第15話 兄と妹 前話

 「サージャスはいるか?徐次郎が来たと取り次いでくれ」

 昨日から明けて翌朝となり、徐次郎は『マルアハ』のアレキサンドリア支部へと赴いていた。昨日と違い今日は立派なビルの方だ。新拠点として一年ほど前に建ったばかりの建物だと聞いている。

 相変わらず目覚める素振りのない二人の処置に困り、組織の力を借りれないかと思ったからだ。

 「支部長は只今外出中です。あらかじめご予約のない方にはお取次ぎできません」

 受付に座る屈強そうな男が、そう言って無下に応対してきた。徐次郎はその態度に少し違和感を感じたが、その場で騒ぎ立てることはせずにこう返す。

 「『マルアハ』特務の徐次郎だ。強引なのは認める。なのでそこは謝る。しかし緊急の事態なんだ。頼むからサージェスに連絡をつけてくれ」

 『マルアハ』の特務とは、世界規模の魔障に対応する『マルアハ』内でもかなり地位の高い機関の名称だ。担う作業の重要性から各支部でも特別扱いを受けらえる立場でもある。

 本来であればこうした問答もなしに、重役専用の特別通用口から勝手に入ればいい話なのだが、今回ばかりは徐次郎もそれを戸惑った。なにせミラクーロとレイミリアの件は『マルアハ』には内緒にしてあるからだ。できれば一般の職員と同じように受付を済ませ、そうしてから医療物資などを援助してもらうつもりだった。

 「……徐次郎様、ですね。確かに確認できました」

 何をどう確認したんだか、受付の男がそう言った。

 「本部から通達が出ています。徐次郎様に似た風体の魔障を患った人物が、ここエジプト近隣で確認されたと。ですので我々としては、あなたをここからお通しするわけにはいきません」

 「何だそりゃ⁉いったい誰からの通達だ⁉」

 「発信責任者には、エリザベート・シュタイン・マーカス様と影井陽炎様のお二方が連名であります」

 受付カウンターの内側に情報端末でも置いてあるのか、カウンターの内側をちらりと見ながら受付の男がそう言って顔をあげた。

 考えてみれば、これまで幾度となく訪れた旧アレキサンドリア支部の受付には、常に見目麗しい女性陣が二人いたはずだ。それが男に代わっている時点で気づけばよかった、と徐次郎は思った。そう思うのと同時に受付前から徐次郎の姿が消える。受付の男はさっと伸ばした手で、館内の非常警報を鳴らした。

 「緊急です。特異魔障のJ発生。現在受付ロビーより逃走。緊急です。特異魔障のJ……」

 屈強な男の野太い声が、ここアレキサンドリア支部の高層ビル内に響き渡っていく。都市部のビルに偽装はしてあるが、その設備は現代科学と『マルアハ』固有の失われた魔術により最高位のセキュリティーを誇る。放送と同時に館内全ての出入り口に特殊な場が発生し、生命体の出入りを制限している。目には見えない特殊なフィールドだ。近づくけば途端に出入りしようという意識を変革され、出ようとした者は再び中に、入ろうとしたものは踵を返すように仕向けられてしまう。

