第21話 アレクサンドリアの大灯台 後話
◇
「それにしてもなんだ、お見事としか言いようがないね二人とも」
暫くして、先程と同じ路地裏の脇に建つ、建物の屋上に四人は上がっていた。陽炎の背中から苦無を抜きながらサージェスがそう話すのが聞こえてくる。
「ずっと見てたのか、最初から?」
徐次郎の背に手のひらを置きながら、めんどくさそうに街並みを眺めているレイミリアは、頬を膨らませて怒ったままの様子だ。
「駆けつけたのは少しだけ前さ。車を見に街についたら、お嬢ちゃんが頭痛いって言いだしてね。おそらくだけど魔に対して過剰なくらいのアレルギー反応が出るみたいだね、彼女。」
「アレルギー、はんのう?」
サージェスの説明に首を傾げるレイミリア。徐次郎がその様子を見て、重ねてサージェスに尋ねた。
「なんだってアレルギーなんか?このお嬢ちゃんは普通の……」
「残念だなぁ、徐次郎。僕と君との仲はそんなものだったのかい?」
言いかけた徐次郎の言葉を遮り、サージェスが語りだす。手元はしかし器用に陽炎の治療を続けている。
「そもそも、僕の目にはその彼女、眩しすぎて見えないくらいだ。」
「……お前な、こういう場でそういうナンパなことは……」
「シャラップ!そっちの意味では言っていない。僕はサーニャのことひと筋だ!」
予防線を張るようにサージェスはそう言うと、レイミリアを見て言葉を続けた。
「あの倉庫で、乗り物ごしに見たけどお嬢ちゃんの生命力はとびぬけて高い。一緒にいた小さい子の方は逆にあやふやに見えて頼りないくらいだけど、この娘は驚きだ。噂に聞く『マルアハ』最高位のマーリン様かと最初は思ったくらいだ」
サージェスの説明に徐次郎は驚く。陽炎は背中に注射を打たれながら興味深げに聞き耳を立てている。
「俺も最初にこの娘に会った時、まるでマルアハ様かと思った。やっぱお前にもそう見えるか?」
「ああ。というか徐次郎、マーリン様のことをマルアハ様って呼んでいるのか?」
「おう。だって下の名前を呼び捨てはまずいだろう?違うか?」
「そうかそうか。日本人は上に家名と下に名前だっけな。それで親しくならないと、下の名では呼ばない」
「そりゃそうだろう。しかも、男同士ならともかく……」
「なんだ?って、お前、まさか、……会ったことが、あるのか?マーリン様に?」
徐次郎の言葉にサージェスが顔色を変えた。
「……」
そのあまりの形相に、徐次郎は黙りサージェスを見た。
里にいる者達にとっては、マルアハ様との謁見は割と当たり前なできごとだ。しかし他所の、本来はマルアハではなかった組織の人間からしてみれば、彼女の逸話と相まってそれこそ神話的な存在となっていることは知っている。
「サージェスはそう言えば、もともとはマルアハじゃなかった所の所属か」
確認するように徐次郎はそう聞いてみた。
「ああ。……というか今更だな。」
徐次郎の問いにそう答え、サージェスはさわやかに笑う。
今から九年ほど昔、徐次郎がまだ二十二歳の頃、彼の育ての親である北条士元が謎の死を遂げた。齢五十から再び最前線に立ち、名を落としかけていた『マルアハ』の知名度を再び急浮上させた英雄の死。
葬儀はアメリカにあったマルアハ本部にて、半ば大掛かりなイベントのごとく大々的に催された。本家は親族のみの密葬をと申し出たのにも関わらず、本部を仕切るマーカス家の連中が強引な手段で葬儀の一切を取り仕切り、後々に物議を醸しだした件でもある。
その葬儀の席で、泣きじゃくるひかりと徐次郎に話しかけてきたのがサージェスだ。その時二人は既に婚儀が済み、第一子の賢王を抱きながら出席していた。
サージェスは自身のことを、士元の一番弟子だと、たどたどしい日本語で名乗った。顔中を涙に濡らし、みっともない顔をしていたと徐次郎は記憶している。隣に座っていた陽炎が、気持ち悪いものを見るような目で睨み、手にいきなり小刀を構え危なく大騒ぎになる一幕でもあった。
「確か……レオンニだったか」
不確かな記憶を元に徐次郎がそう尋ねる。
