第20話 同日、同刻、各地にて 後話



 エジプトと時差にしておよそ十時間。深夜二時を迎えた、アメリカ、ワシントン州のシアトル、その場所にあるマルアハ本部ビルの屋上で、エリザベートが胸を抑えうずくまっていた。ヘリポートがあるこの場所には今はエリザベートしかいない。

 「ち、ちくしょう……、なんだってこんなに胸が苦しくなるのよ……」

 エリザベートは陽炎に施した暗示を跳ね返されるのを見越して、思いつく限りの対抗策を施してあった。暗示に用いた術には、ブードゥーの秘術を土台にしてある。ブードゥー自体は西アメリカを起源とする民間宗教だが、その発祥を遡るとアイルランドのドルイド教ともかかわりが深い。

 要は精霊術である。

 使役した精霊の力を借り、様々な奇跡とも呼べる事象をまき起こすことが可能なその術で、エリザベートは陽炎に「徐次郎が魔王に敗れ、魔障にかかり舞い戻ってきた」と思い込ませた。

 その術は本来であれば、見破ることも、ましてや打ち破り跳ね返すなどということも起こり得ない。使役した精霊は術者の意のままであり、その存在を看破できる人間はエリザベートの一族以外、存在しないとされているからだ。


 錬金術師のクロウに付き従い、徐次郎とも面識のあるイリアの存在は、マルアハの本部には伝えられていない。また、徐次郎が精霊の存在について知識があるということも、この時点ではまだ誰も知り得ない情報だった。


 「なんで?これまでだって思い通りになってきてたじゃない。ねえ、アンジー、あなたまさか私を裏切ってなんていないわよね」

 横風が次第に強くなり始めている屋上で、エリザベートがひとりつぶやく。

 「アンジー、なんでそんなふうに横を向いたままなのよ。なんとか言いなさいよ、あなた!」

 ヘリポートを照らす照明が夜空に浮かぶ雲を照らし出していた。

 「……なんでよ、今更そんな顔しないでよ。約束したでしょう、あなたは私の願いを叶えてくれるって。その代わりに私はあなたの望むものを与え続けるって」

 エリザベートの髪が風に揺れた。夜空を輝かせる光に照らされて、髪が金色に輝いて見える。

 「……何よ、どういう意味よ。私が真に望むものじゃないって、どういうことよ!私は徐次郎が苦しむ顔が見たいの!あの男が、悲しみに顔中を涙で濡らすのが見たいの!」

 叫ぶようにそう言うと、エリザベートの髪が更に空を舞った。

 「あいつは、私がせっかく仲良くしようと、差し出した手を振り払ったのよ!それ以来、話しかけても返事もしない。たまに連絡がつけば必要なことだけでさっさと切る。それにあの男、私に断りもなく結婚までしてて、子供までいたのよ!」

 声に応えるかのように、水滴が落ちる音がした。

 「何を泣くのよ、そんな顔をしなくてもいいでしょう。そうよ、傷ついたわよ。そうよ、わかってるわよ。私が勝手に好きになって、それで勝手に思い込んでいるだけだって。けれどそれだけじゃ気持ちがおさまらないのよ!それくらいわかるでしょ、あなたなら」

 再び水滴が、ピチョン、ピチョンと落ちる。

 「ふん、同情なんかいらないわよ。それよりもこの胸の痛みをなんとかして。徐次郎にあなたの術を破れるはずないわ。きっとアレキサンドリアのサージェスよ、あの嫌味な男があなたのかけた暗示を解いて、私に呪いか何かをかけてるんだと思うわ」

 そうエリザベートが吐き捨てるように言うと、今度は水が大量にその顔にぶつけるようにかけられた。

 「な、なにすんのよ!……え?」

 それきり、エリザベートの動きが止まる。何か思いもよらぬ言葉を、精霊から言われたのだろうか。

 風はエリザベートの髪を優しく撫でるように吹き、夜空を照らす光が雲を照らし出している。もうすぐ二月とは言え、今夜は氷点下にはならないようだ。厚めのコートに身を包み胸元を抑えうずくまるエリザベートには温かい夜と感じられているかもしれない。


 その頃、『たそかれ』からレイミリアの捜索にやってきたジケイとマニとロイの三人は、秋葉原を離れ何か所かを巡り、今はカリブ海のキューバを訪れていた。

 「ジケイ様、こちらはなんという場所になりますのでしょうか?」

 黒いスーツにサングラスをかけたロイがそう尋ねる。すると、

 「ここは稀代の名士が生まれた街よ!ロイも覚えておくがいい。この地に生まれた名士はな、なんとアニメが見たさに国を飛び出し、思想も文化も違うアメリカへと亡命した強者なのだ」

 まるで自分がそうであるかのように、ジケイはそう語りながら胸を張る。道行く人がまるで大道芸人を見るかのように、優しく微笑んで通り過ぎていった。

 「して、この地にレイミリア様はいらっしゃるのでしょうか?」

 少しだけ距離を置いた場所にロイとマニの二人が立ち、そう尋ねた。

 「ふはははは。知らん!」

 堂々とそう言い放つジケイの表情は歓喜に満ちていた。

 「ここへは一度来てみたいと思っておったのよ。こうして自由に世界中を回れる手段を得た今、ようやくその想いが叶った。ふはははは、ふはははははははははは!」

 地声の大きいジケイの声が、サンタ・クララの街に響き渡っていく。

 「ジケイ様、少々お声が大きすぎでございます」

 更に距離をとって、ロイが遠間からそう進言する。しかしジケイは踏ん反り返るように腰に手をあて、満足げな表情で街並みを眺めている。リベラシオン通りを行く街の人々はそれを、ただ笑顔で眺めながら、各々の目的地へと歩いていった。

 

 魔障吹き出す魔都東京、秋葉原の街にエリザベートの手配した退魔士の二名が立つ。同刻ごろ、マルアハ、イングランド支部のドラゴン騎士五名がヨーロッパ中央部に出現した魔障と対峙する。最大の魔障発生地である南極(エデン)には、マルアハの本家である日本の精鋭部隊十二名が、チャーターした音速飛行機で空から向かっていた。



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