第十章・卓真の秘密

 僕たちは最寄りの広山駅に戻ってきた。この駅は無人駅で、駅前には民家がいくつかあるものの、電灯もなく真っ暗な場所であった。駅舎にも電灯は少なく、待合室がなく、自動改札が一台あるだけの小さな木造の駅舎だった。自動改札口の横に、これまた一台だけの切符売り場がある。迷惑かけたからと言って、兄さんが切符代を出すことになり、人数分の切符を買おうとしたら、卓真君が言ってきた。


「僕たちは定期があるからいいよ。それに、和也君たちとはここでお別れだよ」

「何で、同じ電車で帰ればいいじゃないか」

 僕がそう言うと、卓真君が反論してきた。

「いやまあ、せっかくだしお邪魔かなと思って」

「一本ずらすの?次来るの一時間後だよ、その間どうするの、こんな何もないところで。僕たちのことなら気にしなくていいよ。それに僕としては、卓真君といろいろと話がしたいし」

 兄さんもうなずいて賛同した。しかし、卓真君は後ずさりしながら立ち去ろうとした。しかし兄さんが卓真君の左腕をつかんで、強めの声で言った。

「どこ行くんだよ。ちゃんと話してもらいたいことがこっちにはあるんだ」

「な、なに」

 卓真君は観念したのか足を止めた。しかし、顔をそむけていた。どこか悲しそうに見えた。


「さっきこんなこと言ってたよな、『僕の親父経由で和弘君のお父さんから頼まれてた事とはいえ、いっとき友人関係でいてくれた』って。いったいどういうつもりで言ったんだよ」

「ああ、そういえば僕の家に来て兄さんと卓真君の関係についての話をしだしたころにもおかしなこと言ってたよね、確か『和弘君のお父さんが、うちの親が経営している割烹料理屋の常連客さんでね、それがきっかけで和弘君がお父さんに頼まれて僕を助けるようになった』って。それに、兄さんとの関係について聞いてきたときも、卓真君に言う義理はないとかなんとかなんか言ってたけど、どういうつもり?」

「どういうつもりって、何?」

「ほう、すっとぼける気ですか」

 そう言いながら両手のこぶしの関節を鳴らす兄さんであった。目がつりあがっていて、明らかに怒っているようだった。僕も内心複雑な気持ちで卓真君を見つめていた。


 卓真君はしばらく考え込んでいたが、ユウ君の「観念してちゃんと話したら」という言葉で抵抗を諦めたのか、ポツリポツリと話し出した。

「どういうつもりも何も、小学校の時いじめられてた僕をかまってくれていたのは、僕の親父から頼まれたからでしょ」

「そんなの誰が言ったよ」

「い、いや、誰にも言われてないけど、他に理由が考えられないし、それに他のクラスメイトやいじめっ子たちも言ってたし」

「俺が直接言ったわけでもないのに、他の人間の言うことなんか信じるなよ。勝手に決めつけんな。確か小6の時にもそんなことあったよな。何でそう勝手に決めつけるんだよ。それとも俺が友達じゃいやなのか」

「兄さん落ち着いて、口調が荒っぽくなってる」

「わかってるよ」

 そうつぶやいてため息をついてから、兄さんは卓真君に話しかけた。


「確かにあの頃、卓真君のこと見てやってほしいって親父から言われたよ。うちの親父卓真君の父親と、俺や卓真君の話になって、卓真君がいじめられてることを相談うけていたらしいから。けど、俺親父の頼みごとを素直に聞くつもりなかったしなぁ。まぁ、実のばあちゃんから、和也のためにもいい子になるよう言われてたし、気にはしてたけど、別に友達でもない他人のことにまで、気をつかう気なんてなかったんだ」

――兄さん、ぶっちゃけすぎ。

 僕はうつむきがちになって小さくため息をついた。そんなことお構いなしに兄さんは話し続けていた。


「そうは言っても、俺の目の前でいじめとかしょうもないことしてるの見たら、すげー腹たつから止めてたんだ。で、なんか出会った頃の和也思い出して、それで卓真君に友達になろうって言ったんだ」

 僕は思わず兄さんを見た。

「和也もさぁ、気の弱いところがあって、なんかほっとけないって感じだったんだ。卓真君に対してもそう思ったんだよ。だから、別に頼まれたから友達になったんじゃないんだぜ。現に俺も和也もこれ見よがしに、卓真君にベタベタくっついてなかっただろ」

「むしろ卓真君は、ふくちゃんにべったりだったよね」

「ああ、うん、まぁ確かに」

 どこか歯切れの悪い返事に、僕も兄さんも、不思議そうに卓真君を見た。


 卓真君が、ボソボソと小さな声でつぶやきだした。それは本当に小さな声で、気を付けて聞かないと聞き取れないほどだった。広山駅の前が何もなくて、何の音もしない静かな場所だったのが本当に救いだった。それほど小さな声だった。

「中学のあの暴行事件の数日後、僕も和弘君の元へ行ったんだ。話を聞いて少しでも励ませればと思って」

 中学の時兄さんから、卓真君と一緒に、塾に通っていた事を聞いていた。この塾通いは、完全に両方とも親に強制されたものだったらしい。


 塾へ行くために兄さんを誘おうと大樹家の家に行き、そのついでで事件の話を聞こうとしていたようだ。しかし、卓真君は門前払いされた。それも顔も見せずに閉めた扉越しに。

「『もう、ほっといてくれ』って言われた時、友達なのに何にもできないのかって思って。そもそも自分は本当に友達と思われてるのかって思ったら、いろいろ考えて、で、最終的に自分が勝手に友達だと思ってるだけで、相手には嫌がられてるんじゃないかって思ったんだ」

