第六章・和弘との再会

 その廃ビルは、山のふもとにそびえ立っていた。数年前まで人がいたのだろうか、外見上はきれいな白いビルだった。時折窓が割れているが、今でもテナントが入っていても不思議ではなかった。三階建ての小ぢんまりとしたビルで、正面入り口や周囲には立ち入り禁止のフェンスが設置されていた。ビルの周囲に民家はなく、元々畑であったのであろう空き地があるだけだった。僕たちは、完全にど田舎にある、誰からも忘れられているような廃ビルに来ていた。街灯すらもほとんど見かけないので、夜になると真っ暗になるだろうと思っていると、卓真君がぼそっと「暗くなる前に何とかしよう」とつぶやいた。


 空地の手前側には小さな公園があるが、茂みに覆われていて、人が入っていた形跡がなかった。廃ビルの奥にも道があるが、舗装されていないばかりか、草が生えていて、こちらも人が通った形跡がなかった。あまりにも寂しい場所に廃ビルがあったので、僕は少し怖くなっていたが、なるべく顔に出さないように努めながら、卓真君たちに案内されて、廃ビルの裏側へと回り込んだ。裏側も当然のようにフェンスで囲われていた。裏にあったのは、乗用車が五台ほど停められそうな駐車場だった。その駐車場の一角、ビルからは反対側にあたる場所に移動した。そこのフェンス下部に、人一人通れる穴が開いていた。僕たちはその穴を通って、廃ビルの敷地内へと入った。廃ビルの、元々は勝手口と思われる、小さな扉を開けてビルの中に入った。鍵はかかっていなかったので、容易に入れた。


 中に入って、急ぎすぐ近くの階段を上がって二階へと昇り、和弘がいたという、ある小さな部屋に入って行った。部屋の入り口には黒ずんだ扉があり、後は黒ずんだ壁があるだけだった。もしかすると火事でもあったのかもしれない。部屋の中には、かつて会議室のような場所だったのか、細長い机と黒い椅子があった。それらは壁側に追いやられており、部屋の中心には和弘たちが用意したのだろう飲み物やら食い物が散らばっているだけであった。部屋の奥には大きな窓があり、ガラスは割れていた。床にガラスの欠片がないところを見ると、和弘たちが掃除したのか、元々なかったのか、真相はわからなかった。


 僕が先頭になって部屋に入ると、母さんが和弘の正面に立っていた。和弘の方はというと、和弘の右斜め後ろに小太りの少年が立っていて、そのさらに後ろに二人の少年が立っていた。二人の少年のうち一人は和弘のように背が高く白髪で、もう一人は身長は高校生の平均身長と同じぐらいで赤毛であった。二人とも髪の毛を染めているのかわからなかったが、とても目立っていた。小太りの方は、黒髪だがぼさぼさ頭で長髪であった。

――あれ、あの小太りのほうどっかで見たことあるような。

 少し考えてみたが思い出せなかったので、気にせず母さんのそばへと歩み寄った。卓真君たち三人は、後ろで立ち止まっているようだった。


「おばさん、迎えが来たようですし、帰ったほうがいいですよ」

 和弘がそう言うのを聞いて、母さんはチラッと歩み寄る僕を見たが、すぐにまた和弘を見て話しだした。僕は、和弘が母さんに敬語で話しているのが、なんだか不自然に見えた。以前から和弘が母さんと話をしている時、敬語を使ってる事はあったものの、今日のそれはどこか妙だった。何がどう妙なのかよくわからなかった。


