妖怪の俺が人間の彼女と出会った日

無月兄

第1話

 木々の合間に作られた参道を、似たような服を着た人達が登っている。たしかあの人達は、『高校生』って呼ばれてる人達だっけ?

 俺はその中にいる一人の女の人に近づくと、耳元で大きな声を出した。


「ちょっとお姉さん、山の中にゴミなんて捨てないでよ」


 人に見られないようにこっそりと捨てていたから、悪い事をしているってのは分かってるんだろう。だったらやらなければいいのに。

 そう思いながら文句を言うけど、言われた当人は涼しい顔のまま、隣を歩く友達とお喋りしている。


「山登りなんて疲れるよねー。何でこんなことしなきゃいけないんだろう?」

「ホントだよ。でも学校で勉強してるよりはマシじゃないの?」

「ま、確かにね。ハハハハハッ」


 文句なんてどこ吹く風。仕方なく、俺はもう一度、声を大にして叫ぶ。


「ご・み・を・す・て・な・い・で!」


 だけどまたも相手は無反応。すると今度は、俺の後ろで声がした。


「無駄だよ木葉このは。人間には僕達の声は聞こえない。君だってわかっているだろう」

鹿王ろくおう、だけど……」


 渋い顔をして振り向いた先にいたのは、頭に立派な鹿の角を携えた青年。別にコスプレをしている訳じゃないよ。この角は、正真正銘の本物の角。鹿王はその名の通り鹿の妖怪で、頭に生えている角も鹿のそれだ。ちなみにさっき青年と言ったけど、実際は二百年も生きている結構な年寄……


「木葉、今何か失礼な事を考えたね?」

「何の事?俺、何も考えてないよ」

「まったく君は。それはそうと、人間に構ったってどうせ気付いてはもらえないんだから、無駄な事をするのは止めときなよ。自分の姿が人間には見えないって事、忘れたわけじゃ無いだろ」


 そう、鹿王が言う通り、俺は妖怪。この山に住む山神、『ヌシ様』に仕える、カラスの妖怪だ。とは言っても、鹿王みたいな年寄じゃない。産まれてからまだ、十年くらいしか経っていない子供だ。

 と、それはさておき、そろそろ本題に戻ろう。俺はさっき、ペットボトルを捨てた女生徒へと目を向ける。


「あの人がごみを捨てたんだ。あの人達って、ゴミはゴミ箱にって教わっていないのかな?」


 どうやら遠足で山登りに来てるみたいだけど、ゴミくらいちゃんと捨ててほしい。


「確かにそれはいけないなあ。よし、マナーを知らない子には、ちょっと呪いをかけておこう」

「呪いって、いくらなんでもそれはやりすぎじゃ?」


 何だか急に物騒な事を言い出した。確かに俺だってごみを捨てたあの人の事を怒っていたけど、さすがに呪いをかけるとなると少しかわいそうだ。だけど鹿王は涼しい顔で笑う。


「大丈夫。呪いと言っても、大したことないから。襟に毛虫が入って、ビックリさせるって言う呪いだよ」

「……まあ、それくらいなら」


 呪いと言うか、子供のイタズラだ。わざわざ呪わなくたって、俺達の姿は見えないんだから、こっそり襟に毛虫を突っ込んでやればいいんじゃないかな?

 呆れる俺をよそに、鹿王は「えいっ」と声を上げる。その途端、さっきの人が歩いていった方向から悲鳴が聞こえた。


「キャー!毛虫―!」


 どうやら呪いは無事成功したみたいだ。それにしてもこの遠足に来ている高校生の数ときたら。いったい全部で何人いるのだろう?だけどこんなに大勢いるのに、誰も俺や鹿王の存在に気付いていない。


「ねえ、どうして人間は俺達妖怪のことが視えないのかな?やっぱり、心の底から信じてないから?」

「それはどうだろうね?例えば毎年夏になると結成される、カッパ捜索隊ってあるだろ。彼らの中には一人や二人くらい、本気でカッパを信じている人がいてもおかしくないんじゃないかな?けどいくらカッパが目の前で泳いだり変顔したりしても、彼等は気づかない」

「それって、信じているかどうかに関係なく、人間は俺達が見えないって事?」

「そういう事になるな」


 俺の問いに、鹿王はゆっくりと頷く。だけどふと思い出したように、再び口を開いた。


「ああ、でも人間の中にもごくまれに、僕達の姿が見える人もいるかな」

「え、何で?」

「霊力が高いからだよ。家系か、突然変異かは分からないけど、本当にたまに霊力の高い人間がいて、そんな人は僕ら妖怪の姿を見ることが出来るんだ」

「本当にそんな人間がいるの?俺、今までそんなの見たこと無いんだけど」


 驚いて質問すると、鹿王は笑ってそれに応える。


「だからそんな人間は本当に稀なんだって。僕だって今まで、2、3、人くらいしか会ったこと無いよ。で、みんな僕の姿を見るなりみんな逃げて行った」


 ああ、なるほど。いきなり頭に角なんて生えた奴なんて見たら、人間はさぞ驚いただろうな。


「一応角は隠すことは出来るんだけど、面倒だからね。それにしても、やけに興味を持つね。そんなに僕らが見える人間に興味がある?」

「ちょっとだけ。もし俺と歳の近い子が見えることが出来たら、友達になれるかもしれないって思って」


 この山には、俺くらいの歳の妖怪は他にいない。鹿王は話し相手にはなってくれるけど、遊び相手じゃない。一緒に遊んでくれる友達がいたら良いなって、つい思ってしまうんだ。


