第四章・秘密の暴かれた日と約束と

 僕と和弘が自分達の出生のことを知ったのは、小学三年生のある夏の日であった。その日はとても暑くて、天気予報によると三十度を超える猛暑日であった。

「俺背高いから、余計に暑い」

「和弘君、意味がわからないよ」

 僕たちは夏休みのある日、いつものように大樹家の家の中で遊んでいた。木造二階建てで、すぐ隣に大樹夫婦が経営している喫茶店があった。和弘の義理の弟と妹は外に遊びに行っていていなかった。和弘の母親花子さんは、お昼の用意をしてから和弘に留守番を頼んで出かけていった。みると、花子さんの服がいつもの服ではなく、出かける時用のこぎれいな服になっていたことに、和弘は不審に思った。

「母ちゃん、どっかいいとこにでも行くつもりかな」


 和弘の提案で、僕と二人で花子さんの後をつけていくことにした。もちろんばれないように。すると、和弘の父親大樹太郎さんだけでなく、僕の母さんまで連れだって歩いて行ったので、ますます気になって後をつけていった。


 向かった先は、町の東北にある山のふもとにあるお寺だった。そこにはお盆になるとよくお参りに来ていたので、僕たち二人共見覚えがあった。

 墓参りはまだ先のはずなのに、なぜこんな場所に来たのか不思議に思いながら後をつけていくと、墓地に入って行き、数あるお墓の一つの前で立ち止まった。そこは、双山家のご先祖様が眠る墓だった。そこで親たち三人が手を合わせて合掌していた。そして、花子さんがぽつりとつぶやいた。

「和夫さん、あなたの息子たち、和弘と和也は元気にしてますよ。心配しないで上で見ていてね」

 僕と和弘は、今花子さんがつぶやいた内容の意味が、すぐには理解できなかった。すると今度は、太郎さんがつぶやいた。

「お前が死んでから、無理して育てようとして倒れたエミちゃんに代わって、和弘を育てだしてもう九年が経とうとしている。あの子は俺がちゃんと面倒見てやってるから、心配すんなよ」

 僕と和弘は、誰のものともわからない墓石の陰に隠れて立ち尽くしたまま、身動きができなかった。親たちからは背中側にいたし、ある程度離れていたので、まず見つかることはなかった。どのくらい立ち尽くしていたのだろうか、気が付くと親たちはすでにいなくなっていた。


「今の話どういうことだよ」

「僕に聞かれても知らないよ」

 二人して同じ質問をぶつけて、不毛な喧嘩を繰り返していた。しかし、すぐに和弘はこのままではらちがあかないと言って、親たちに事情を聞こうと言い出した。しかし、僕はそれよりも祖母に聞こうと言った。

「僕怖いんだ、母さんから話を聞くの。だからね、僕のおばあちゃんに聞こう」

「けど、お前のばあちゃんが住んでる家って、ここからバスで一時間も行った先の、山の中にあるんだろ、俺いやだぜそんなど田舎」

 和弘があくまでも親から聞くというと、僕は涙を浮かべて懇願した。そのさまがちょっと鬱陶しかったのか、和弘は渋々僕の願いを承諾して、祖母の元へと向かうことになった。


 祖母の住む家は、お寺から北西方面へと進んだ、山間の農村地帯にあった。バスに乗っている間僕たちは一言も発せず、外の景色を眺めていた。鉄筋の家屋やマンション、専門店が立ち並ぶ大通りから、次第に木造家屋が立ち並ぶ道へと変わっていき、最終的には田んぼだらけの場所に出た。完全に田舎道に出た辺りから、和弘はつまらなさそうにあくびを繰り返していた。僕はそんな姿を見て、両親たちのあんな発言を聞いた後なのに、なんと堂々としてるのだろうと、少し尊敬していた。


 祖母の家は、バス停から少し上った先の、集落の端の方にあった。バス停のそばには駄菓子屋さんがあり、その奥に小さな公園があった。公園の中心には一本の大木があり、樹齢千年の桜の木で、毎年春になるとこの周辺でお花見大会が開かれる。その大木を横切り一キロほど行った先に祖母の家はある。


