第16話 湧き出す黒き魔の障り 中話
◇
「エリザベート様、マルアハの本家より至急の連絡が入っております」
アメリカのシアトルにその居城を構える、『マルアハ』本部ビルの最上階にエリザベート・シュタイン・マーカスはいた。広々とした最上階のフロアは、役員たちの休憩所ともなっている。
「私は今休憩の最中なのよ。戻り次第対応しますから、要件を伺っておいてちょうだい」
そう、耳にかけたマイクから返事を返すと、通話先の女は困ったような口調で言った。
「私もそう伝えたのですが……」
「そう……。それで、相手は誰?」
「マルアハ本家の、マーリン様の傍付きと申しております。お名前は伺えておりません」
「至急、この回線に繋いで。それと、めったにあることじゃないから覚えておいて。その方々からの通話は有無を言わず、直接繋ぐように」
「は、はい。お繋ぎします」
通話先の女性がそう言って直後、エリザベートの耳に重厚な男の声が響いた。
「第一種の警戒が発令されます。マルアハの本部からも増援をお願いしたい」
「はっ。それで場所はどこになりますか?」
「三か所に別れてます。本部には、日本の秋葉原を中心とした一円をお願いしたい」
「それは本家の管轄では?」
「本家の人員は、その発生に関与したと思われる三人組を追っています。それと……」
「徐次郎の件、で手一杯ということですね」
「そうです。なので本部への要請をお願いいたします」
物腰の低い重厚な声は、そう言うとエリザベートからの返答を待つように押し黙った。エリザベートはその内容を吟味するかのように暫く考えると、厳かにこう答える。
「かしこまりました。二人ほどの人員を大至急派遣いたします」
「助かります。対象の魔は、今現在は損害を発生させてはいない未知の魔障と思われます。人垣の中に不意に湧き出て、暫くすると霞のように空に立ち昇って消えてしまうそうです」
「被害は出ていないのですか?」
「そうです。しかし、マーリン様が書き残した書にはそれが、この世界の黄昏を呼ぶ兆しであると書かれておりました。そのため第一種の警戒としてあります」
「黄昏?つまりは、滅びの前兆であると?」
「衰退なのか、滅亡なのか、その辺りは不明だとしか言いようがありません。人々の心の内に仄暗い想いが満ち溢れたとき、黄昏の前兆として魔の霧が都市を覆うと。書にはそう書かれているだけだそうです」
「……失礼ですが、その書をこの目で確認することは可能でしょうか?」
「写しだけであれば。本家のアーカイバ、351のサーバ内にマーリン様の名でディレクトリが作成されています。その内の黄昏と表記された文書にその記述はあります」
「アクセス権はいただけるのでしょうか?」
「各支部の部長以上のクラスには既に公開されている情報のはずです」
「……私はまだ部長クラスへは昇格されていません」
「でしたら、 エリザベート・シュタイン・マーカス、あなたを本日付けでマルアハ本部、東部対策室の室長に任命いたします。手続きは今から三十分ほどで済むと思いますので、その後で確認をしてください」
「ありがとうございます」
「それと、影井陽炎に刷り込んだものを、この通話が終了後直ちに解除するよう要請がありました」
「それは、何のことですか?」
「身に覚えがないのであれば構いません。しかし、もう暫くすると強制的な解除を実施すると連絡がありましたので、その点は理解しておいてください」
「かしこまりました」
答えながらエリザベートは、ごくりと唾を飲みこんだ。強制的な解除というのがどの程度のものであるかわからないが、徐次郎やそれと同等のマルアハの要員であれば、術者への呪術返しを使ってくる可能性は高い。急ぎ解除をしなければ、と考えている。
「では、お伝えする件は以上です。ご休息の所を失礼いたしました」
「こちらこそ、オペレータへの事前の教育がなっておらず失礼いたしました。以後は直接繋ぐように指示をいたしましたので、今回についてはご容赦をお願いいたします」
エリザベートの言葉を最後まで受けると、プチンと通話が切れる音がした。その音を聞き、エリザベートの緊張が一気に解ける。努めて保っていた冷静な表情が、とたんに慌てたような素振りへと変わっていった。
「……わかるわけない。例え噂に名高いマーリン卿でも……」
そう言葉にしてしまい、しまったと表情に浮かべ、エリザベートは耳にかけたマイクを勢いよく外して握りしめる。
「おのれ、徐次郎め。忌々しい。なんだってあんたは、私の思い通りにならないのよ」
そう言葉にしたエリザベートの背から、うっすらと黒い輝きが立ち昇っていく。この部屋にいるのはエリザベートただ一人。それ故に気がつく者は誰もいなかった。
「徐次郎……影井、徐次郎……。見ていなさい、いつかあんたが私の目の前に膝まづいて、私に向かって許してくださいと言うまで、じわじわと苦しめてあげるから」
そう言って笑うエリザベートの目は、怪しい緋色の輝きに包まれていた。
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