「惜しいな。レオニ・クルセイドだ。だが俺は士元様に拾われて、以後はマルアハ一筋だ」
「さっきの道具は?そのレオニ・クルセイドの隠し玉かなんかか?」
「うん?こいつか?」
そう言ってサージェスは、陽炎の背中の治療を終えたらしく徐次郎達の方へ振り返ると、先程まばゆい光を放ったペンライトを取り出して見せる。
「これは普通に通りに売っていたライトだ。こうやって持って振るものらしい。」
言いながらサージェスはペンライトを振り回してみせた。
「なんだそりゃ?まるで道路工事で使う指示棒みたいだな」
「っかー!これだからオジサンは、新しい文化にまるで理解がない。」
徐次郎よりも年長のはずのサージェスが、そうボヤくように言う。
「……リアライズ」
徐次郎の背後で、レイミリアがそうつぶやくのが聞こえた。途端にサージェスと徐次郎の口元を白い布が覆う。
「オジサンズ、ちょっとうるさい。治療に集中できないから!少し黙ってて。」
そう言ってレイミリアは、二人を後に陽炎の方へと歩いていった。
◇
「あの、ありがとう……」
辺りがすっかりと見渡せる建物の屋上で、陽炎が背に手を当てて治療をしてくれているレイミリアにそう声をかけた。
「気にしないで。……まったく、ジョジさんたら。これ傷跡残っちゃうかな?」
レイミリアはそうつぶやくと、両手を胸の前で重ねる。
「……リアライズ」
そうつぶやいたレイミリアの手から、銀色の光が漏れこぼれる。そうしてその光に照らされた陽炎の背の傷が、見る見るうちに修復されていった。
「……ふぅ、よかった。目立たなくなったわ」
それどころではない。既に陽炎の背中には傷跡などどこにも見えないほどに、綺麗に治っていた。
「ほら、早く服を着て。そんな恰好じゃ恥ずかしいでしょ」
綽綽とした様子で陽炎を急かすレイミリアは、しかし相変わらずジャージ姿のままだ。そうして陽炎が上着を着なおすのを見終えると、今度は徐次郎達の方を向いて腰に手をあてた。
「ジョジさん!なんてことするのよ!命を何だと思っているの?」
赤いジャージ姿で金色の髪をなびかせ、高々にそう声を張るレイミリアの雄姿。それを見てサージェスは、恐れ多いと片膝をついてかしずく。屋上に足を投げ出して座ったままだった徐次郎は、目をまんまるにしてレイミリアを見上げた。
「大体の事情は、そこのサージェスさんから聞いたわ。なんだかいっぱい溜め込んだ思いがあって、それが苦しくて辛いのは、なんとなくしかわかんないけど……。けどだからって、身内に当たるのはないんじゃないの?陽炎さんだって精一杯やってるんだし、ジョジさんが諦めて投げ出しちゃって陽炎さんのせいにするのは間違ってると思う」
そう言われて徐次郎はサージェスの方を見た。その目は、お前いったい何を吹き込んだんだよ?と雄弁に語っている。しかし、かしずいたままのサージェスはそんな徐次郎と目を合わせようとはしない。
二人のその様子にレイミリアが更に声を荒げた。
「何をしらばっくれているのよ!エリザベートさんだっけ?その人がジョジさんに振り向いてくれないのも、そんな態度をとるからじゃないの!陽炎さんが邪魔してるわけないでしょ!妹なんだから。私にも似たような、血のつながらない兄がいるからわかるけど、できればさっさと結婚でもなんでもいいから家から出てってもらいたいわよ!そうじゃなきゃいつまでも大きなトラブルばっかり呼んで、それに巻き込まれる妹の身にもなれってものよ!」
いよいよ徐次郎には、レイミリアが何を言い出しているのかがわからない。すぐ隣のサージェスは微動だにせず、かしずいたままだ。
「いい?ジョジさん。女の子ってものは、基本的に乱暴な人は大嫌いなの。言葉があるんだから、何でもかんでも暴力を使って言うこと聞かせようって考え方がおかしいと思うものなの!それは理解してますか?ジョジさん!」
「あ、……はい」
徐次郎はレイミリアのあまりの勢いに、つい頷いてしまった。
「よろしい。そうしたら、もうひとつ。女性に対して上から目線ってのも、場合によるところがあるけど……ほとんどの場合はなし!それはどうしてかわかる?」
