第十一章・雄子の悲しみ

 僕たちは、地元の駅前に帰りついて卓真君たち三人と別れて、双山家の家へと帰る事にした。帰る道すがら、兄さんがずっと黙りこくって、何かを考え込んでいた。神妙な顔つきで考え込んでいたので、僕も母さんも話しかけられなかったが、家の近くにある橋の上で僕が思い切って尋ねた。

「兄さんどうしたの?」

 兄さんが、はっとなって正面を向いて歩きながら答えた。

「ああ、いや、親父たちに俺が気づいた事話そうかと思って」

「それって、僕たちが兄弟だったってことを知ってたってこと?」

「ああ、そのつもり」

 僕は思わず立ち止まって兄さんに尋ねた。

「それでどうするつもり」

 兄さんも立ち止まり、振り返って僕を見ながら話した。母さんはその先で振り返って静かに見つめていた。

「どうするも何も、俺はできればもうしばらくあの家にいようと思うんだ。もちろん、親父たちが良ければの話だけど」

 そう言って母さんのほうを振り返って、話しかけた。

「母さんいいかな」

「私は、あなたがそれでいいのなら、それでかまわないわ」

「ありがとう母さん。大丈夫、これからはちょくちょく会いに行くよ」

「ありがとう。きっと雄子も喜ぶわ」

 母さんのその一言で、雄子の事を忘れていた事に僕も兄さんも気づいた。二人して目をあわせて、母さんと一緒に慌てて家に帰る事にした。しかし、母さんの体調を気遣い走ることができず、思ったよりも家に到着したのが遅かった。


 家のある細い路地を通っていくとすぐに見える二階建ての木造家屋が、僕たちの家であった。いつもならどこかしら電気がついているのだが、真っ暗だった。街灯もない細い細い路地なため、本当に真っ暗となっていた。

「おい、本当に留守番してるように言ったんだよな」

「言ったよ。兄さんがグズグスしてるから帰るのが遅くなったから、もしかしたら雄子も母さん捜しに出たのかも」

「とにかく、中に入ってみましょう。何かメモぐらい残してるでしょう」

 母さんにそう言われて、僕はとりあえず玄関の引き戸を開けた。すると、玄関の土間のところに何か黒い物体があった。母さんが引き戸横のスイッチをつけて玄関の明かりをつけると、その黒い塊が雄子であることがわかった。座り込んで体をくの字に曲げ、顔を下に向けたままだったが、僕たちが突然入ってきたので驚いたように顔をあげ、僕たちを見た。


 雄子の顔は真っ赤にはれているように見えた。それほどまでに顔をくしゃくしゃにしていた。顔中に涙と思われる跡がついていた。目は真っ赤にはれていた。僕たちの姿を確認すると、突然雄子が母さんに抱きついて大声で泣き出した。僕は少し冗談めかしてつぶやいた。

「雄子オーバーだなぁ、ちゃんと連れて帰るって約束しただろ」

 すると、雄子が涙声で叫ぶように声を絞り出した。

「待ってる間不安だった、怖かった、私捨てられるんじゃないかって、もう帰ってこないんじゃないかって、私のこといらない子になったんじゃないかって、私の本当のお母さんみたいに」

 兄さんがそっと僕に小声で尋ねた。

「和也、おまえどういう説明したんだ」

「母さんがいなくなったって言うからそれどころじゃなかったし、そもそも詳しい話はちゃんと聞いてないしさ。大体僕も、雄子が産まれてから、お父さんが死んだって聞いてたし……」

 僕と兄さんの言い合いをほっといて、母さんが優しく包みこむように雄子を抱きしめ、雄子の頭をなでながら静かに語り出した。

「雄子、ごめんね。不安にさせてごめんね。雄子、あなたの本当のお母さんは、アメリカにいる夫の元へ向かうときに、私に預けていったの。だけど飛行機事故で死んでしまって……彼女は天涯孤独だったし、あなたの本当のお父さんは遠く異国の地で、住んでる場所も名前もわからなかったの、それで私が養子としてあなたを引き取ったの。娘として育てることにしたのよ」

