第21話 アレクサンドリアの大灯台 前話

 音のない戦い、それは限りなく精密に繰り出される一撃必殺の攻撃が交差することで成る……。


 地を蹴る音や、刃が空を切る音、あるいはそれ以外にも、小さく響くわずかばかりの音はある。しかし今、アレクサンドリアにて切り結ぶ兄と妹の刃は、互いの致命傷を狙い音もなく振るわれていた。


 徐次郎の持つ小太刀は、背の腰に付けられた鞘の機能により常に刃先がナノサイズまで砥がれ磨かれた名もなき名刀である。元々は徐次郎の実の父が使っていたと、育ての親より譲り受けたときに聞いた。その時には小太刀ではなく、しっかりとした刀だった。

 度重なる獣系の魔障を、幾度となくその刀で封じ、それと同時にその魔に侵された獣たちを葬ってきた刀である。鞘に納めると自然と砥ぎと磨きが入り、そのせいで使うたびに刀身が減っていった。年間にして二百、あるいはそれ以上の退魔行を繰り返し十一年。今や刃渡りは一メートルを切り、小太刀として徐次郎の手にある。


 対峙する陽炎の小刀は、刀身に濡れるような文様を表している。いや実際に刀身が濡れていた。峰の側から刃先へと流れるような水の流れが映る。

 小刀自体は里の鍛冶屋に頼んで作ってもらったものだが、水術を得意とする陽炎の使いやすいようにと、柄と峰の部分に細工が施されている。油分で切れ味が落ちないようにと常に刃先を覆うように水の膜が張られ、その水分は柄へ吸い取られていく。素材に使われた酸化チタンが、刃の表面を覆う水分を常に膜状に広げ、そこに超電導の技術を組み合わせ流水のごとき流れを作り出している。

 この刀、音もなく対象を真っ二つに切断する。そうするのにたいして力もいらないため、陽炎は長い間愛用してきていた。


 アレクサンドリアの南部、ポンペイズ・ピラーがすぐ間近の入り組んだ市街地での戦い。路地の通りを少し行けば、パソコンショップやスーパーなども建ち並ぶ一角。昼日中のその場所で切り結ぶ二人の忍。

 時折表の通りを幾人かの人が通り過ぎていく。しかしそうした人々が、この路地で起きている異常な戦いに気づくことはない。


 徐次郎が音もなく路地の空へと飛んだ。それを見て陽炎が落下地点の少し手前へ動く。上空からそれを見越した徐次郎の目が、黒く光る。それにかまわず陽炎が、真上を通過する徐次郎に目掛け地面を蹴った。小刀は逆手で左手に握られている。


 足元の真下から飛び込んできた陽炎に向けて、徐次郎の右足が突き刺すように蹴りだされた。つま先に小さな刃が飛び出ている。

 陽炎の小刀がその刃を弾く。しかし音は鳴らない。衝撃と音を小刀の水膜が全て吸収してしまった様子だ。

 放物線を描きながら地面へと着地する徐次郎は、振り向いて陽炎の動きを探す。真後ろへと振り返り、反射的に小太刀を振った。


 小太刀の刃からガキっと、鈍い音がした。見ると一抱えほどもある丸太に小太刀が刺さっていた。

 その瞬間、徐次郎の背後に一刃の光が。それは徐次郎の右の肩口から腰へと煌めいた。刃の軌跡に水の膜が続く。つーっと流れるように線を引き、そしてその先にある小刀に吸い込まれていく。


 「クッ……」

 徐次郎の口から苦しそうに声が漏れた。その声を聞きながらしかし、陽炎は手にした小刀を横に薙いだ。努めて冷静な瞳から涙が線を引く。

 「兄様、次が最後です」

 そう言うと、小刀がもう一度、同じ軌跡をなぞるかのように引かれる。


 刀先から水の膜が広がっていく。その膜が徐次郎を包み込むように覆いかぶさっていく。

 一瞬の後、水の膜に覆われた徐次郎の足元から、徐々に水が勢いを増し膜の内側を沈めていく。

 「重水に薬を満たしてあります。……どうか安らかに……兄様」

 既に水中に没している徐次郎の顔が、驚きと苦痛に歪んでいる。それを見るのが偲びなく陽炎は水の固まりに背を向ける。

 その瞬間、水が弾けた。


 バンっと弾けるような音と共に、陽炎の背にも大量の水が降りかかる。驚き振り向くがそこに徐次郎の姿はない。

 焦る表情で上を向いたその時、陽炎の首に冷たい金属があてられた。


 「ヤハリ、ムリ、ナノカ……」

 陽炎の耳にそう声が聞こえた。どこか深い深淵から響くかのような、およそ人の出せる声ではない。

 「カゲロウ……」

 その言葉の後に何かを言いかけ、首元の小太刀がすっと離れる。

 「兄様……」

 崩れ落ちるように膝をつく陽炎の背に、小さな苦無がひとつ刺さっていた。

 「ウゴクナ。ソノママ、ジットシテイロ」

 膝をつき、顔をあげた陽炎の前に、顔の半分を黒い霧に包まれるように立つ徐次郎がいた。

 「兄様!」

 陽炎が叫んだちょうどその時、徐次郎の背後から真っ白な光が立ち上がった。その光は徐次郎の顔半分を覆う黒い霧に向かい、一直線に伸びる。


 「ちょ、ちょっと!出たら危ない!戻って!!」

 そう声が聞こえてすぐ、徐次郎の様子に変化が現れた。

 「ナニを……なんだってお前、こんな場所まで……」

 そう言って脇を見る徐次郎。その顔は既に、黒い霧が晴れている。

 「何だはないでしょう!ジョジさんこそ、こんな場所で陽炎さんに何してるのよ!」

 そう言って徐次郎の腰の辺りに組み付くように顔を出したのはレイミリアだった。

 「それに陽炎さん!サージェスさんから聞いたけど、あなたも頭、おかしいんじゃないの!血が繋がってなくたってお兄さんでしょう!それをなんで躊躇なく、水で溺れさせて息の音をとめようとなんてするのよ!おかしすぎじゃないの!頭!」

 レイミリアは心底怒っている顔だ。


 「けどどうやって?俺、正気を失ってたろう?そいつをどうやって止めたんだ?サージェス?」

 心底に不思議そうな顔で、徐次郎が後ろを振り向いて尋ねる。光の線が次第に治まっていくその先に、先程レイミリアを押しとどめようとした声の主が立っていた。

 「いや、なに。そのお嬢さんと一緒に車を下見に街へ来ててね、その道すがらにあったSONYの店でこのLEDペンライトが安く売りに出てたんだよ」

 そう言って、先程まで伸びていた光の線が収縮していく先にある、少し大きめのペンライトを振ってみせた。

 「……アレクサンドリアにSONYなんてねえだろ!それになんだそのペンライトは?」

 真面目に答える気のないサージェスに、徐次郎が怒りながらも戸惑うように聞く。すると

 「全部、そのお嬢ちゃんさ。びっくりだねまったく」

 そうサージェスは答えるとレイミリアを指さして笑った。



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