「え、えと……」
何を説教され始めているのかわからずに、徐次郎は口ごもる。
「何よ、わかんないの?はぁ……心底駄目ね。それじゃエリザベートさんが振り向いてくれないのも仕方ないわ」
レイミリアの呆れたようなその投げやりな言い方に、背後に座っている陽炎が思わず吹きだしてしまった。徐次郎はそれを見てキツイ目をするが、すぐにレイミリアの言葉が続いていく。
「いい?ジョジさん。人間なんて誰も彼も大差ないの。私達がどれだけ偉そうにしてみたって、足元の大地みたいに全ての命を支えるなんてできないでしょう。この空みたいに全部を包み込むことだって無理でしょう。それなのに、これっぽちくらいのことで自分の方が上だみたいな顔をされてごらんなさい。ジョジさんだって嫌な気がするんじゃない?」
「ん、まあ……」
「そうでしょ、今だって私にこうやって上から目線で偉そうなこと言われて、腹が立つでしょ?立たない?」
「ん……おかしな話だが、今は腹も立たない」
「でしょ!そうでしょ!腹が立つのよ、上からものを言われると」
……どうやらレイミリアは、徐次郎の答えはあまり聞いてない様子だ。
陽炎が可笑しそうにお腹を抱えているのが徐次郎から見えた。そうしてこのやりとりには流石にサージェスも噴き出してしまっている。
「だからあえて私がこの場で言うの!ここでちゃんとジョジさんがわかるように!ジョジさん、いいこと?女性は敬ってなんぼよ。男がいくら偉そうにしたって、女のへそを曲げるとどうにもならないんだから。うちのお父さんがいつもそう言って頭抱えてるわ。お母さんの機嫌を損ねると取り返しがつかないって。そういうものでしょ?違う?」
「ああ、確かにそうだ。」
「よろしい!じゃあ、ほら。陽炎さんに謝って」
レイミリアはそう言うと、一歩横へと移動する。間に立つレイミリアが横によけたことで、徐次郎と陽炎は互いの顔を見合わせて微笑む。
「その、なんだ。すまなかった、陽炎」
そう言って頭を下げる徐次郎。
「いえ、その、こちらこそ力及ばず、ごめんなさい」
陽炎はそう言うと、膝を揃え深々と頭を下げる。
「しかしなんだね、こうして見上げてみるとまるで、伝説の大灯台のようだね」
徐次郎のとなりで、いつの間にか平伏してかしづくサージェスが、顔だけを上げてレイミリアを見ながらそう言った。
「ドゥアトゥンバを築いた民たちにより、エジプトにもたらされた数々の英知。中でもギザにある大ピラミッドとここアレクサンドリアにあった大灯台は、他に類を見ない」
サージェスのその言葉に、徐次郎もレイミリアを見た。
遥か沖合に青いエーゲ海が見える。その手前に腰に手をあてて立つジャージ姿の女の子。金色の髪が昼過ぎてすぐの日差しを頭上から浴びている。その足元のすぐ先には、ファロス島のカーイト・ベイの要塞跡が遠く見えている。
「伝説の大灯台には見えねえなぁ。赤いジャージの金髪娘になら、見える」
「そんなだからお前は、女性からいらん恨みを買うんだよ」
隣り合って徐次郎とサージェスがそんなこそこそ話をはじめた。
「何、オジサンズ二人でこそこそと話し込んでるのよ。それよりほら、車さがすんでしょ?さっさと行こう」
レイミリアの声が二人の耳に届くと、オジサンズの二人は姿勢を正して返事をした。
「仰せのままに!」
◇
空に日はまだ高く、清々しい空気があたりを満たしていく。陽炎の手を引きながらレイミリアが下へ向かう階段を降りていく。その後を徐次郎とサージェスが並んでついていく姿があった。
その様子を、隣の建物の屋上からこっそりと見ていた人影が動く。
「アレクサンドリアのフィロスを語るか……。サージェスめ、やはりあの男、レオニの一派……」
そうつぶやくと、人影は屋上からかき消すように消えた。
Ψυχή :: 黄昏 - 2018 Common Era. Odyssey. 静香 仁 @Memen
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