 祖母の家は藁ぶきの純和風の古民家だった。平屋でかつては僕の母さんと祖父も含めた三人で暮らしていても、有り余るほどの広さであった。母さんが町に住み、祖父が何年も前に亡くなったため、祖母一人で暮らすようになったのだが、一人暮らしには広すぎる家であった。そのためか、僕が遊びに行くと、いつも満面の笑みをうかべて招き入れてくれるのだった。


 この日も僕が急に来たので、驚き半分喜び半分で、いつものように笑顔で出迎えてくれた。しかし、僕の横でつまらなさそうに立っている和弘を見た途端、笑顔が引きつっていった。あまりの顔の変化に僕も和弘も驚いていたぐらい、祖母の表情が、わかりやすいほどに激しく変わった。


 大広間に通され、僕たちはここに来た経緯を話した。祖母は驚きながらも黙って聞いていた。そして、口を開いた。

「二人ともよく聞くんだよ。あんたたちが聞こうとしている事は、まだ小さなあんたたちにはあまりにも酷な話だ。つらい想いになるかもしれない。それでもあんたたちは聞きたいかい?」

「ああ、聞くよ。そのためにこんな田舎まで来たんだ。このまま帰ったんじゃ意味ないじゃないか」

 毒づく和弘の横で、僕はうつむいたまま考えていた。本当にこのまま聞いていいのだろうかと悩んでいた。すると、和弘が語りかけてきた。

「和也がこっちで聞こうって言いだしたんだろ。このまま聞かないままで帰る気かよ。俺たちがお寺で聞いたことは夢でも幻でもない、なのにこのまま何も聞かないでいられるのか」

「確かに、このままってわけにもいかないよね……」

 僕はうつむいたままだったが、とりあえず聞く気があると判断したのか、祖母は自分達の両親のことと、自分達が生まれた日のことを語った。


 語られた内容は、幼い自分達にとって衝撃的な話だった。とても信じられないといった感じで、僕たちは黙りこくったまま小一時間が過ぎた。祖母は、言葉を発しない僕たちに向かって聞いてきた。

「で、どうするんだいこれから」

 とても短い言葉ではあったが、僕にはとても重く感じられた。和弘もそうなのかと思い、右隣で正座している、頭一つ分背が高い彼を見上げた。すると、目に一杯涙をためて、何かを我慢するように震えていた。僕にはそれが何かわからなかった。


 僕は次に祖母を見た。そこにはいつもの優しい祖母の顔があったが、笑顔というわけではなく、困ったような表情だった。それが妙に不自然で異様ささえ感じていた。僕はその顔を見たまま、ぽつりとつぶやいた。

「お母さんは、僕を、僕たちをだましていたんだね」

「だましていたわけではないんだよ。二人がもっと大きくなってから、ちゃんと話すつもりだったんだ」

「けど、」

「和也はいいだろ、俺なんか遠くに追いやられたんだぜ」

 和弘の言葉に、僕は自分の失言に気づいた。


 大樹一家は、この当時で三年ぐらい前この街に引っ越してきた。小学校入学するかしないかのタイミングだった。元々双山家の向かい側に太郎さんの実家があり、そこに太郎さんの母が住んでいたのだが、大病を患ったということで、太郎さんを始め大樹一家五人が引っ越してきて介護をすることとなったのだ。その太郎さんの母の具合はすぐに治ったものの、大樹一家はこのまま住み着くことにしたのだった。


 引っ越す前まで、大樹一家はずっと東京で住んでいた。知らなかったこととはいえ、和弘はずっと実の母親から遠く離れた場所にいたのだ。それはいったいどれほど悲しいことなのか、僕には想像もできなかった。ただ、今和弘が力いっぱい両手を握りしめ、泣くのを我慢しているかのように震えている姿を見て、自分は失言してしまったのではないかと思っていた。


「和弘が引き取られてすぐだったものね、大樹さんたちが東京に引っ越していったの。だから、追いやられたという気持ちもわからなくもないけど、仕方がなかったんだよ。ああしないと、母さん死んでしまってたろうからね――」

