第18話 寂れた倉庫にて 中話 2
◇
「ハハハハハ、安心したまえ、徐次郎。それと、そちらのお坊ちゃま。いや、子ども扱いをするのは失礼かな。見たところ僕らよりもずっと長く経歴を連ねているように見受けられるが」
サージェスがそう言って席を立ち、ミラクーロの側に膝を折り礼をした。
「徐次郎が君の名や素性を明かしたのは、僕と彼女が徐次郎の大切な仲間だと伝えたかったからじゃないかなと、僕はそう思うんだ。なあ、徐次郎、そうだろう」
「うっせえ。お前いつから自分のこと僕って呼ぶようになったんだよ。キモいからそれやめろ」
「アハハハハハ。こういう奴だから誤解されるのも仕方ないけど、僕と彼女は少なくともこいつを仲間だと思っている。だから安心して欲しいんだが……」
サージェスの言葉に、ミラクーロがちらりと目を向け、そして何もないかのように皿に乗った肉と白菜を食べ始めていく。
「ア、ハハハハハ。まあ、そうだね。けどほら、大丈夫だから、安心してくれたまえよ」
いったい何が大丈夫で、何に安心しろと言うのだろうか。しかしサージェスは笑顔を浮かべたままその場にドカッと腰をおろした。その様子を見てミラクーロは箸をとめる。
「ひとつ、答えてください。なんで僕の経歴があなたたちよりも長いって思ったんですか?」
箸をとめてサージェスの方へと体を向け、ミラクーロがそう尋ねた。
「君の中に見える、その巨大な生命の力。全体を通して満遍なく色味が整っているのは、長い年月を経た証になる。それが見えるから僕らよりも長いと言った」
司祭でもあるサージェスは、ミラクーロとは目を合わさず、胸元に目を向けながらそう言って笑った。
「生命の力?それはどんなものなんですか?」
「僕らはそれをオーラと呼んだり、イドと言ったりしている。生き物が生きていく中で、食べ物や水と同じく必要不可欠なものだ」
「……僕らが言う命素と似たような感じかな」
「メイソ?それは命の素と書いてメイソかな?」
サージェスがそう尋ねた。
「ええ、文字に書き記すとそうなります。命のもと、命素。他にも古い言葉でレップとかレーンとかありますが、僕らは通常、命素と呼んでいます」
「メイソ……。魔素と似た文字使いだね。魔のもと、命のもと……」
「マソ?なんです、その魔素って?」
「我々はそれを魔障の元になるものを指して使っている。真っ黒い感じで、他の存在に対して否定的な感じがするオーラ。根源的だという意味で魔をイドと呼び分ける者もいるが、その言葉が指すものは同じだ。どちらも同じ命の素となるものだ」
少しだけキリっとした顔でサージェスがそう説明をした。
「同じって、なんかベントスと似たようなことを言いますね。あなたはいったい誰なんです?」
「これはまた、ずいぶんと哲学的な問いかけだ。僕は僕、サージェス。グリモア・レム・サージェスと言う。徐次郎と同じ『マルアハ』に所属する司祭だ。司祭とは言っても正教やカトリックとは関係ない。僕が奉る神々はオーニの神々。中でも三神として名高い、愛の女神達を祭っている」
オーニと聞いてミラクーロの眉がぴくっと動いた。それを見てサージェスが尋ねる。
「君は、オーニを知っているのか?」
「似た名前を知っているだけです。詳しいことは知りません」
そう答えミラクーロは、再び食事を続けはじめる。その様子をサージェスは、すぐ横に座りながらじっと眺めつづけていた。
暫くの間、時間的にはずいぶんと遅い朝食が続く。サージェスも自分の席へと戻り五人は静かに目の前の食事を楽しんでいた。
「まさかこんな場所で日本の鍋が食べられるとは、思ってもみなかったよ」
サージェスが日本語でそう話すと、徐次郎がそれに答えた。
「ああ、俺もだ。こいつらにはじめて砂漠でこれを出されたとき、正直なところ困ったぜ。なんせ日本食なんてずっと食べてなかったからな。まさか出汁の香りを嗅がされるとは思ってもなかった」
「あれ?でもジョジさん、あの時あんまり食べなかったじゃない?」
レイミリアがそう言って会話に入り込んでくる。
「しょうがねえだろう。こっちは死ぬ思いで『たそかれ』の中に入り込んだんだ。ようやく入ったと思ったら、お前らと会って、それであのアレだ。いったいどうやったらあんな風に壁やら天井やらをナイフみたいに飛ばせるんだよ」
「その件は本当にすみません。うちの父、たぶんですが徐次郎さんのことを、僕の逃走を狙った反王政派の人間か何かと勘違いしたんだと思います」
