第17話 父と子と…… 後話
◇
「ねえ、ミラク君、それで?」
「いえ、だから。僕の父はおかしいんです。いきなりキレたり、かと思うとどうしようもなく狼狽えたり、一貫性ってものがないんですから」
街外れにある少し大きめの倉庫の中で、御者台に座り頬杖をつくミラクーロと、馬達の世話をしながら会話を続けるレイミリアが、二人して徐次郎の帰りを待っていた。
茸から出た黒い胞子は、ミラクーロが目覚めレイミリアが意識を取り戻すのと同時に、銀の鈴の力で無効化してある。そうして朝方には元気になり、どこかへ出ていったままの徐次郎を待ちながら、互いの家族について話をはじめていた。
「うちのお父様は、その辺りは問題ないわね。けど、なんかこう父親としての威厳がなくて。その分優しくていいんだけどね。けど、たまにムッとすることを言うわ」
パセリの首元を、手に持ったブラシで撫でながらレイミリアがそう言う。
「うちのは、そういうので言うと、威厳だけはありますね。とは言っても、城にいてまともな時だけですけど。家に帰ってくると途端にダメダメですよ。威厳なんてこれっぽっちもないです」
「父親ってそういうものなのかな。マニちゃんなんかに聞いても、家じゃゴロゴロするだけの粗大ごみだって言ってた」
「そうなんですか。なんか、ちょっと悲しいですね」
ミラクーロはそう言うと、膝の上で丸まって寝ているベントスの背を撫ではじめる。レイミリアの方は、パセリのブラシがけが終わり次のセロリへと移動をはじめた。
「でもさ、ミラクくんちってあれでしょ。ものすごい長命で、私達の十倍くらい長生き」
「……やっぱ、それ聞いてましたか。お父さんからですか?」
「ううん。私のお爺ちゃんから。お爺ちゃんのお爺ちゃんだったかな、その人が今の王様に命を助けられたことがあるみたいな話を聞いたことがあって、その時に聞いたの」
「えーと、レイミリアさん。その話……」
「うん、ジョジさんには内緒ね。ここってあれでしょ、アイオリアのどっかから行ける、外国って場所なんだよね」
「がいこく……。ま、まあ、そうですね。外国です」
「外へ出るときに、お城でなんか特別な手帳を貰って、それを身につけてないと記憶が飛んじゃうってお爺ちゃんは言ってた。ロイもその頃はまだ若くて、お爺ちゃんと一緒に何度か外国を旅して、たまにその手帳を置き忘れちゃったことがあったんだって。その時にも王様に助けてもらえたって言ってたかな」
「それはないでしょう。父も母も、直接は外へ出られないはずですから」
「へー、そうなんだ。でもロイはそう言ってたよ。王様が頑張ってくれて、自分とお爺ちゃんを助け出してくれたことがあったって」
「そうなんですか?」
「うん。ロイはお父様やジケイなんかと違って嘘はつかない人だから、間違いないと思うよ」
「そうなんだ……。へー、あの父がねえ」
そう答えながら、ミラクーロの表情にはにかんだような笑顔が浮かぶ。膝で撫でられるに任せていたベントスが、その笑顔を見てニコッと笑った。
「ところでさ、ミラク君」
レイミリアが、馬達のブラッシングを終えて御者台に来てそう言った。
「お腹、すかない?」
そう言葉にした途端、二人のお腹からグゥーっと音が鳴った。
「確かに、すきましたね。どうしましょう……」
「昨日の夜から何も食べてないもんね。それに私、ちょこっとだけどおトイレに行きたい」
「……困りましたね」
倉庫の中を見回しても、食べ物もトイレもどこにも見当たらない。どうしようかとミラクーロが迷っていると、壁際で外を見ていたレイミリアが大声をあげた。
「ミラク君!まずい!帰ってきた、ジョジさん!」
「今ですか?!」
慌てふためくように元いた馬車の中へ駆け込む二人。そうして再びそれぞれの席に寝転がって、徐次郎が入ってくるのを待つ。
実は、目覚めてすぐに二人は徐次郎が戻ってきたらそうしようと決めていた。昨夜から朝方にかけては一睡もせずに気遣ってくれていたらしい。そうして夜明けと共に慌てた様子で飛び出していった、とベントスに聞いたからだ。
そうして労をかけて自分たちのことを思いやってくれていた相手に対し、実は銀の鈴であっという間に治ってました、というのもはなはだ失礼にあたるだろう。そう言いだしたのはベントスだ。せめて戻ってきたときに、まだ気分が悪くてといった程度でいて、そうして何であれ飛び出した先で手に入れてきた薬なりなんなりで治ったとしてあげた方が嬉しかろうと、この風の精霊はそう言うのだった。
「ねえ、なんでこんな面倒なことを……」
「僕にだってよくわかりませんけど、なんとなくその方が徐次郎さんにはいいかなと」
「その通りです。あのオジサン、何か心の奥底に闇を抱えてますから、そうやって手を尽くして叶うということがおそらくあの人にとって良い効果を……」
ベントスがそう言いかけたとき、倉庫の入り口の扉が開く音がした。そうして、徐次郎の声が聞こえてきた。
「サージェス!こっちだ。陽炎を降ろして術を解除したら、すぐに二人に会わせるから適当に中で準備しててくれ」
「徐次郎、お前はなんだってこんな埃っぽいところ……」
「うるせえ!仕方ねえだろう!昔っから使ってるところなんだよ!親父に譲り受けた隠れ処だ!」