「和弘聞いてちょうだい、私の事を嫌うのは別にいいの。でも、和也の事を嫌いにならないで。たった一人の兄弟なんだから」

 和弘は、体ごと視線をそらして反対の窓側を向いて、

「おばさん、何の話か知らないですが、俺が和也を嫌っていても、あなたには関係のない事でしょう」

――この状況下で、何しらを切って、何の話か知らないと言っているんだ兄さんは。僕たちが出生の事を知ったことを、母さんは知ったから、ここに来たのに。

 僕はそう思いながら、母さんと和弘のやり取りを見ていた。


「和弘、関係ないなんて言わないで。あなた、本気で和也の事嫌っているの」

 僕はこの場から逃げ出したいような気分になっていた。和弘が少し考え込むように黙っていたのが、僕をよけいに不安にさせていた。

「そうですよ。俺は和也と違っていい子ちゃんじゃないんです。俺と和也の関係は、水と油なんですよ」

 和弘はずっと母さんに背中を向けたまま話していた。僕はそれが不自然な気がして、もしかすると和弘は嘘をついているのかもしれないと思った。いや、そう思いたいのだ。それと同時に僕は、どうしてこんなに和弘に嫌われているのか知りたかった。いくら考えても、怒らせるようなことをしたことに、思い当たるふしがなかった。


「どうしてそんなに和也を嫌っているの。一体あなたたち二人に何があったの。昔はあんなに仲が良かったのに」

 そう言われて和弘がチラッと僕を見た。和弘と目線があったので、僕は思わず視線をそらし地面を見つめたが、すぐに顔を上げて和弘を見た。また和弘と目線があったが、今度は和弘が視線をそらしてまた窓を見た。そして、うつむいてつぶやいた。

「そんなこと、あなたに話す事ではありません」

 和弘の声が少し震えているように感じられた。まるで泣いているかのようだった。すると、そばにいた小太りの少年が語りだした。

「いつまでそうやって強がるつもりだよ和弘。お前本当は和也と仲直りしたいんだろ」

――和弘が僕と仲直りしたがっている?

 それは僕にとって正直な話、嬉しい事だった。ずっと和弘の事を気にしていた。和弘のことなどどうでもいいと自分に言い聞かせて、ずっと気にしないようにしてきたが、内心ではすごく気になっていた。ある事件以来ずっと音信不通だった和弘の事を、忘れることなど一度もなかった。そこまで気にしていたのは、僕にとって和弘は特別な存在だからだった。


 和弘は顔を上げ小太りの少年に

「うるさいよ塩山しおやま。いつ誰がそんなこと言ったよ」

 と怒鳴った。

「言ってたじゃねぇか。中二の時。あの乱闘事件がもとで和也と喧嘩したって、泣きついたのどこの誰だよ」

「ちょっ、バカ、何言いだしてんだよ」

 塩山と呼ばれた小太りな少年の、突然の言葉に、和弘は慌てて止めようとし、塩山君の話を遮ろうとしたが、塩山君が早口で一気に話したので、意味がなかった。慌てふためいてジタバタと両手を振り回している姿は、僕のよく知る和弘そのものだった。それがなんだか嬉しかった。と同時に、塩山という名前に聞き覚えがあるのだが、思い出せないでいた。


 母さんが再び和弘に話しかけた。

「和弘、乱闘事件って、部活動で入っていた部員たちが、隣町の中学生と乱闘事件を起こしたってものだったわね。確か、和也も花子たちも、和弘は関係ないのに巻き込まれたって言ってたけど、何かあったの」

 和弘の育ての母親である花子だけでなく、僕も和弘の立場が悪くなるようなことは言わなかったし、本当に和弘はただの被害者だと信じていた。和弘がゆっくりと母さんを見てつぶやいた。

「本当、ですか」

「ええ、和也もあなたが自宅謹慎の罰を受けたのは、何かの間違いだって言っていた。私もそう信じているわ」

 一瞬和弘は僕を見たが、また背中を向けた。そして、少しの間の後で和弘がつぶやいた。

「信じてるって、なんで俺を」

「それはあなたが、」

 母さんが語ろうとするのを遮って、和弘が振り返りざまに叫んだ。

「また『兄』だからとか言うのか?俺は、好きで兄になったんじゃない。それなのに、それなのに……」

 和弘の言葉は後半になって聴き取れなくなるほどに小さい声になって、そのまま無言で母さんと僕を睨んでいた。目には涙がうっすらとたまっていた。窓の外には山と空が見えていた。その空が、徐々に赤くなってきていた。夕暮れが近くなっていた。真っ暗になる前に雄子のもとに帰ってやりたかったが、どうも長くなりそうだと僕は一瞬思った。

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