第9話 精霊ベントス 後話
◇
「ねえちょっとミラクくん、なんで風に向かって歩くの?」
「横から風が当たると膜がなんだか揺れちゃうんですよ。怖いじゃないですか、こんなところで破れちゃったら」
「……だったらこんなすぐのところで横向かないで、真っ直ぐ進んだ方がいいと思うよ。通り抜けちゃった方が早いじゃん」
「そうなんですけどね、けどちょっと気になっていることもあって……」
レイミリアが言うように、二人は竜巻にまだわずかしか入り込んでいない。入り込んですぐにミラクーロは右を向いて歩きだした。風が真正面からゴーゴーとぶつかってくる。
「何か探し物とか?だったら風で飛ばされちゃってるよ」
「探しものといえばそうなんですが……。あ!」
突然ミラクーロの歩みが止まり、レイミリアがミラクーロの背にぶつかる。ミラクーロは気にせずに上空を眺めている。
「いました、あそこ」
そう言って指をさす先に、ふわりと浮かぶ白い雲のようなかたまりがあった。
「なにあれ?こんな風が強いのに、なんで?」
レイミリアが、ミラクーロの指さす先を見てそう聞いた。
「この風を起こしている精霊です。あの色合いだと、まだ生まれて間もない子みたいですね。……近くに親がいるんでしょうか?」
ミラクーロはそう言うと、上空に浮かぶ白い雲に向かって手を振りはじめた。その言葉になのか、その仕草になのか、レイミリアが腕を組み冷ややかに言う。
「……ミラクくん、頭だいじょうぶ?」
「何ですかそれ。僕は嘘は言ってませんよ」
「何言い出してんのよ、精霊はないでしょ。そもそも精霊ってアニメの中だけに出てくるヤツじゃん。しょうがないなぁ、お子様は」
竜巻から身を守る被膜、洞窟から砂漠まで飛ぶ奇跡、何もない所から出される松明。そうした不思議はどこか棚の上にあげられてしまったかのような口調で、レイミリアは続けた。
「だいたい、精霊だって言うんなら近くにやってきて裾を引っ張ったり髪にじゃれついたりするもんでしょう」
その言葉に、上空に浮かんでいる白い雲がゆっくりとレイミリアに近づいてきている。今の話が聞こえたのだろうか?
「あと自己紹介もしてたかな。なんかこう可愛い声で、ぽ……」
「はじめまして。ボクの名前はシルフィードだよ」
突然、レイミリアの耳にそう声が聞こえた。
「ボクは風の精霊さ。まだ生まれたばかりなんだ。お姉さん、名前はなんて言うの?」
驚いて周囲を見回す。見ると白い雲はレイミリアたちのすぐ後ろまで降りてきていた。
「あんた、喋れるの……?」
レイミリアは白い雲の方へと振り返り、そう聞いてみた。
「うん、ボクしゃべれるよ」
その声の方向にあれっと思う。目の前に雲は浮かんでいるのに、声はもう少し下から聞こえる。
「お姉さん名前は?なんて言うの?」
頭を下げ、見るとそこでミラクーロが鼻をつまみながらニヤニヤしていた。
「だめだよお姉さん、ボクはそこにはいないよ。ボクはもっと上にいるよ」
何をしているのよっ!と、レイミリアは思った。そう思ったら思わず拳でミラクーロの頭を小突いていた。
「痛いな、何するんですか……」
口を尖らせてミラクーロがそう言う。レイミリアは腰に手をあててミラクーロを睨んでいる。その視線の間に、ふわふわっと白い雲が降りてきた。雲は、暫くその場に漂うと、ふわりとミラクーロの頭の上に降りる。
「間違いないですね、風の精霊です」
「嘘よ。騙されないわよ、私は」
互いに相手の話は聞く耳持たないといった様子で、二人は自分の言いたいことを話しはじめていく。
「精霊くん、近くに親の精霊はいるのかい?」
「そんなことよりも、ジョジさんを見つけなきゃ!怪我してるんでしょう、急がないと!」
「へー、そうなんだ。よかったね」
「よくはないでしょう!怪我よ、大怪我!早くいかないと!大変なことになったらどうすんの!」
「なるほど。それでかぁ」
「ちょっと、ミラクくん!聞いてるの⁉」