「反王政派?……お前の国、民主化か共産化がはじまったばかりってことか?」
「いいえ、全部ありますよ。その全部を統括して、何か問題があれば王政で解決しますが、そうでない場合は各人が好き好きに好きな社会へ参加して生活しています」
「なんだそれ?わかるか、サージェス?」
徐次郎からそう聞かれ、サージェスは手にしたフォークを置いて口元を拭く。
「話だけで言えば、夢のような社会だな。強いものに庇護されたいと望む民は多いし、自力で何とかしたいと願う民も一定数は確実にいる。肩寄せながら皆で平等に暮らしたがる者はいつの時代でも大多数だ」
「資本主義と共産主義は相容れないものじゃないんですか?」
そう尋ねたのは陽炎だ。どうやらこの話題にはとても興味があるらしく、食べるのをやめ身を乗り出している。
尋ねられたサージェスは、右手を顎にあててミラクーロを見た。君の意見は?とその目が告げていた。
「僕は、そうした主義だとか主張ってのは、よくわかりません。そうした仕組みの基を築いたのは僕の祖父ですし、父がそれを今の形まで造りあげたことは聞いてます。今、サージェスさんが言っていたようなことも、ずいぶんと昔に聞いたような覚えもあります。けど、僕はそういの興味ないんです」
ミラクーロはそう言うと箸を置いた。見れば鍋の中は既に空になりかけている。後から出したパンも、あと数えるほどしかない。
「お腹、足りましたか?足りなければまだ追加で出せますけど」
そう聞きながら向かいの席に座る三人を見た。
ミラクーロの言葉を聞き、徐次郎が陽炎の様子をうかがうように横を向く。それをちらっとサージェスが目の端に捉え、安堵したような笑みを浮かべた。
「足りない。ねえ、ミラクくん、ちょっとお肉足して。あとこないだ食べたお魚もまた食べたい」
そう言いだしたのは、ミラクーロの左隣に離れて座るレイミリアだ。どうやら真ん中と端の鍋を独占する勢いで食べていたらしい。そのせいでサージェスと陽炎は少しばかり遠慮もしていた。
「はいはい。底なしなんですよね、レイミリアさんは」
「そうじゃないのよ、美味しいのよこれ。どこで覚えたのこんな味?って、銀の鈴で出したからわかんないか」
ほっぺを膨らませて、手にした取り皿とフォークを振り回しレイミリアがそう言う。するとそれにミラクーロが答えて言った。
「これは、乳母から教わった料理です。と言っても、僕は食べただけですけど」
その答えに陽炎が目を剥いて尋ねた。
「あなたの乳母は日本人なの?」
「いいえ、そんなはずありません。見た感じはあなたや徐次郎さんよりも、レイミリアさんやサージェスさんに近い感じでした。僕が物心つく前から家にいて、五年目くらいに里へ帰っていったって聞いてます」
「……日本の鍋料理を知っている西洋風の容姿をした人。兄様、サージェスさん、心当たりありますか?」
首を傾げる陽炎の問いに、徐次郎もサージェスも青ざめた顔を返した。
「何か心当たりがあるんですか?」
「……いや、特には」
そう声に出したのはサージェスだ。次いで徐次郎が答える。
「陽炎は『マルアハ』の最高位に当たる人に会ったことはあるか?」
そう言いながら徐次郎の表情はやけに青ざめていく。
「ええ、マーリン様にでしたら里の学校を出る時にお会いしましたけど……」
そう答えを聞いて、フーッと深くため息をもらす徐次郎。そうして意を決したように話しはじめた。
「実はな、本家以外の、たとえばアメリカにあるマルアハ本部や、ヨーロッパ支部、アフリカ支部、オセアニア支部、アジア支部、それぞれの本支部に内部調査機関があるのは知っているか?」
「はい。私もつい先だって本部でその調査機関に配属されましたから知っています」
「あん?お前が?」
「ええ。エリザベート様からの推薦があり、大抜擢されたばかりですよ。その流れで兄様の探索へも出してもらえましたから」
「……ってことは、お前あいつの魂胆に自分から進んで乗っかったってことか?」
「……はい」
「それでアイツの術にかけられて、身内殺しに仕込まれて……、下手をすれば逆に俺から切り殺されてたぞ?」
「それはありません。だって兄様ですし!」
そう言って笑う陽炎の表情に、一切の迷いはない。心底大丈夫だと思っての選択らしい。
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