真夏のデザート

 夏休みに入ったって、夢魔退治はなくならない。ううん、むしろ夏休みだからこそ、って感じ。

 夜更かししたって、昼間に寝ればいいもんね。次の日の心配をしなくていいって、いいわぁ!


『こら愛良、はしゃいでないでさっさと夢魔を探さんか』


 サロメのお小言を毎晩のように聞かないといけないのはアレだけど。


 そういえば、サロメって女の人の名前なんだよね。なんでコイツの人格がじじぃなんだろう。実はおかま――。


『余計な詮索はせんでよい』

 へいへい。


 お父さんの病院に来る患者さんが最近悪い夢を見るって相談してきて、様子を見に来たんだけど、やっぱりこれは夢魔の仕業みたいだね。夢の中に入ったら、景色は普通の夏の住宅地なのに夢魔が見せる夢独特の重苦しくまとわりついてくる雰囲気を感じる。

 よっし、気合い入れるぞ!




「おかえり愛良。どうだった?」


 戦いをちゃちゃっと済ませて戻るとお父さんが笑顔で迎えてくれる。


「うん、やっぱり夢魔のしわざだったから、やっつけてきたよ」

「それはよかった。……終わったところすぐに次の話で悪いんだけど」


 お父さんがそう前置きをして、話し始めた。

 大阪湾の方で、よくない気配が集まってる兆しがある、って「夢見ゆめみの集会場」から連絡があったらしい。明日でいいから様子を見てきてほしい、ってお願いされたんだって。


「もしかすると、今までよりちょっと強い夢魔が出るかもしれないから、その場合は無茶はしないで様子だけ見てきてくれ、ということだ。その場合、他の狩人の手が空いたら早急に対応するから、って」

「うん、判った」


 強い夢魔の可能性か。そういう仕事も少しずつ回ってくるようになってきたのは成長したってことだよね。




 次の日、お父さんの運転で大阪湾に向かった。

 今日は近くで花火大会があったみたいで、反対側の車線は帰る人達の車でいっぱいだ。たくさんのヘッドライトに照らされた歩道を、浴衣で綺麗に着飾った女の子達とか、家族連れとか、アロハシャツ着たガラの悪そうなお兄さん達とかが楽しそうに、でもだるそうに歩いてる。


 いいなぁ、花火綺麗だったんだろうなぁ。お父さんの仕事のこととか考えたら、自分で行けるようになるまでは無理っぽいのは判ってるけど。


「いつか、見に来ような」


 お父さんがぼそっと言った。もう、そんなふうに言われたら文句言えないじゃん。


 海岸通りから少し離れた見晴らしのいい駐車場に車は停まった。釣りをする人達がよく利用するところなんだって。


 海の方は真っ暗だ。海岸にそって道路にある外灯とか、建物の明かりがいろんな色であたりを照らしてて、そのコントラストがなんだか面白い。


「今日は周りが騒がしいから、もっと少ないと思ってたのに」


 お父さんがつぶやいた。魚が人の声とか賑やかな音を嫌って、こういう日は釣れないから、釣りをする人も少ないだろうと思ってたみたい。なのに駐車場には車が四台も停まっている。


