第12話 砂漠を渡る馬車 後話



 徐次郎は壊れかけている、その心が。数年前に起きた事件が元で、今の彼には自分自身を責める己と、それに責められて崩れ落ちようとしている己とに分かれている。ありたいていに言えば、多重人格。解離性同一障害。医師に相談をすればそう診断されていたかもしれない。


 耐えきれぬ状況を心が受け止めきれず、誰か他の人が被ったかのように感じていたのが最初の頃。それから数多くの任務に参加し、そのほとんどを独りで達成するという異様な時期が続いた。徐次郎が狩る魔は、その多くが動物の魔障患いであった。居場所を追われ人を憎むようになった野生の熊、狼、虎、豹。魔障の中でも特に厄介な、野生動物の怒り。憎しみ。それに、哀しみ。

 子を殺されて人を憎むようになった雌の熊は、徐次郎に討ち取られるときに目から涙を流していた。徐次郎は小刀を主に魔を狩るため、その顔を、目を見てしまう。

 怒涛の如く流れ込むように熊の想いがわかった。目の前でいきなり頭を撃ち抜かれ倒れた子への想い。守れなかった自分への責めたてる思い。手をかけた相手への憎しみ。それらが全て混ざり合う怒り。


 徐次郎には三人の子供がいる。その三人目が生まれる時に徐次郎はその熊を狩っていた。魔障の浸食が強く、すでに憎しみ一色に塗り固められたどす黒い気配を全身に浴びながら、真正面から正々堂々に雌熊と対峙する。熊も真正面から駆け寄ると、立ち上がってその腕を振り上げた。ゆうに四メートルは越す高さに振りあげられたその腕は、しかし素早く抜かれた小刀によって、振り下ろされることはなかった。

 胸の急所へと深々と刺さる小刀を見て、熊はようやく解放された。血の流れとともに、燃えカスのような黒い細かな魔が抜けていくのを見ていた。その胸中に浮かぶのは、救えなかった子の姿。そうして徐次郎を目に捉えて、その人間がこれから背負うであろう哀しみに涙した。

 因果応報、自然界の掟のひとつだ。弱肉強食と並ぶその掟からは逃れることはできない。例えそれが、すでに自然から遠く離れた人間だとしても、こうして自然に属する者を殺めたのであれば掟は容赦なく牙を剥くだろう。

 熊は最後に祈る。いつの日かこの者へと渡る因果が解かれる日がくるようにと。


 それから二日かけて里に帰りつくと、徐次郎の妻、ひかりは亡くなっていた。第三子を産んで翌日のことだと聞いた。普通なら問題なく処置が間に合うはずの産後の感染症が、その処置をする時間さえ与えずに妻を連れ去ってしまっていた。


 その後の数日間は、徐次郎の記憶にはない。

 里に残る義母が、後になり里長に伝えた報告にはこうある。「徐次郎は家に帰り二人の子を連れると、妻の実家へと向かう。かつて自分を育ててくれた家でもあるそこで、畳に頭をこすりつけ、ひかりのことを話した。そうして子供たちを頼むとお願いした」

 義母は狼狽えずにすべてを引き受けはしたが、どこへ行くのと徐次郎に尋ねたとき、『ひかりを迎えに行ってくる』と答えたそうだ。それで徐次郎が壊れかけていることを知った。

