第20話 同日、同刻、各地にて 前話

 アレキサンドリアの街から東に千三百キロ。シリアの首都であるダマスクスの街に、イリアとクロウはいた。イスラエルへ入る直前に、これまで見たこともない魔の固まりに襲われて、ギリギリのところで撃退はできた。しかしクロウのダメージは彼が思ったよりも大きかった。


 「大丈夫なの?クロウ……」

 二人は合流するとすぐ、イスラエルへと入国。そこから特別なルートでシリアへと移動すると、以前から馴染みでもあったこの街の商人の屋敷に転がりこんだ。

 「心配すんな、少し多めに吸い込んじまっただけだ。しばらく休めば消化して出てくだろうよ」

 そう言って笑うクロウの顔には、脂汗が浮かんでいる。

 切羽詰まるといつもこうだ。途端に物言いが優しくなる。弱みを悟られまいとしてなのか、あるいは格好つけているつもりなのか。

 「じゃ、下に行って下剤頼んでくる。お尻からの方が好みだったよね」

 そう言ってイリアは席を立つ。背後から「ばかやろう」と力ない声が聞こえた。


 実際、イリアが引き返して見たクロウの様子は、異様だった。彼を取り囲むように黒い霧が立ち込め、その真ん中で大いびきをかいて眠っていた。

 周りに三匹の動物の死骸を見つけ、イリアは先にその亡骸を弔う。そうしてからふと気がつくと、背後で聞こえていたクロウのいびきが聞こえていないことに気がつく。


 「よ、お迎えありがとうな」

 そう言って背後に立つクロウの気配に、イリアは背筋が凍り付くような寒気を覚えた。脇に控えさせておいた風の精霊も、警告を発するかのように風を纏いイリアを包み込む。

 「なんだよ、つれねえな。ま、それよりも腹が減っちまった。先を急ごう」

 そう言って笑うクロウは、しかしイリアの知る彼とは違った感じがした。なんだか、言葉だけは優しく響いて聞こえるが、肝心の中身が何一つ感じとれない。

 「あんた……誰?」

 「ああん?何言ってんだ、イリア。俺だよ俺、クロウだよ。そんなに攻撃はもらわなかったはずなんだがな、見た目変わっちまってるか?」

 その言葉にイリアは確信する。本物のクロウなら、自分の名をクロウとは言わない。

 「そ、そうね。ちょっとだけど、顔が腫れてるからかな」

 こわばる表情を悟られまいと、笑顔をつくる。

 「そうか、じゃあしょうがねえ。とにかく先を急ごうや。」

 クロウはそう言うとさっさと東に向かって歩きはじめた。


 そうして暫くの間、二人は歩き続けたのだが徒歩ではどうしても思うように進めない。息一つ切らさず機械のように歩き続けるクロウの背中に、イリアの不安が積み重なりつづけ、崩れる。

 「あんた、今日のところは精霊に乗せてもらうから、こっちへ来て」

 「ああ、わかった」

 本来ならばありえない話だ。これまで精霊はクロウの粗暴さを嫌い、触れることさえも拒んできていた。当然と言えば当然なのかもしれない。精霊を見つけてすぐ、クロウが用いた錬金の邪術は、イリアでさえもやりすぎだと感じたほどだ。

 それにそのことをよく理解しているクロウであれば、今みたいな提案をされて驚かないはずがない。

 しかし今はそのことを悟られてはならない。どこかで横にならせて、なんとかして体内に巣くった魔障を取り除かなければ……。イリアはそう考えていた。

 「……ごめん、お願い。」

 クロウが傍らに来るのを確認すると、その首にしっかりと手を回し、イリアは精霊にそうお願いした。すると風が小さな竜巻を生みだし、イリアとクロウを包み込んでいく。そのまま強く風が巻くと、小さな竜巻は空へと駆け上がっていった。

 後には、砂地にわずかに足跡が残るばかり……。


 クロウとイリアが商人の屋敷についたころ、サージェスに連れられてアレキサンドリア市街を訪れているレイミリアは、少し浮かない顔をしていた。

 少し前くらいから嫌な頭痛が続いている。ミラクーロを倉庫にひとり残し、サージェスの車に同乗して市街へ着いた辺りからずっとだ。

 「車にでも酔ったかな。少しカフェで休んでいくかい?」

 サージェスがそう言って笑顔をむける。

 「大丈夫と思います……。乗り物酔いはしたことないし、オジサンの車よりもうちの馬車の方が揺れるから」

 サージェスの心遣いにそう答え、レイミリアも笑顔を返す。しかし治まらない頭痛がレイミリアの側頭部を襲った。

 「い、痛っ!」

 小さくそう叫ぶと、その場に膝を折ってうずくまるレイミリア。サージェスはそれを見て軽薄な表情を引っ込めると、真剣な声で聞いた。

 「頭痛がするのか……?」

 サージェスに気を使い悟られぬようにとしていたレイミリアだが、その問いかけには素直に答えた。

 「はい、さっきこの街について車から降りたあたりで、ずっと……」

 「とりあえずどこかで席につこう。あまりに痛いようなら、こいつを呑むといい」

 そう言って、小袋に入った二つの小さな錠剤をレイミリアに見せた。

 「……なんなんです、これ?」

 訝るようにレイミリアはその袋を見る。

 「ヨーロッパ支部が開発した抗魔剤さ。痛み止めではないが、おそらくその頭痛には効くと思う。」

 そう言って笑いかけるサージェスの表情は真剣そのものだった。

 女性を食い物にする男が、よくそうやって女を騙す、と教育係のヨホ・マノジから聞いていたレイミリアは更に訝り丁寧に申し出を断ろうとする。

 「いいえ、たいしたことはありませんので、どうか放っておいてください」

 「……そうか。じゃあ、必要そうな時は言ってくれ」

 そう言ってすっと薬を引っ込めたサージェスに、表情の変化は見えない。真剣な面持ちで少し遠くを気にかけるように見ている。


――どこか近くで、戦闘が行われているようだな。そこから例の黒いのが街中に薄くまき散らされている。そのせいだな、その頭痛は。しかしその男、なぜそのことに気づいたか……。

 レイミリアの頭の中に、これまでも何度か聞いたあの声が響いた。頭痛の頭に響いたものだから余計に痛い。

 「煩い!」

 そう吐き出すように言うと、

 「す、すまん。」

 サージェスが驚き怯えたような顔でこう返した。そうして少し離れて立つ。

 「ち、ちがうわよ!オジサンじゃなくて……」

 頭痛の治まらぬレイミリアは、困った顔で口ごもってしまった。



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