「こんな時間から釣るの?」

「いや、今やってないなら朝釣りだな。夜は車で寝て明け方に海岸に出て釣るんだよ。魚は明け方ごろに朝ご飯だからね」


 なるほど。もしかすると、夜騒がしくてやっと静かになった明日の明け方こそがチャンスと、ここにいる釣り人達は狙ってるのかもしれない。


「愛良も寝てていいぞ。様子を見に行くのは夜中だからな」


 そうだね。戦うことになるかもしれないし、今のうちに寝ておいた方がいいかも。

 ライトバンの後部座席に移って、タオルケットかけて寝ることにした。


 お父さんがくれたお守りをポケットに確認して、おやすみなさい。


 このお守りは、狩人が寝ている時に夢魔に襲われないように、って夢見がくれるもの。お父さんの夢見としての能力って結構高いらしいから、心強いよ。




「愛良、そろそろだぞ」


 お父さんの声に、わたしは反射的に跳ね起きた。

 車の窓から外を見ると、寝る前には明るかった街の光がほとんどない。

 外に出ると、潮を含んだ風と、防波堤や堤防に打ち寄せる静かな波音がわたし達を包む。見た目も暗い世界をさらに雰囲気をも暗くしてる。


 お父さんが周りを見回して人目がこっちに向いてないのを確認すると、空に手をふわっと伸ばして振った。わたし達を中心に薄い膜がドームのように広がる。


「これは?」

「結界みたいなものだよ。こっちから外は見えるけど、外から内側は見えない」


 マジックミラーみたい。


「夢見ってこんなこともできるんだ」


 夢魔の存在も、夢見や狩人の活動も、みんなを不安にさせないために秘密にしなければいけないことになっている。そのための力なんだね。


「うん、そう言えば愛良にはあんまり夢見の話はしてなかったな」


 お父さんが言う。夢見は、夢の世界と現実世界をつなぐトンネルを作るだけじゃなくて、さっきのお守りも作れるし、結界も張れる。狩人が夢の中に閉じ込められないように、夢の状態を安定させてくれたりもするみたい。


「すごいんだね夢見って」

「狩人だって、夢魔と戦うのにいろいろと魔力を駆使できるからね。適材適所ってことかな」


 そう言えば、前の戦いで夢魔にとどめを刺す以外の力を使ったんだった。もっと強くなったら、前にアロマさんがしてたみたいに、光の弾とかも撃てるようになるんだね。


「さぁ、そろそろ始めようか」


 お父さんが言うと、地面に手をかざして渦巻トンネルを作ってくれた。


「それじゃ、気をつけて。もしも強い夢魔だったら無理せず帰ってくるんだぞ」


 お父さんの心配そうな顔にガッツポーズで応えて、わたしは腰にさげてある木刀とサロメの柄の感触を確かめた。

 よし、準備ばっちり。


「行ってきまーす」


 足元にある渦巻きの中に、勢いよく飛び込んだ。


 すとん、と降り立ったのは、混沌とした夏の風景の中。

 とある一角では夏の高校野球大会が開かれてるし、反対側では、白い砂のビーチで色とりどり水着を着た女の子達が白玉団子の乗ったかき氷を食べているのを、うるさそうに見てるおっちゃんがいる。別の場所では、朝顔とかひまわりとかを観察しているすっごく日焼けした子供に付き合う、麦わら帽子をかぶってだるそうな顔してるお父さんもいたりする。


 これは……、一人の夢じゃなさそう。


 そうか、釣りに来てる人達みんなの夢が合わさってるんだ。夢の中が繋がってるってこういうことなんだね。


『そうだな。複数の夢が合わさった、ひとつの形だ』

「いつもこんな感じってわけじゃないんだ?」

『うむ。境目がなく、歩いて行ったらいつの間にか違う者の夢に入っているということもある』


 へぇぇ、夢の中っていろいろで、詳しいことが判ってないって言われてるだけあるね。


『今は何もなさそうだが、気を抜くな愛良。嫌な空気がただよっとる』


 うん、と短くうなずいて辺りの気配を探る。景色に惑わされないように、目を閉じて体中の感覚を研ぎ澄ませるように、静かに、深く、呼吸する。


 空気が変わった! 冷たい。氷で冷やした手で体中をなでられたみたいにも感じて、ぞくっと体が震える。かと思ったら、全身を針でつつかれているみたいな痛みも感じる。

 明らかに何かが来る予感に、わたしは目を開ける。


 って、なにこれ!


 夢魔の核が現れる前兆の、暗いマーブル模様なのは変わらないけど、あたり一面、巨大な氷の塊だ。幾重にも連なって重々しい雲からは雪が舞い落ちてくる。かと思ったら雲の隙間からカラフルな光が見える。あれはオーロラ? ここってどこよ?


『夢の中だな』

 そこ、現実的なツッコミいらないからっ!