風が吹きすさぶ竜巻の中、薄い被膜に包まれて、少女と幼い少年。噛みあわない会話がずいぶんと長く続いていく。そうしてようやく、ミラクーロがレイミリアを見た。
「レイミリアさん、ちょっとまずいことになっているみたいです」
「だからさっきから私が言っているでしょ!」
「そうじゃなくて。うーん、まどろっこしいな。ちょっと銀の鈴使わしてもらいますよ」
言うが早いか、ミラクーロが唱える。
「リアライズ」
すると、ミラクーロの頭の上にいた白い雲のようなものが、モクモクと形をくねらせはじめた。モクモク、モクモク、広がったり縮んだりを繰り返し、やがて小さな白い猫に変わった。
「なに、かわいい……」
レイミリアの目がその子猫に吸い付くように動かなくなる。そうして次第に目尻が下がり、鼻の下が伸びはじめ、やがて口元に涎が……。
「今、そんな時間はありません。精霊くん、名を与えます。君は今からベントスです」
「名前をありがとう。ボクはベントス。ラテン語なんだね」
いきなりしゃべりだした白猫に、驚いて口が開いたままになるレイミリア。そんなことはお構いなしにミラクーロはベントスに向けて話を続けていく。
「ベントス、君の親は今、どの辺りに捕まっているんだい?」
「聖霊様、ボクらに親とかはないよ」
「あー、君ってもしかしてちょっとめんどくさい?」
「それはひどいな。ボクはベントス。大気と混じり命の素を世界に運ぶ精霊だよ」
「……やっぱ面倒くさい」
「なんてことを言うのさ。いくら聖霊様だっていっても許せないぞ」
「そんな場合じゃないでしょう!本体が消されたら君消えちゃうんでしょ?」
「ええ、そうです。でも平気さ。あの二人組にはボクを消せるほどの命力はなかったからね」
話が通じないなと思ったのか、ミラクーロは頭の上の白猫をむんずっと捕まえると、自分の顔の前に顔がくるように持ち上げる。
「今、たぶんですがその近くに、僕らの連れが向かっていっているはずです。あの人、強いですよ。僕の父の攻撃をあっさりと躱した方ですから」
「さっき通り抜けてった人だね……。確かに、ちょっと強かったかな」
「ちょっとどころじゃないですよ!『たそかれ』に入り込んでこれるくらいの人ですよ!」
「え?……嘘でしょ……」
「知ってますよね、『たそかれ』。『たそかれの世界』です」
「はい……。かつてボクの主だったデ・ミゼリト様が従者のルミネと共に戻られた世界……」
ミラクーロは、話の内容をレイミリアに悟られぬよう次第に小声になっていっている。ちらっと見るとレイミリアは、まだ口を開けてボケっとしたままだ。ならばまだ大丈夫と思い、続きを聞いていく。
「デ・ミゼリトは僕の母上です」
「それは失礼いたしました……」
「あと、ルミネは僕の父上の名前です」
「それはあまり失礼とは思えません。どこからどう見ても従者にしか見えませんでしたから」
「……戻ったらそう伝えておきます」
なんだか話が進まないな、とミラクーロは思った。
「話を元に戻しますが、今あなたの近くまで行っている人、ジョジロウさんと言うのですが、その方と対峙する時は手を抜いちゃ駄目ですよ」
「わかりました。聖なる聖霊様のご子息であるミラクール様のお申しつけ。ベントスの骨身に刻み全力で努めます」
「……骨も身もないじゃないですか、君」
「それだけ精一杯頑張りますという例えです」
「……やっぱり面倒くさい」
そうしてベントスを手から放し砂の上に置くと、ミラクーロは固まったままでいるレイミリアを見てつぶやく。
「聞こえてはいたよね……。けど理解までできてるかな。面倒臭くなりそうだったからこうしちゃったけど、そもそも意識あるんだろうか?この状態って」
レイミリアは右手が少し前に出かけ、左足が一歩踏み出そうとしている。まだ口を開けたまま、その姿勢でその場に立ち尽くし全身を硬直させていた。このままだと目が乾いてしまわないかなと、ミラクーロはそれが心配になってしまった。
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