 雄子も僕たちも母さんを見た。母さんは、抱きしめていた雄子の体をそっと離し、微笑んだ。

「雄子は、お母さんのこと嫌い?実の娘じゃないと知って嫌いになった?」

「そんなことないよ、私、お母さんのこと好きだよ。お母さんは?お母さんは私の事どう思っているの」

「もちろん、大好きよ。大切な娘だもの」

「私、お母さんの娘でいい?お兄ちゃんの妹でいい?」

「もちろんよ。それにね、決してあなたを離さないから。私も和也もずっと一緒だから、何も心配しなくていいのよ雄子」

「えへへへ、お母さんありがとう」

 そう言って雄子は微笑んだ。母さんも笑っていた。僕はほっと胸をなで下ろし、いつまでも表にいても仕方ないと言うと、全員で家の奥に入っていった。そしてリビングで各自飲み物を飲みながら、雄子に改めて兄さんのことや先ほどまでのことを話した。


「ふーん、じゃあ和弘お兄ちゃんと仲直りしたんだね、和也お兄ちゃん」

「うん、まぁ、そうなんだけど、なんだよその『和弘お兄ちゃん』って」

「だって、和也お兄ちゃんの兄ってことは、私にとっても兄ってことでしょ、だからよ」

 僕と兄さんがあきれていると、雄子が嬉しそうに叫んだ。

「ということは、私二人もお兄ちゃんいるんだ、フフフ、なんかラッキー」

「雄子ちゃんって、意外と面白い子だったんだな」

「ただの脳天気って言うんだよ兄さん」

「何よ和也お兄ちゃん」

 僕たち三人がしゃべっていると、台所脇の電話機で電話していた、母さんが話しかけてきた。

「今、大樹君たち呼んだけど、どうする、私から話そうか」

 笑っていた兄さんが急に真剣な顔になって、自分で話すと言うと、母さんは微笑んでそばの椅子に座って、大樹夫婦が来るのを待った。僕と雄子も静かにその時を待った。


 大樹一家は路地を挟んだ反対側のすぐ隣に住んでいるため、ほんの数分で大樹夫婦がやってきた。かつて知ったるなんとやらで、大樹夫婦は玄関から家の中に入り、僕たちのいるリビングへと走ってきた。


 兄さんの育ての父親である、大樹太郎さんは、筋肉隆々の大男で、肌が黒く四角い顔をしていた。育ての母親大樹花子さんは、細身でスタイリッシュな女性で、短髪で切れ長の目が特徴的であった。


 大樹夫婦二人は、リビングの真ん中で、いつになく真面目な顔つきで立っている兄さんを見て、驚いているようだった。花子さんが何かを話そうとしたとき、それを遮るように兄さんが話し出した。

「おふくろ、親父、ずっと二人に話していなかったことがあるんだ」

「何?」

 花子さんの声が少し震えていた。もしかすると感づいたのかもしれないが、怖くてちゃんと聞き返せないでいるのだろうと、僕は思った。兄さんが、大樹夫婦をまっすぐ見据えて話し続けた。

「俺も和也も知っていたんだ、自分たちのこと。自分たちが本当は兄弟だってこと」

 その一言で、花子さんの目から涙があふれ出て、顔を両手で覆った。太郎さんは、兄さんをじっと見つめたまま訊ねた。太郎さんの額に汗が出てきていた。少し体が震えているようにも見えた。一生懸命気丈にふるまおうとしているように見えた。

「それで、おまえは、どうするんだ」

「親父たちが良ければ、俺はまだそっちにいたい。まだ、親父とおふくろと呼んでいたいんだ」

「いいのか、和弘」

「うん。中学の頃あたりからずっと迷惑かけっぱなしだったし、ちゃんと恩返ししてから、母さんの元に戻りたいんだ。俺のわがままだし、迷惑かもしれないけど」

「迷惑だなんて、とんでもないっ」

 そう言って花子さんが兄さんを抱きしめた。泣きながら「ありがとう」と繰り返しつぶやいた。太郎さんも一言だけ「ありがとう」と小さな声でつぶやいた。そんな光景を見ながら、雄子は僕に一言、

「良かったね」

 と言って微笑んだ。


 僕と兄さんの出生のことや雄子のことは、大樹家の方の兄弟や周囲には内緒にしたままにするということで、大樹家と双山家の緊急家族会議は終了し、大樹夫婦と和弘の三人は、大樹家の家へと帰っていった。祖母にも電話で事の顛末を報告して、僕たちの長い一日は終わった。

 後日、おばあちゃんは兄さんに謝っていたが、兄さんはもう気にしていないと言って許したのだった。

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