 「ちっ!無駄に最新式すぎて面倒なんだよ、ここは!」

 どこからかそう小さく、徐次郎のつぶやきが聞こえた。しかしその声を聞く者は誰一人いない。


 アレキサンドリア支部の非常警報が発令されてすぐに、最上階にいた黒装束の人影が、対面に座る男の前から消えた。その男は、昨夜に徐次郎と会話したサージェスである。

 「このタイミングで来るか、相変わらずの間の悪さだな、徐次郎……」

 サージェスがそうつぶやくと、目前におかれたカップから珈琲をすする。

 「けど、まあ。いい機会だ。ゆっくりと会話してこい。お前は一人きりで頑張りすぎなんだ。たまには家族ともちゃんと会話した方がいい」

 そうつぶやきながらカップの中身をすすると、サージェスはまた涙を流しはじめていた。

 「まったく、……困ったもんだ。悲しすぎてお前の家族のことを思い出すだけでこれだ。……歳はとりたくねえな」

 ぐしゅぐしゅと顔を歪ませ、背を丸めて席で丸くなるサージェス。その手には『マルアハ』の司祭職が持つ、十字を円で囲んだシンボルが握られている。

 「ひかりさん、賢王くん……。お父さんをしっかりと守ってくれよな。士元様、できればあいつが正気を取り戻すのをお手伝いください。お願いします」

 見た目は優男だがサージェスも『マルアハ』内ではかなり上位の職務についている。その役目は司祭。主に対象の魔障鑑定とその封印、あるいは除去を得意とする職務だ。徐次郎の育ての親にあたる士元がかつて就いていた職務であり、聖職者と呼ばれる職務の最高位に位置する。

 そのサージェスが昨日見た徐次郎は、姿形は同じでも明らかに違うところがあった。聖職に就く際に授かる目で見たからわかったのだが、徐次郎の体内を占めるエネルギーが魔障と見間違う程の向上を見てとったのだ。

 そこに偶然にも、緊急の通達を持って本部から陽炎が来ていた。影井陽炎、徐次郎の妹にあたる。兄と同じく忍術を得意とし、幼い頃から見て育ってきた兄の背を追うようにその実力を発揮してきた女である。

 陽炎はサージェスに会うなり、徐次郎の来訪を見抜いた。そうしてなぜ『たそかれ』に向かったはずの兄が、ここアレキサンドリアにいるのかについて訝んだ。

 偶然にもその数日前に、エジプトの隣に接するリビアから怪しい報告があがっていたのだ。発信者はリビアに駐在する『マルアハ』の要員。リビアの国内に移り住み二年目となる。その者が緊急の報告で、リビア東部に位置するオアシスの街に、黒い輝きを伴い『マルアハ』の忍び装束に身を包む男が現れたと伝えてきていた。撮影された画像も一緒に添付されており、そこに写っていたのは間違いなく徐次郎だ。砂嵐へと入っていくところが、連続撮影で撮られ送られてきていた。





 アレキサンドリア支部の一階にあたるロビーには、今や誰一人人影がなくなっていた。非常警報の直後、一階にいた職員が講じた措置により外から中へと入る者はいない。それまで中にいた者達も、ある特殊な装置を眼鏡のように顔にかけ、そうして外へと出ていった。

 あきらかに徐次郎が来ることを知っていたと思われる手際の良さである。

 「……ってことは、坊ちゃん嬢ちゃんの件も『マルアハ』が関わっているってわけか?にしても、魔障の茸なんて手は通常だと使わねえはずなんだが……」


 徐次郎は、忍装束の機能を使い受付ロビーの三メートルほど上空で仁王立ちをしている。砂嵐の中に入りこもうとした時に使用した、重力制御装置の力であろうか。その姿は微動だにしない。

 徐次郎がいる場所よりも更に二十メートルほど上まで、ロビーの吹き抜けは開けていた。その中空に立つ徐次郎は、静かに目を閉じると辺りの気配をうかがう。

 ロビー内は空調が行き届いているようで、微かにだが流れる空気の気配がある。外側から差し込む日の陽光も室内に十分に満ちているのが感じとれる。その中に人が動く気配は感じとれない。

 「このままってことは、ねえよな。定石通りだとそろそろ誰か……」

 通常であれば、こうして拠点内に閉じ込めた外敵を捕獲もしくは消失させるための戦闘専門職がやってくるのが定石である。魔を相手に対話や交渉はありえない。

 徐次郎はそう考えてその時を待った。元より戦うことしか身につけてきていない男だ。ここで対話なり交渉などをされれば、イラつき怒り出すのが自分でもわかっている。怒りは戦いの中では厳禁だ。感情の中でも強すぎるそれは、冷静な判断を狂わせてしまう。

 努めて冷静であるために、徐次郎は再び口を開き思考を言葉にしていく。六歳から戦うことに特化してきた男の身につけた知恵である。



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