表情が、どこか寂しそうに見えた。無理しているのではないかと思った。
双山家に戻ってから当番制のルール決めのことや、僕の部屋に二人で寝ることにしたりと細かな話の後、一階のリビングで夕食を食べた。
「こんな時になんだけど、こんな日が来るなんて思わなかったから、ちょっと嬉しいわ」
母さんがそうつぶやいて、一つの写真を食卓の、真ん中の席の前に立てかけた。それは、父さんの写真だった。
「お父さんね、ここでこうして子供たちに囲まれて食事をするのが夢だったのよ」
母さんのその言葉に僕も兄さんも雄子も、感慨深げに父さんの写真を見つめた。写真の中の父は、赤い車の前でにこやかに笑って立っていた。端麗された顔立ちはいかにもハンサムという顔立ちで、友人だった大樹太郎さんとは真逆のタイプであった。この写真を撮った数ヶ月後、一緒に写っている車で事故を起こして死んでしまった。
「この写真の車でね、和弘たちを乗せてドライブに行くんだって言っていたのよ」
母さんが寂しそうにそうつぶやいた。僕はちょっと見ていられなくなって、兄さんを見た。兄さんと雄子も複雑な表情で、写真を見つめていた。
兄さんは、僕の視線に気づいて微笑んでから、話した。
「さぁ、とにかく食おう。今日はたくさん食べるぞ」
「ねぇお母さん、その、私もその人のこと、お父さんって言っていい」
雄子は、自分が身寄りのない子供だと知ってから、父親のことは話さなかった。元々そんな機会はなかったが、あれ以来なんだか無理に避けているようにも感じられた。
「雄子が望むようにしていいのよ」
母さんはわざと突き放したようなことを言ったようだった。雄子の言葉を待つように、母さんは雄子を見つめていた。雄子はうつむいて思案していたようだが、すぐに顔をあげて告げた。
「私、和夫お父さんのこともっと知りたい。いっぱいいっぱい教えて、お母さん」
「俺も知りたいな。ずっとあっちにいたときは聞けなかったし」
雄子と兄さんに勧められて母さんは語った。父さんのこと、今も愛している夫のこと、父のことを延々語った。その日の夕食は今までにないぐらい楽しい夕食となった。僕はそれがとても幸せなことだと思った。
夕食後風呂に入ったり宿題したりテレビ見たりと、もろもろ用事を済ませて就寝となった。僕のベットの横に布団を敷いて兄さんが寝ることとなった。
「落ちてくるなよ和也」
「兄さんじゃあるまいし、そんなに寝相悪くないよ」
「へいへい」
そう言って布団に入る兄さんを横目に、僕も布団に入って寝ることにした。
真っ暗な部屋の中で、時折嗚咽するような小さなうめき声が聞こえてきた。鼻水をすする音まで聞こえてきた。僕はゆっくり体を起こして兄さんを見た。兄さんは頭から布団をかぶって横になっているようだった。しかし声はそこから聞こえてきた。
「兄さん、泣いて、いるの」
「ち、違う、泣いてない」
くぐもった声が、その言葉を全否定していた。兄さんは明らかに泣いていた、兄さんはかつて、まだあの家にいたいと言っていた。兄さんにとって、今この家に戻ることは不本意なことだったのだ。
僕は少し考えてから、そっとベットからおりて、兄さんの寝ている布団の中に潜り込んで、兄さんの体をそっと抱きしめた。初め兄さんは震えていた。体を震わせていた。しかし、僕が入って体に触れた瞬間、震えは止まった。
「兄さんはまだやり残したことがあったんだね、あの家で」
「ああ、礼子にも次郎にも親父にもおふくろにもちゃんと謝っていない、感謝の気持ちを出していない。それなのに……」
「兄さん、大丈夫、きっとわかってくれるよ。いつかきっと。それまでは僕たちがいるから。だから、だから、」
そう言って兄さんの体を強く強く抱きしめた。兄さんは振り返ることなく抱きしめてきている僕の腕を、自分の手でしっかりとつかんで、静かに泣いていた。そのまま僕たちは一夜を共に眠った。いつかきっと元のように戻れることを祈って。
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