『愛良、来るぞ』


 サロメの声と同時に近くの氷が割れて、水しぶきを上げながら魚が飛び出してくる。体を開いてかわして、サロメに手をかけた。


『まだワシの出番ではないな』


 なんとなく予想できてたけど、いざ言われるとムカっとする。

 お母さんの木刀を抜いて、飛んでくる魚を正面から打ちすえた。横から飛びかかってくるヤツには刀を水平にして払い斬りだ。


 それにしても寒い。空気が痛い。呼吸すると体の中まで凍りそうな感じがする。鼻や口の中は当然、胸も痛いよ。実際の北極だか南極だかは、これとは比べ物になんないんだろうけど、なんたってこっちはTシャツ短パン生足だもん。


 魚が跳ねかけてくる海水も冷たい。それに塩っ辛いんだよ。目にかかったら染みそう。気をつけないと。

 延々と小魚達を木刀で叩き落してく。まさに雑魚って感じだけどいい加減疲れる。


「さっさと出てこい。こんなザコぶつけてくるだけじゃ、わたしは追っ払えないよ!」


 わたしの怒鳴り声に反応したみたいに空気が、というより夢の中、全体が細かく振動しはじめる。


 ――来る!


 数メートル先の氷が、物凄い音を立てて割れる。崩れ落ちる氷を掻きわけて姿を見せたのは、巨大なシロクマ!


 でもなんか、アニメ調なんだけどっ。顔とかすごく可愛いんだけどっ。これが、夢魔の核?


 えー、ちょっと戦いたくないよ。むしろもふもふしたい。柔らかそうな毛皮にくるまったらあったかそう。


『見た目に惑わされるな、ばかもん!』


 サロメに怒られて、はっとした。


「そうだった。いでよ、我が魔器サロメ!」


 サロメの柄に手をかけて引き抜く。研ぎ澄まされた、一点の曇りもない刃が周りの光を受けてキラキラと輝く。うん、いつ見ても綺麗。


 シロクマちゃんからはすごく嫌な「気」を感じる。これが間違いなく核なんだろう。でも、ねぇ。なにこのギャップ。


『来るぞ。構えぃ』


 大きな体とは似合わない、ちょこちょこと可愛い動きで、シロクマちゃんが振りかぶった。

 腰を落として、どんな攻撃がくるのかと身構えるわたしの前にシロクマちゃんが投げ放ったのは。


「アイスクリームですとぉ?」


 そう、棒に刺さった、バニラアイスクリームが飛んできた。

 横に軽く飛んでよけた。地面に落ちたアイスクリームはすぐに溶けていく。


 シロクマちゃんが、ぐもぉ、と悔しそうに唸った。ちょ、目がバツ印になってる。いちいちなんでそんなに可愛いの。

 と思ってたら、またシロクマちゃんが振りかぶる。

 よし、アイスを投げた隙に懐に飛び込んで斬る。


 相手が腕を振り下ろした。

 大量のアイスがばらまかれる。バニラだけじゃなくてストロベリーやチョコレートやブルーサワーなんかも。うわ、予想外。

 こっちに飛んできたのをサロメでたたき落とす。なんとか直撃は免れた。


 攻撃の後の隙に飛び込もう。

 また目をバツ印にして悔しそうにしているシロクマちゃんに走りよる。


 みたび、腕をふりかぶった。もう喰らわないよ。攻撃の軌道は判ってる。

 アイスを避けるために一旦斜め後ろに飛んでから、もう一度つっこんで――。


 げっ、アイスじゃない!


 飛んで来たのは巨大な釣り針。判ってるけどよけられない。短パンのベルトの紐のところに針が引っ掛かって、すごい勢いで体が持ち上げられた。


 シロクマちゃんは、ぐおーぐおーと喜びの雄たけびを上げている。今度は目がハートマークだよ。嬉しそうな顔がかわいい。反則だそのラブリーさ。


 とか言ってる場合じゃない。何とか降りないと。わたしはサロメを振って釣り糸を切ろうした。そこへ伸びてきたシロクマちゃんの手にサロメの切っ先が当たる。


「ぐおぁー!」


 それまでラブリーだったシロクマちゃんが、急にリアルマッチョな姿になった。何その筋肉ムキムキ、と思ったら浮遊感。シロクマが腕を振ったから釣りあげられてるわたしも振りまわされる。


 あ、ヤバい。このままだと海に落ちる。


 自由になれないならせめて衝撃を和らげようと、身を固くして衝撃に備えた。

 途端に冷たい水の中に体が沈んだ。その瞬間、体の周りの海水が凍りつく。


 げ。氷漬けって状態じゃないか。


 息ができない。どうしよう、苦しい。動けない。体中が冷たいし痛いのに、頭の中がかぁっと熱くなってくる。


 シロクマが氷ごとわたしを持ち上げて、周りの氷から食べ始める。やめろー。わたしはアイスじゃないっ。

 あああぁ、頭がぼうっとしてきた。もう駄目かも。


『愛良! しっかりせんか!』

 なんか、声がした。誰?