「多分きっとそうなんだろうとは思ったよ。それに、こっちに引っ越してから、よく双山家と海行ったりしてた時のことを、思い出したんだ」

 大樹一家が引っ越してきてから、両親たちが昔馴染みということで、家族ぐるみの付き合いがあった。もしかすると、ずっと離れていた時間を取り戻そうとしていたのかもしれない、そのぐらいたくさん一緒に過ごしていた。人見知りの激しかった僕は、なかなか和弘とも打ち解けられないでいたが、常に前向きで行動力のある和弘に惹かれていった。そうして半年もすると、僕たち二人はまるで兄弟のように仲良くなっていた。


 そうして今に至っているわけだが、家族ぐるみで海や旅行をしていると、和弘に接するときの母さんの行動は、とても違和感のあるものだった。和弘が危険なことをしようものなら、いの一番に止めに行ったり、海で二人しておぼれかけた時には、僕だけでなく、和弘に対しても心配そうに看病していた。それを見て僕は自分の母なのにと思って嫉妬してしまったほどだった。僕に向けるべき愛情を、和弘にも与えられているように感じていた。今にして思えば当たり前のことだった。実の息子なのだから、誰よりも心配し、誰よりも叱り、誰よりも喜ぶのは当然だった。


 和弘は、そんな過去のことを思い出し、悩んでいたと語った。

「俺だけよそにやったことは許せないけど、ずっとあの人は俺のことを見てくれてた。だから、どうしていいのかわからないんだ。ねぇ、ばあちゃん、俺は、俺たちはどうしたらいい?」

 和弘はまっすぐに祖母を見た。僕もそれにならって祖母を見た。祖母は、僕たち二人に見つめられ、目をつぶり下を向いて考え事をしているようだった。しかし、すぐに顔をあげてゆっくりと優しく声をかけた。


「どうすればいいかは、あんたたちが決めるんだ。二人が後悔しない決断をしなさい。私からは何も言えないよ。それは、私からの押し付けに過ぎないからね。ただ一つだけ言わせておくれ。和弘、あなたが大樹夫婦と戻ってきたとき、お母さんはね、まっすぐに私のもとに来て、泣いて喜んでいたんだよ。そのことは覚えといてあげて」

 和弘は、こくりとうなずいて、右腕で両目をこすり、僕を見て語りかけてきた。僕も和弘の方に向きなおした。

「なぁ和也、俺思ったんだけど、俺たちが自分たちのことを知ったこと、しばらく親たちに内緒にしておこうぜ。そうして俺としては今後のことを考えたいんだ。なんか今日はいろいろあって疲れちまったし、どっかのタイミングで両親に話そう」

――疲れたってねぇ。

 僕はそう思って少しあきれたが、自分としてもこのまま母親に話すのは、なんだか嫌だった。

「そうだね。母さんたちも黙ってるんだから、こっちもしゃべらないでいよう」

「ああ、そうしょう」

「和弘君、今日はありがとう」

 急に僕が頭を下げてきたので、和弘も祖母も驚いていたようだった。

「もしあのまま母さんに聞いていたら、いろいろ嫌なこといっぱい母さんに言って、きっと母さん悲しませてたと思うんだ。だけど、和弘君が僕の願いを聞いて、おばあちゃんに聞くことにしてくれたことで、なんというか、僕たちの話、ちゃんと聞いて理解することができたと思うんだ」

 実際、バスに揺られて一時間黙ったままでいたことで、気持ちにゆとりができたから、ちゃんと聞けたのだろうと、僕は後に解釈した。

「だから、和弘君ありがとう」

 もう一度僕がそういうと、和弘は困ったように頭を掻きながら、「ああ」とだけ言った。


 それから二人で話し合い、誰もいない場所では和弘のことを「兄さん」と呼ぶことにし、自分たちの出生の秘密に関しては、両親たちはもちろんのこと、周囲の誰にも友達にさえ秘密にしようと約束した。約束したはずだった……

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