第19話 肌色に焼けた甘い魚 前話

 ミラクーロとしては、このまま徐次郎達に同行して何事かが起きるのだとすれば、今度はそれをきっかけに彼らから離れ身を隠すほうがいいのではないか、とも考えている。そうして暫くの間、レイミリアと共に銀鈴で旅をすれば、やがてレイミリア自身も里心がついてすんなりと戻れるのではないか?とまで考えて、考えるのをやめた。


 既に皆、思い思いにこの倉庫から外へ出かけている。食事の後の騒がしさが、今は逆に倉庫内の静まりを強めていた。


 今、ミラクーロは馬車の中にいる。レイミリアはサージェスに連れられて、アレキサンドリア市街にある車の展示販売を見にいっていた。仕組みがわからなければ想像もできない、とミラクーロが進めたからだ。徐次郎と陽炎は、市街地の魔障茸を狩りに行くと言っていた。徐次郎の寝床で見た、あの黒い胞子を吐き出す奴だ。刈り取って持ち帰ってくるつもりなのか、倉庫内から大きな背負い籠を持ち出している。


 そんな静寂が佇む倉庫内に、ドンと構えるように置かれた黒い馬車。一見すれば普通に外を走るワゴン車かファミリーカーといった感じだ。その中で、ミラクーロは天井を見ながら横になっている。


 「私、どうせならおじい様から聞いたことがある、肌色に焼けた甘い魚を食べたい。骨なしで身が真っ黒だけど、とっても甘くておいしいんだって。それと一緒に飲む、緑色をしたお茶も飲んでみたい」

 出がけにレイミリアはそう言って、サージェスの後をついて倉庫を出ていった。ミラクーロが、アイオリアに帰る気になるためには、何があればいいのかと聞いたことへの答えだ。


 「ねえ、ベントス。肌色の魚って君は知ってるかな?」

 「なんでそれ、ボクに聞こうと思った?」

 そうだよなぁ、風の精霊に聞く質問じゃないよなぁ、とミラクーロは黙り込む。

 「でも、さっきあのお嬢ちゃんが言ってた魚ならわかるよ。あれはたい焼きだね、タイを焼いた食べ物だと思うけど」

 「ふーん。で、タイってなんですか?」

 「魚の名前だよ。いつだったか本体側の主が、買って帰ってくるのを手伝った覚えがあるよ」

 「そうなんですか。あと、ひとつ聞いてもいいですか?」

 「しかたないなぁ」

 「魚って、何なんですか?」

 ミラクーロのその質問に、ベントスは丸まっていた体を起こすと、にゅっと上に向かって伸びをする。そうして前に伸びて、そのまま後ろにも伸びると、再び丸まって寝息をたてはじめた。

 「……知らないんですね」

 ベントスの動きを見てミラクーロがそうつぶやく。すると、

 「……魚がわからないんじゃ、何を説明しても無駄だもの。はぁ……」

 そうしてこの話は終わった。

 これまでミラクーロが用意した鍋の中にも魚は入っている。しかし彼はそれが魚だと知らずに覚えていたようだ。見た目や味はしっかりと記憶にあり、それをイメージとして受けた銀の鈴が見事に再現していたということだろうか。

 いつしかミラクーロの方も眠気に襲われ、ベントスと並ぶようにスースー寝息を立てはじめていた。





 その頃、茸狩りに出た徐次郎と陽炎は順調に魔障茸を殲滅しつづけていた。


 陽炎が思いのほか頑張り、最初に発生していた群生は見事に焼き尽くされている。徐次郎の拠点としていた建物は、陽炎の火炎術と水流術の影響で見事にべちゃべちゃのドロドロに成り果てていた。


 その場所から飛んだ黒い胞子を追って外に出ると、陽炎は建物の裏にある路地で更に大量に茸が発生しているのを発見する。そのあまりの量に顔色が一瞬で蒼白になった。


 徐次郎はといえば、べちゃべちゃのドロドロになった拠点の室内に残る記録用のメモや古い書籍を、持ってきた背負い籠に詰めていた。その中に、義父の残したものと思われる一冊の手記を発見する。幸いなことに火は被っていない。しかし水には浸かってしまっていて、乾くまで中は見られないようだ。

 なんとか早く乾かそうと、徐次郎はその手記が記された手帳を窓辺へと運んだ。そうして適当な、燃え尽きていない木箱の上に、その手帳をポンと置いた。


 そうしていると陽炎が部屋の中に飛び込んできた。

 「兄様、裏の路地にも茸が!」

 「そうか、んじゃ行くか」

 そう答えて二人は窓辺から上へと跳躍する。


 建物の屋上へと駆け上がり、そこから下の路地を見下ろして徐次郎は声をあげた。

 「うげっ……」

 見るとその路地は、地面の見えないほどに茸が群生している。

 「兄様、大丈夫?」

 「だ、大丈夫だ」

 「けど兄様、茸は見るのも嫌だって昔言ってたじゃない」

 「どんだけ昔の……」

 言いかけて言葉を呑む。思い返すと陽炎と最後に会ったのは五年くらい前のことだ。徐次郎の三番目の子が生まれる少し前、一般教養を学ぶため里を出て外の街に暮らしはじめる日が最後となる。

