第8話 昼食の時間、そして……
「くっ……おいしい……」
マドリッドは悔しそうにつぶやく。
食堂の縦に長いテーブル上には、4人分の料理が置かれている。他にも、テーブルクロスの上には人数分の高そうなグラスにお皿、木製のフォークやナイフといった食器などが置いてある。食器が銀製でないことを除けば、いかにも優雅な食卓と言える。
ーーしかし、置かれていた料理のチャーハンはその雰囲気に馴染んでいなかったが。
しっかりと
「セバス、この米の山は何ですか? ……本当にあなたが作ったのですか? 掃除もろくにこなせないあなたが?」
今のマドリッドは驚き以外の何でもないのですが、といった顔だ。
「いや、お前の掃除の向き不向きの基準がおかしすぎるって……これは俺特製、ニンニク黒チャーハン! 俺が持参した
その瞬間、マドリッドが石像のように固まって動かなくなった。目にも止まらぬ速さで、マドリッドは陽一の首元にナイフを突きつける。
「ま、待て! 確かに、黒っぽいのは見た目的にはどうかなと思うけどさ」
「そういう問題ではありません。……セバス、いくら無能の貴方でも、吸血鬼の弱点ぐらいは知っているでしょう」
陽一に突きつけられた凶器と彼に向けられた眼。
そのどちらも、氷のように冷え切っていた。
「十字架、太陽に銀製の武器……それに」
「ニンニク、です。……セバス、覚悟はできていますね?」
主人の苦手な食材どころが、主人の命奪いかねない物を自らすすんで出すとは無礼以外の何物でもない。
マドリッドは今すぐに
「……だけど、お嬢様ってニンニク大好きだろ?」
「…………え?」
マドリッドが振り向いた先には、スプーン片手にニンニクチャーハンを頬張るメアリの姿が。
食べることに集中しすぎて、彼女は一言も話さない。
しばらくして、皿のチャーハンを全て食べ尽くしたメアリの顔はすごく満足気だった。
天にものぼる気分だったのだろうか、彼女の腕はダラリとたれ下がり、顔ににへら笑いを浮かべている。
「うま〜い…………」
「え、こ、こんな……こんなことが……」
マドリッドはかなり動揺していた。普段の冷静な彼女の様子からは想像もできない。口を手で押さえている。
マドリッドはメアリのこんな姿を見たことがなかったのか、それとも彼女の好物を知らなかったのか、あるいはその両方かもしれない。
チャーハンによって骨抜きにされたメアリの姿をカメラで撮ってからかいたい陽一だったが、それをやると自分がどうなるかわからない。グッとこらえた。
「で、どうだ? さっきは天国に行きそうって感じだったけど」
ーー今もそうか。
「……ハッ! ……そ、そうね、まぁまぁってところかしら。よくやったわ、セバス」
まぁまぁねぇ……本当かな〜?、と陽一はついニヤニヤしてしまう。
「……な、なんで笑うのよ。とにかく! これからは料理はセバスとクロードで交代しながらやりなさい」
「お嬢様。私は……」
「あ……マリーは……うん、ごめん」
「なぜ謝られるのですか⁉︎」
マドリッドは驚いて目を丸くしている。メアリの前だとこうも感情豊かになるのか。
陽一がそう思っていると、クロードがこっそりと耳打ちしてきた。
「マドリッドはあまり料理が……正直言って、不得意なのですよ。初めて料理を作ってもらった時など、もう……食堂が地獄絵図でございました」
「え。流石にメアリが泡吹いて倒れたとかは……ないですよね」
無言でクロードは陽一から目をそらす。そっと耳をすますと「ケーキがしょっぱくて……砂糖とお塩が……」と彼がつぶやいているのが聞こえる。
……マジか。
「じゃあ、セバス。今日の夕食は何? 言っとくけど、拒否権はないわよ」
「あ、あぁ……いいけど……」
まぁまぁと言っていた割には、ウキウキしているメアリ。それでも遠回しに作ってくれ、とメアリが言ってくれたのは素直に嬉しかった。その期待には答えたいのだが……
「いいけど、俺チャーハンぐらいしか作れないぞ?」
「え?」
陽一以外の全員の言葉を最後に、しばらくの間食堂は静寂に包まれたという。
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日が沈み月が上空で輝く頃、メアリは陽一を再び部屋に呼び出した。お茶と菓子を約束通り持っていったので彼女はご機嫌だ。今は鼻歌を歌いながらクッキーをかじっている。
「……昼食の時マドリッド、最後なにげにガッツポーズしてたな」
「よっぽど悔しかったのね」
料理面でマドリッドが陽一に劣っていたことがよほどショックだったのか、彼がチャーハンしか作れなかったことが、彼女にとっては唯一の救いだったのだろう。
「そういえば、マドリッドが言ってたけど吸血鬼にとってニンニクって弱点なのか?」
「愚問ね。答えはNOよ。ただ嫌いな吸血鬼が多いってだけ」