 そうしてそれだけを言い残し、徐次郎は里から消える。探索の手が里から出されたが見つからなかった。徐次郎、二十六の冬のできごとである。


 「くそ!またか」

 徐次郎が目を覚ましたのは、ほんの三十分ほど後のことだった。悪夢でも見たのか汗がひどく出ている。

 「ここは……馬車の中か」

 そう言いながら、席を立つ。そうして床に散らばる食材を見ると――

 「まったく、あのお嬢ちゃんだな。しょうがねえなあ……」

 そう言って、片づけをはじめた。





 「あ、ジョジさん!」

 馬車から徐次郎が身を乗り出したところで、手綱を交代したレイミリアがそう声をかけた。

 「お嬢ちゃん、食べ物は大切にしろよ」

 ニカッと笑って徐次郎はそう答える。そうして手綱を代わり御者台に腰をおろす。


 言われたレイミリアは、怒ったように反論をはじめた。

 「ちょっと何それ。私、こう見えても食べ物を残したことなんて一度もないよ!」

 今年で十八になるというのに、まだまだ子供の言い方だ。

 「はいはい。好き嫌いもねえって言えるのか?」

 徐次郎はどこかスッキリとした表情でそう尋ねる。

 「好き嫌いは……まだ少しだけあるけど……」

 言われてレイミリアは口先を尖らせて黙り込んだ。


 真ん中に座る徐次郎の右手側にミラクーロ、左手側にレイミリアが座っていた。手綱を引くのにその方が都合がいいのと、レイミリアのミラクーロを見る様子があまりにも……、なためだ。

 「ジョジロウさん、それでこの先どうやって帰るんですか?」

 ミラクーロがそう徐次郎に尋ねた。

 「どうもこうもねえ。このまま東に行けば、あと数日で砂漠が終わる。そうしたらエジプトがもう目と鼻の先だ」

 「その、エジプトっていうのは、本当なんですか?」

 「またか?ギリシャもエジプトもあるぞ。本に出てくるだけの夢物語なんかじゃないぞ」

 徐次郎はそう言うと笑った。笑われたミラクーロが、口を尖らせながら別のことを聞く。

 「では、ピラミッドとかも本当にあるんですか?スフィンクスは?」

 「あるある。でっかい都市があって、そのすぐ脇にドンとあったぞ」

 「ではダイダロス達は今もいるんでしょうか?」

 「ダイダロス?なんだそりゃ?氏族か民族の名前か?」

 「いいえ、エジプトのピラミッドを造ったダイダロス達ですよ。先史文明の巨人達のことです」

 「……お前さん、漫画かアニメの見過ぎじゃねえか?」

 徐次郎のその言葉に、ミラクーロは本気で頬を膨らませて怒った。

 「僕をレイミリアさんと一緒にしないでください!僕はこう見えてもう……」

 「アニメでダイダロスって言ったら、三神合体なの!」

 ミラクーロの言葉を遮り、今度はレイミリアが大声をあげた。ようやく自分が加われそうな話題になったのだ、張り切らざるを得ない。

 「すごいんだよ、アイオリアのオリジナルアニメなんだって。こないだからスタートしてて、話の展開がすごいのよ!」

 「あ……そ、そうか」

 「そうなの!ダイダロスっていうロボットが出てくるんだけど、彼は実は神々に幽閉された地上の守り神だったの。それで、神様ってのが地上を一掃しようとしてダイダロスを閉じ込めちゃうんだけど、そこに主人公の美少女シリアがやってくるの!お庭を散歩してたら不思議なリスに出逢って、庭の裏手にあった不思議な穴から来たんだって」

 「お……おお。そいつはすごい展開だな」

 徐次郎の笑顔が少し引きつりだしている。その向こうでミラクーロは唇を尖らせたまま黙り込んでいる。

 「でね、でね、驚くのはここからよ!なんとそのダイダロス!シリアの実のお父さんだったの!」

 「……こないだからスタートして、もうそんな大展開になってんのか。なんか、大変そうだな、その制作やってる会社」

 「それだけじゃないのよ!シリアのお母さんが実は神々のひとりなんだって!」

 「……家族喧嘩か?家族愛なのか?そのアニメのテーマは?」

 「えーと、事前に出てた情報だと、人類と神々の永遠の愛を描く群像劇だったかな、そんな感じ」

 「群像ってこたぁ、まだまだいっぱい出てくんのか⁉」

 「うん!」

 満面の笑みで語り終えたレイミリアは、満足したからかひょこひょこと頭が揺れている。砂漠を越える馬車は何事もなく、時だけが過ぎていった……。



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