『前の戦いで得たものを思い出せぃ!』

 あぁ、サロメ……! 女の名前なのにじじぃなわたしの魔器……!

『やかましいわ』

 サロメの叱咤に思わず笑っちゃう。


 反撃しなきゃ。このままデザートで美味しくいただかれるなんて嫌。


 夢魔を倒す邪魔をするものよ、消えろ!

 魔力を体から放出するイメージを抱く。ぶわっと体から温かい気が噴き出して、氷を一瞬にして溶かした。


 宙に放り出された形になったわたしの目の前に、シロクマの鼻がある。


「夢魔の核よ、消えてなくなれっ!」


 サロメを思い切り敵に叩きつけた。シロクマの眉間に刃が突き刺さる。

 白く眩しい光が夢魔を包み込むと、断末魔の咆哮をあげてシロクマが暴れながら、小さなたくさんの光の粒に別れて消えていった。


 すとっと地面に降り立つと、周りはあの最初の混沌とした夏の風景に戻っていた。

 状況がばらばらの、切り取られて合わさったそれぞれの夏の風景が、すごく平和に見えた。


「ふぅ、終わったー」


 サロメを鞘にしまって、入ってきた場所に戻って、渦巻きトンネルにダイブした。


「無事終わったか。よかった」


 一瞬でトンネルを抜けて帰ってきたわたしをお父さんが迎えてくれる。


 外からは夢の中がどうなってるか、詳しくは判らないらしい。こっちと夢の中をつなぐのに集中しているから雰囲気みたいなものは判るみたいだけれど。


「うん。今回も大勝利。でも疲れちゃった」


 結界の中から外を見ると。東の方がうっすらと白んでる。結構長い間、夢の中にいたんだね。

 お父さんはわたしの頭をぐりぐりとなでて、にっこり笑った。


「すぐに家に戻ろう。ゆっくり寝るといいよ」


 うなずきながら、車に乗り込んで後ろの座席でタオルケットにくるまった。




 家に帰るまでの車の中で、わたしはすっかり眠ってしまったみたい。目が覚めたら自分の部屋だった。お父さんが部屋まで運んでくれたのかな。日がすっかり昇って、もうお昼近くっぽい


『お主が重くなったと、父上がひぃひぃ言うておったぞ』


 うわっ、びっくりした! サロメまだここにあったんだ。


『お主のあまりの重さに疲れきって、ワシを仕舞うどころではなかったようだな』

 重い重いうるさいよ。

『たわむれに娘背負いてそのあまり重きに泣きて三歩歩めず』

 盗作まがいの短歌まで詠んでしつこいよっ。


『それにしてもこのたびの夢魔は厄介だったな。ワシゃ腰が冷えて難儀だ』

「腰っ。剣の腰ってどこよ」

『ここだ、ここ』

 サロメがかたかたと震えた。判らんって。

『とにかく手入れはきっちりとして、あったかくしてくれ』

 蒸し風呂にでも入れてやろうか。

『魔器虐待だぞ』


 そんな漫才みたいなやりとりをしてると、部屋のドアがコンコンと叩かれた。


「愛良、起きたか?」


 お父さんだ。

 飛び起きて部屋のドアをあけると、目の前にどーんとシロクマのイラストがっ。


「なっ、何?」

「今までよりも強い夢魔を無事倒せたご褒美に、おまえの好きなアイスクリームを買ってきたぞ。奮発したんだぞー」


 お父さんはシロクマのイラスト入りの箱をふらふらと振って、にこにこしてる。


 シロクマ、アイス。

 今朝の闘いが頭の中でフラッシュバックした。大口を開けてわたしを食べようとしてるシロクマが……。


「いらなーい! シロクマいやー!」


 部屋を飛び出したわたしを、不思議そうな顔したお父さんが見送った。

 まだまだ暑い日が続くけど、当分アイスクリームはいらない!

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