もし吸血鬼の多くがピーマンを苦手としていたら、『吸血鬼の弱点はピーマン!』とでも伝わっていたのだろうか。
メアリは私室の机に座り、頬杖をしている。はぁ……と退屈そうにため息をつく。
「そっか」
昨日から恒例となったミーティング イン メアリの部屋。
自分から呼び出しておいてメアリは現在読書中だ。ぴらぴらぴら~とページを退屈そうにめくっていく。
……全く勝手なやつだ。
「それにしてもセバス、あなた……本当にあのちゃーはん、というやつしか作れないの? 本でも読んで勉強なりなんなりすればいいのに」
……そうすればもっとできるってついてくる言葉だよな。
だけど、
「いや、俺はいいよ。やっても意味なんてないし」
「……セバス、意味のないものなんて無いのよ」
メアリは本を閉じてまっすぐ陽一の方を見る。
「知っていればもっと良くなっていたかもしれない、なんて後悔を私はしたくない。だから私は本を読んでいる。二度と、間違いを繰り返さないように」
そう言った彼女の綺麗な赤色の瞳に映ったのは、過去への後悔と悲しみの色だった。
ーー俺は……
「ホイ、これでも読めよ」
「な、何? 急に近づくな」
陽一は電子書籍用のアプリを開き、メアリの乗っていたベッドの横にスマホを置いた。
「それ、騙されたと思って読んでみ。すごい面白いから」
「……見たことない絵本ね」
以前のやりとりでスマホの操作法を理解したのか、早速使いこなしている。その細い指で勢いよく画面を横になぞっている。
「……なぜコレを私に?」
「いや、ただ……」
ーー俺は
「無知への後悔、ていうのもありだと思うけど、読書って楽しむものだろ? それ、試しに読んでみなよ。つまんなかったら返してくれればいいからさ」
「お前……」
メアリは驚いたように陽一を見つめ、笑った。
「セバス。早いけど、今日はもう部屋に戻りなさい。私はこれから読書タイムに入るから」
「……おぉ、おやすみ。感想待ってるぜ」
そう言って、陽一はドアをゆっくりと閉じた。部屋にはメアリ一人だけが残される。
また一人ぼっちの部屋に逆戻りだ。
「……この私が人間相手に気をつかうなんてね」
そして、メアリはうっすらと笑みを浮かべ、渡された漫画を読み始めるのだった。遠目で見ていた彼のスマホのパスワードをキッチリとメモした後で。
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「……意味のないものなんて、ない、か……」
陽一がメアリの館で働き始めて本日で2日目。
ため息をつきながら、陽一は彼女に与えられた自室に戻る。
「あ〜疲れた」
陽一はベッドに飛び乗りうずくまる。
「お疲れさん」
「!?」
自分しかいないはずの自室に誰かいる。
その事実は陽一を戦慄させた。彼が飛び起きると、ドアの前に面識のある男がいた。
「……はは、また会ったね、おにぃさん」
そこにいるのが当たり前のようにその男は立っていた。
「アンタは……昼の買い出しの時にいた……!!」
「あ、覚えててくれたのか。いいね君。好感持てるよぉ」
買い出しの時に、陽一に声をかけた20代のコート姿の男性。
「今日の昼食から夕食までの会話、聞こえてたけど大変だねぇ君も。主人のためにあんなに働いてさ。疲れるのも当然だよ」
しかし、男の服は初対面の時のスーツ姿ではなく、白いシャツを身につけていた。ズボンは会った時と同じ、黒色。会った時につけていたネクタイもしていなかった。
「それよりも、さ、君。この屋敷を案内してくれる? マドリッド、だったっけ? 僕を彼女の部屋に連れて行ってくれるかい? さっき落としものを見つけてね、届けに来たんだけど渡すタイミング逃してしまってね」
「……嘘つけ、仮にもそんな善意のある人間が不法侵入の上に盗み聞きなんてするかよ。プライバシーの侵害だぞ」
この男の正体を察して、陽一はいつでも逃げられるように準備をする。
ーーこの男は危険すぎる。
「ありゃ、君がアホだったら楽だったのに。……君はちょっと賢すぎた」
その瞬間、男の腕が勢いよく振るわれた。
逃げようとした陽一の目の前に何かが刺さる。
ーーメスだ。腹を切る際に用いられる手術道具だったか。
さらに男は指を鳴らし、その直後に開いたドアから何かがなだれ込んできた。
……死体。
「さぁみんな、彼を逃がさないようにね。みんなはいい子だから、僕の言うことを聞いてくれるよねぇ?」
その男は
危うく胃の中のものを戻しかけた。
「……お前が……!!」
動く死体達は全て女性ーーその中には新聞で見た人もいた。
やはりこいつが……!!
「言い忘れてたねぇ。僕はジョー……新聞ではバラ死体のジョーって呼ばれてるよ。よろしくね、おにぃさん」
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