 陽炎が十六歳、歳の離れた徐次郎は二十六歳の頃だった。

 「ま、そうだな。あれだけ多いと少しばかり足は竦むな」

 そう答えて、陽炎に笑顔を向ける。

 「だったら兄様、ここで私がどれだけ腕をあげたか見ていて」

 そう言って、陽炎が眼下の路地へと降りていく。

 「……できるんなら呼ぶ必要ねえだろうに。まったく……」

 そうつぶやきながら、徐次郎はしかしその場所にドカッと腰かけて眺めることにした。

 「あの泣き虫がねぇ。言うようになったもんだ、まったく……」

 どれどれ、と眼下を見やりながら陽炎の手際を拝見する。その顔にはうっすらと笑顔が浮かんでいた。


 路地へと降りた陽炎は、足元に踏みつけた茸の出す胞子に、水の球を造り防御している。茸が出す黒の胞子は、どういうわけか水に吸い寄せられる。最初の現場で燃やし尽くした際に、天井いっぱいに煙のように漂っていた胞子が、その後で燃え残った火を消そうと出した水流に吸い込まれるように吸着されるのを陽炎は驚いて見た。

 それで胞子が水に吸い寄せられると判断して、今は水の球を体の周りにいくつも浮かべてある。スーツの機能で大気から水を造り、それを重力操作で浮かべているのだ。

 「なんで水に吸い寄せられるんだろう……」

 ほんの好奇心で、陽炎は目の前を浮かぶ黒い胞子に手を伸ばしてみた。そこに頭上から徐次郎がものすごい勢いで飛び込んで来て叫ぶように言う。

 「触れるな!」

 ほんのわずかに、陽炎の指先が胞子へと触れる。しかしそれを断ち切るように徐次郎の小太刀が、胞子を横に割いて撫でる。切っ先が陽炎の周囲に浮かぶ水の球を絡めるように動き、再び同じ軌跡を重ねるように横に薙ぐ。

 「兄様?」

 「こいつは胞子って言っても、立派に魔に憑かれてる。触れればお前も憑かれるぞ」

 小次郎の小太刀の先で、そこに纏われた水の球の中心部に黒い胞子が浮かんでいた。徐次郎はその切っ先を陽炎の目の前に向け、短く言い放つ。

 「指、水に触れさせろ」

 言われた陽炎が指先をそこに触れると、するするっと黒い輝きが陽炎の指先から水の中の胞子へと移動していった。

 「気をつけろ、この馬鹿」

 そう言って徐次郎は小太刀を鞘に納める。腰の背に真横に付けられた鞘の中で、パシッと音が鳴った。


 「ごめんなさい、つい気になっちゃって」

 そう言って頭を下げる陽炎。その前でばつの悪そうに顎を掻く徐次郎。周囲は相変わらず茸の群生地と成り果て、今の騒ぎで更に多くの黒い胞子が舞っている。

 「ま、なんだ。俺が言うこっちゃなかった」

 そう言って陽炎に背を向けた徐次郎だった。

 「ただ、お前も習いはしただろうけど、もう一度ちゃんと覚えとけ。この魔ってやつを取りこんじまうと、周囲の人間にもその影響が出る。普通であれば耐えられることも耐え切れなくなり、堪えられることも投げ出したくなる」

 「……はい」

 「そうなる前に先に自分自身を破滅させていくものなんだがな、それに耐えきれるだけの訓練を積んじまった俺達なんかは、人様から離れて暮らさなきゃならんくなる」

 「兄様……」

 陽炎の目が少しだけ憂いを帯びて徐次郎を見た。

 「兄様、しかしだからといって……」

 「いいから。ほれ、残りを焼いちまうぞ。出てくる魔障に侵された胞子は、水に包んでから量子分解にかけろ。スーツの機能、使えるだろう」

 「は、はい。私のはこのポーチの中で使えます」

 「だったら要領よくやれ。あと、溜まってからってのはあんまりよくない。この魔っていうのは、こうして小粒程度だとあんまり頭もよくねえが、集まって固まる時がある。そうなるとちっと厄介だ」

 「は、はい!」

 「けどまあ、昔よりは手際良くなったな。あと気づきもいい。よく水で吸着できるって気がついたな」

 「は、はい!」

 徐次郎は褒めてからしまったと思った。しかしもう遅い。陽炎の顔がいきなり真っ赤に染まり、今にも地面に膝をついてしまいそうになる。

 「膝をつくなぁぁぁぁぁぁあ!」

 「は、はい!」

 徐次郎の声に、ピンと背筋を伸ばして頬を染める陽炎。

 「……おめえなぁ、そこらは本当に変わってねえなぁ」

 呆れて言葉を失う、徐次郎であった。



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