 僕は少し兄さんを見た。兄さんはうつむいたまま、じっと卓真君の話を聞いていた。

「実際、僕と和弘君たちとはそんなによく話をしていたわけでもないし、遊んでいたわけでもなかった。だから、自分のただの思い込みなんじゃないかって」

 兄さんは顔をあげて卓真君に聞いた。

「それは、ふくちゃんに対しても思ってることなのか?」

「そ、それは、まぁ」

 卓真君は、言い淀んでうつむいた。


 その時卓真君の後ろで兄さんとのやり取りを見ていたユウ君が、僕にこっそりと聞いてきた。

「さっきから言ってる、ふくちゃんっていうのは、卓ちゃんの、小学1年の時からの友人かい?」

「ああ、うん。僕ら二人の話が出た時に、ふくちゃんの話出たんじゃないの?」

「それが、中学卒業した時に縁を切ったって言って、あまり詳しい話は聞けなかったんだ」

「えーっ」

 僕が思わず叫んだので、卓真君以外の全員が驚いて僕を見た。僕は、視線を避けながら、急にそっぽを向いた卓真君に向かって質問した。

「縁を切ったってどういう事、あんなにいつも一緒にいたのに、何があったの」

「中学の時、金魚のふんと言われながらも、ふくちゃんといつもいたのになぁ」

 兄さんも中学の時のことを思い出したのか、卓真君を見ながら言った。


 卓真君は沈黙したままじっとしていた。明らかにこれ以上話したくないって感じだったが、僕たちも気になって仕方がなかったので、このまま話を終わらせたくなかった。しかし、それでも卓真君は沈黙したまま動かなかった。


 どのくらいの沈黙が続いただろうか、待ちきれなくなったのか、ユウ君が卓真君にそっと話しかけた。

「卓真君、ちゃんと話したほうがいいんじゃないかな。何があったのか、僕たちは詳しく聞きたいわけじゃない。少なくとも僕とミネはね」

 僕もそうだった。おそらく兄さんもそうだろうと思った。

 母さんはいつの間にか自動改札口の近くに、唯一一つだけある木製のベンチに座って、優しくこちらを見つめているだけだった。


 僕たちは根気強く待ち続けていた。それでも卓真君は躊躇していた。それが何を意味しているのか、僕は気になっていた。ユウ君が再び卓真君に話しかけた。

「卓真君、僕たちのことを知った時、それでも友達になってくれるって、言ってくれたよね」

――『僕たちのことを知った時』ってどういう意味だ?

 僕は疑問に思っていたが、あえて聞かないことにした。

「あの時僕もミネも嬉しかった。とても嬉しかったんだ。だから、僕たちは君には全てを見せることができると思っている。それは、君のことを信じているから。本当に友達だと思っているから。少しでも君の力になりたい。僕たちでは何の役にもたたないのかもしれない。だから全部を話してほしいとは言わないし、それを聞いたからと言ってどうなるわけでもない。卓真君、僕たちを信じて」

 ユウ君のその言葉が終わると、兄さんも卓真君に話しかけた。

「小学校と中学校とずっといじめられ続けていて、誰のことも信じられなくなってるんだろうとは思う。けど、このままじゃいけないと俺は思う。多分、このまま話を終わらせて、逃げるようにうやむやにしたら、きっとダメになる。俺と和也みたいに」

「そうだよ卓真君。兄さんと僕もちゃんと話をしてなかったのが原因でこじれたんだ。卓真君もちゃんと話をした方がいい。大丈夫、何があったって僕と兄さんは卓真君と友達だよ。ずっと変わらない。何があっても、もし将来遠くに行ったとしても、僕たちは友達のままだよ」

「和弘君、和也君」

 卓真君はそうつぶやいて僕と兄さんを見つめた。そして、ポツリとつぶやいた。

「僕は、ふくちゃんにとんでもない裏切り行為をしたんだ。だから僕には友達を作る資格なんてないんだ。友達を作っちゃいけないんだ」

「それまた、自分で勝手に結論づけてるんだろ」

「そうだけど、」

「何があったか知らないけど、誰かに言われたんじゃなかったら、気にせず友達作ればいいだろ。そっちにいるユウとミネってやつらみたいに」

 兄さんがそう言って、ユウ君とミネ君の両方を交互に見た。

「いや、二人とはたまたまというか、そういうのとは違うというか」

「言ってる意味がわからん」

 兄さんの意見に僕も賛成だった。


 卓真君が慌てるように今度は早口でしゃべった。

「そんな事より、えっと何の話だったっけ?」

 明らかに話を無理やり変えてきた。僕は少し気にはなったものの、この様子だと絶対詳細は話さないだろうし、話を元に戻すことにした。僕はため息交じりで卓真君に語りかけた。

「兄さんと僕が、本当に卓真君のことを友達と思ってるかどうか、って話だったよね」

「まぁ、塾の時にきつい言い方したみたいで、それは謝るわ。ごめんな。でも、本当に友達だと思ってるんだぜ。そこは信じてくれよ」

「僕も。確かに兄さんの紹介で卓真君と知りあったけど、友人だと思ってるよ」

「本当に?」

「ああ、本当だ」

「ありがとう和弘君、和也君」

 そう言った卓真君の顔は、どこか晴れやかな顔になっていた。

「さあ、早くホームに行こう。電車に乗り遅れたら大変だよ」

 僕がそういうと、全員で自動改札口を通り、ホームへと向かった。相変わらず気遣っているのか、僕たちから遠い位置に、卓真君とユウ君とミネ君が移動していた。ボソボソと何かを話しあっていて、その中に少し気になる言葉があったが、僕は気にしないでおくことにした。


 こうして、僕は兄さんと母さんとともに、地元に帰った。

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