「人間でも良いから、友達が出来たらいいのに」


 こんな事を思ったのは、やっぱり普段からどこか寂しいと感じていたからかもしれない。この日山に来た高校生の一団の中にもしかしたら見える人がいないかと探したけど、そんなのは一人もいなかった。






 それから数日たって、山の麓にある町で夏祭りが行われていた。出店が並んでいて、いつもは暗い夜の町を明るい光が包んでいる。

 俺はそんな祭りの雰囲気が好きだ。人間には俺の姿が見えないから、綿菓子を買うことも、金魚すくいをすることもできない。

 それ以前に、妖怪である俺はヌシ様以外の神様の領域には迂闊に入ることが出来ないから、近くから眺めるのが精いっぱいだ。

 それでも、そんな風景を眺めているだけで何だか楽しい気分になるから不思議だ。

 だから俺は鹿王に祭りに行ってくると言って、住処を出た。鹿王は止めるわけでもなく、あまり遅くならないうちに帰ってくるんだよと言って見送ってくれた。妖怪に遅くなるなと言うのも、何だかおかしな感じだけど。




 背中に生えた羽で夜空を飛ぶ。俺はカラスの妖怪。普段は邪魔にならないよう、羽は出していないけど、空を飛ぶ時は別だ。それと、思いっきり力を使う時は自然と出てしまう。

 たしか祭りがあるのは、山の途中にある社を抜け、その更に先にある神社だ。きっと今ごろ、人間達は祭りを楽しんでいるのだろうな。俺も早く行って交ぜてもらおう。


 だけどその時ふと、山の中の社に近づく影があることに気がついた。

 妖怪じゃない。人間の、女の子だ。


 そこにいたのは俺と同じくらいの、つまりは十歳くらいの女の子。祭りに行くならともかく、こんな時間にこんな人気の無い社に、どうしているんだろう?それも一人で。

女の子が入って行った社は、俺達のヌシ様を祀っている。だけどすっかり寂れていて、もちろん祭り何の関係もない。


 気になった俺は、地面に下りて、背中の羽を消して、ゆっくりゆっくり近づいてみる。もっとも、こんな風に慎重にならなくったって、あの子は俺のことなんてわからないんだろうけど。

 それでも一応抜き足で忍び寄ると、女の子は社の境内で寝転がっていた。

 何をしているんだろう?更に近づくと、女の子の顔がハッキリと見えてくる。そして、目から流れている一筋の涙にも気づいた。


「泣いているの?」


 気が付けば、そう声をかけていた。どうせ俺の声なんて聞こえないはずなのに。

 だけど女の子は、途端に頭を上げて俺を見る。見開いた目と、血色の良い頬。同じ歳くらいの子をこんなに間近で見たことなんてなくて、見つめるその子のことをつい可愛いって思ってしまう。そうして少しの間目を放せずにいたけど……


「わっ!」


 一瞬、何が起きたのか理解がおいつかなかった。

 背中から地面に倒れて、仰向けになる俺。少し身を起こすと、女の子は慌てたように背を向ける。その時になってようやく、俺はこの子に突き飛ばされたと言うことに気がついた。


(いきなり突き飛ばすなんて、乱暴だなあ。突然声をかけられてビックリしたのかもしれないけど、人間って皆こんな風に乱暴なのかな。って、あれ?)


 ここでようやく気付く。この子はどうして驚いたんだろう?俺を突き飛ばすことができたんだろう?もしかして、俺のことが見えてる?

 そう思った時には、女の子は駆け出していた。神社の敷地から離れ、山道を駆けて行き、だんだんと離れていく小さな背中。だけどこの暗い中、山道を走るのは危ない。


 気が付けば俺は、再び羽を生やして女の子の後を追いかけていた。

 俺は空を飛べば、人間一人を追いかけるなんてわけ無い。それにこの山は俺の庭みたいなもので、追いかけっこなら負けはしなかった。みるみるうちに距離を積めて、もう少しで届くと言う所まで近づいた時、女の子が木の幹に足をとられて、大きくよろめいた。


(危ない!)


 思わず手を伸ばして、女の子の腕を掴む。追いかけてきてよかった。もし間に合わなかったら、この子は今頃地面に顔から落っこちていただろう。


「危ないよ」


 まったく、夜の山の中で走ったりするからこんなことになるんだよ。俺がいなかったら怪我をしてたかもしれないよ。

 だけど助けた女の子は、俺を見て固まってる。気のせいか、顔色も悪い気がするし、大丈夫だろうか?そう思っていると。


「妖怪!」


 女の子の震える声を聞いて、俺は自分の背中に生えている羽に気がついた。この子、明らかに俺と、背中の羽に目を向けている。と言うことは――――


「あ、やっぱり俺の事見えるんだ。そんな人間初めて見たよ。きっと、よっぽど高い霊力を持っているんだな」

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