「あ、なるほど。士元様からか、それじゃあ文句も言えねえ」
そう言ってサージェスが、つい先ほどまでレイミリアが歩き回っていたあたりをうろうろとしはじめた。地面を見ながら、何かをふむふむと頷いて歩いていく。
「おーい、徐次郎?二人ってのは馬車の中かい?」
「ああ、けどまだ中を開けるなよ。俺がいいって言うまでは待機だ」
「やれやれ……。昔は同じ釜の飯を食った仲だって言うのに、信用無くしちゃったね」
「当たり前だ、このタコ!それに同じ釜の飯っていうのは、文字通り同じ釜で焚いた米を食ってこその言葉だ!お前米食えねえじゃねえか!」
「うーん、ライスのことかな。残念だが僕は穀類が一切駄目だからね。けど、いつだったか鍋だっけ?あれも同じ釜の飯とは言わないのかい?」
「言わん!」
「やれやれ……。思い込みというのはこうも切ないものか」
サージェスはそう言って、馬車のすぐ横に立つと背を預けるように馬車に寄りかかった。それを横目で見ていた徐次郎が、陽炎の肩から手を放し立ち上がると、叫ぶように言った。
「近づくな!あと、その馬車にも触れるな!」
言われてサージェスは、少しだけ驚いたような顔をすると、両手をあげて馬車から少し距離を取る。
「ほんと、信用を失ってしまったね」
「……そいつらは、俺が責任もって親元まで送り届けてやるって、そう約束したんだ。だからだよ」
「だとすると、だが。中の二人、もう意識戻っているみたいだよ」
この言葉に、中で息を殺してトイレまで我慢していたレイミリアが驚いた顔をした。慌てて声が出そうになるのを、両手で口を押えて堪える。
「ちっ」
そう舌を鳴らしたのは、徐次郎とミラクーロだ。中と外から舌打ちが同時に聞こえて、サージェスが肩をすくめるようなポーズをして言った。
「こいつは失礼。けど、早く教えてあげないとお嬢ちゃんの方がギリギリっぽかったし……」
サージェスがそう言い終わるのと同時に、馬車の横についた扉が勢いよく開く。そうして中から薄汚れたドレスのレイミリアが、頬を赤らめてノシノシっと歩き出して来て言った。
「ジョジさん、トイレどこ?」
照れたようにそう言うレイミリアに、驚いた顔の徐次郎が指先でその場所を指してみせた。外を出て右手の先にトイレ用の小屋があるのだが、徐次郎の指はただ外を指している。
「ありがとう。っと、それと、看病してくれてありがとう」
レイミリアはそれだけ言うと、再びのっしのっしと、少しだけ肩幅に開いた足取りで倉庫から歩き出ていった。
「ま、ギリギリセーフってところかな」
倉庫の外に出たレイミリアを眺めながら、サージェスがそう言って微笑む。
「そういうことでいい。ったく、寝たふりなんかしやがって……。何の気づかいだ」
そう言って徐次郎は、陽炎の顔の前で最後にパンっと両手を叩くと笑顔を見せた。どうやら今のレイミリアの一言で徐次郎も察したらしい。昨夜は看病をしていた間中、まったく意識の戻らなかったと思っていたレイミリアがありがとうと言ったのだ。うっすらと意識だけはあったか、あるいは意識が戻ってから精霊に聞いたのかもしれない。それで変な気遣いをして、処置されるまで寝たふりをしておこうとでも考えたか。そんなふうに徐次郎は捉えていた。
「そしたら、こっちの気付け薬はいらないか?それとも、まだこっちで寝たふりをしている小僧にでもあげとこうか?」
「よせ。さっき舌打ちしたのがたぶんその坊ちゃんだ。意識は戻ってる」
「舌打ちはお前だろう?」
「一緒に鳴っただろう!それがそいつだって言ってるんだよ!」
徐次郎が吼えるようにそう言うと、目の前で陽炎が目を開ける。
「あれ?兄様?いつの間に里に戻られたんです?」
少しぼんやりとした表情でそう言う陽炎の目を覗きこんで、徐次郎が安心したように頷く。
そうしている間も、ミラクーロは起きてこようとはしないでいた。別に深い意味はないのだが、なんとなく起きづらくて横になったままでいる。
「ちっ、うちの小僧と同じだな」
正気に戻った陽炎を気遣いながら、徐次郎はゆっくりとサージェスの傍に近づいて手を出した。
「ほらよ。って言っても、ただの栄養剤の方だけど」
サージェスがニヤニヤしながら、そう言ってその手に小さな小瓶を渡す。
「ああ、すまんな。助かる」
そうして徐次郎は馬車の中に入ると、瓶をあけ中の錠剤をミラクーロの口に差し込んだ。
「ほらよ、気付け薬だ。薬が効いたらさっさと起きろよ」
「ジョジさん!トイレどーこー?」
倉庫の外からそう声が聞こえ、声の主がレイミリアだと悟ると、徐次郎は苦笑いを浮かべた。
「ちっ、やっぱお嬢ちゃんには向いてないか。一昔前のトイレだものな、ここ」
言いながら拳でコツンとミラクーロのおでこを小突く。
「おい、トイレ出してやってくれ。あと、できれば風呂とかシャワーとか。それに着替えもあった方がいいかもな」
「なんで僕が……」
「煩い。いいからさっさと言われた通りにしろ。それともう一つ」
「なんですか?」
「朝食を買い忘れた。そいつも頼む。全部で五人分だ」
「まったく……。はいはい、わかりました」
こうして慌ただしかった時間が、次第に落ち着きを取り戻していった。
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