第10話 クロウとイリア 前話

 徐次郎が入り込んだ建物の三階には、男が二人いた。

 「ずいぶんと久しぶりだな。まだ魔物狩りを続けているのか?」

 左目に傷がある男が、手に酒の入った瓶をあげて徐次郎に言った。どうやら中にいたのは徐次郎の知り合いのようだ。

 「ああ、変わらずさ。俺にはそれしかねえからな……」

 言いながら徐次郎は手をあげて酒の瓶を断る。するともう一人が言った。

 「どうしてなのさ。ずいぶん前だけど、可愛い嫁さんと確か、子供もできたって聞いた」

 声の様子からすると女だ。結婚したのになんで危ない橋を渡ると言いたげな口調だ。フードを目深に被ったままなのでその表情はわからない。

 「ああ……。可愛い嫁と、息子が三人な」

 そう言った徐次郎の目は、どこか遠くを見ている。徐次郎のそんな様子を見て、男が言う。

 「……ま、久々の再会だ。肩の力抜いていこうや」

 三人は英語で話をしている。徐次郎の前に立つ男の方は、流暢な英国風の英語を話し、女の方は少しアメリカ訛りがある。どちらも手に一冊の本を持ち、腰に小型の小袋を下げていた。

 「このオアシスに住んでる住人達からの依頼で来た。この街の族長を開放し、外の砂嵐を解除してもらえないか?」

 徐次郎は単刀直入にそう話すと、つづけて気怠そうに言った。

 「……なんで錬金のお前らがここにいるのかは聞かん。が、『たそかれ』についてなら少しは俺も情報がある」

 徐次郎のその言葉に、男の方が反応する。

 「『たそかれ』の何を知っている?」

 「入り口と、入り方と……あとはいろいろだ」

 男は女の方を向いて何事かを相談しはじめた。徐次郎は黙って腕を組んで待つ。やがて話し合いが終わり、男が徐次郎を見て言った。

 「いいだろう。この街と族長を開放する」

 「ふぅ……。前ん時よりも物分かりがよくなってくれていて助かる」

 「そりゃそうだ。右目まで見えなくされたら商売あがったりだからな」

 男はそう言って笑う。徐次郎も合わせて笑った。





 「……そいつはそうと、奥にいる馬鹿でかい気配、ありゃなんだ?」

 「こいつの新しい相棒だ。精霊術を覚えたんでね。どうせなら大物をって思って、半年くらい前にこの砂漠で捕まえたヤツだ」

 徐次郎達は部屋の中にあった椅子にそれぞれ腰かけていた。既に交換条件としての情報は、徐次郎から二人に話し終えた後の様子だ。

 「それにしても、だ。何だって移動しちまったんだ?あの『たそかれ』ってのは」

 「知るか」

 「イリア、お前は知ってたか?『たそかれ』の入り口があっちこっち動き回るとかって」

 「知らない。そんな話、お爺ちゃんには聞かなかった」

 男からそう呼ばれて、女が答えた。既にフードはとっている。濃いブラウンの髪に、肌の色も同じような色合いだ。顔立ちがハーフなのだろうか、ずいぶんと目鼻立ちが整っている。

 「お爺ちゃんは、お祖母ちゃんから聞いたって言ってた。お祖母ちゃんはそのまたお爺ちゃんに聞いたって」

 「伝言ゲームみたいなもんだからな。いろいろと情報が足りなさ過ぎて途方に暮れてたんだ」

 そう言って男は、三人の前に置かれたカップに、湯気の立つポットから黒い液体を注いでいく。

 「ほら、できたぞ。イリアの遠い祖先が住んでたっていう南米産の珈琲だ」

 「ほう、そいつは豪勢だな」

 徐次郎がそう言ってカップから立つ香りを嗅ぐ。

 「うん、いい香りだ」

 イリアと呼ばれた女は、それを聞いて嬉しそうにはにかんだ。





 「で、なんで『たそかれ』に用がある?」

 既に珈琲は何杯目だろうか……。飲み過ぎて腹がタポンタポン言いそうだ。

 「……珍しいね、なんで踏み込んで聞く?」

 徐次郎の聞いた問いに、男が質問で答える。一瞬だが二人の間に緊張感が走った。

 「たいした理由じゃない。俺の仕事もその先にあるってだけだ。邪魔をされたら困る」

 徐次郎が肩の力を抜いて、既に冷めきった珈琲の入ったカップに口をつけながら答えた。

 「……魔王か?」

 男が、そうつぶやいた。徐次郎は頷き、カップを置く。

 「ああ。それしか他に思いつかなかったからな……」

 「なんでだ。お前さんほどの男なら、もう一度最初からやり直しても……」

 男はそこまで言って、言葉を止める。徐次郎の顔が、切なく苦しい表情に変わるのを見たからだ。

 「……そうか。残念だな」

 何に対して残念なのか、しかし男はそれ以上を語ろうとはしない。徐次郎も表情を戻し、薄く口元を歪ませて笑顔を形作る。イリアがその様子を見て、この会話には踏み込んではいけないと感じとっていた。


 「話は変わるが、奥の精霊とやらは障ってない奴か?」

 「ああ。魔物を増やして歩くつもりはないんでね。純粋な上澄みの奴をつかまえた」

 「どうやって見つけたんだ?『マルアハ』でもなかなかできないぞ」

 「そいつはイリアのおかげだ。こいつは先祖代々に渡って受け継いできた力がある」

 男と徐次郎の会話が突然自分に振られ、ミリアは驚いた顔をした。

 「声が聞こえるんだと」

 男がそう話す。するとイリアが頷くのが見えた。

 「声って、精霊の声が、か?」

 徐次郎の問いに、イリアがもう一度頷いた。

 「声って言っても、なんていうか、こう、子供が街中ではしゃぐような感じの声が頭の中に響く」

 イリアがそう説明する。

 「あんまり聞いたことのない力だな。しかし、こうしてかなりの力を持った精霊がいるんだから嘘や間違いではないんだろう」

 「当たり前だ。でなきゃ、俺が一緒に旅をするわけがない」

 男はそう言うと、イリアの隣に座りなおす。

 「こいつの力は本物さ。俺なんかは足元にも及ばない。だから俺はこいつと一緒にいる。イリアの願いを叶えながら俺の錬金術を高めていくためにな」

 「……クロウ、仲間のところに戻る気はないのか?」

 不意に徐次郎が男をそう呼んだ。呼ばれた男の表情が曇る。

 「そんな名の奴はもういねえ。あんときに捨てちまったからな。俺の名前は名無しだ。戻る気はねえ」

 「……そうか」

 徐次郎はそれ以上は聞かないことにした。

 「……さて、じゃあ情報交換も終わったし、お互いの近況報告も以上か。そろそろお開きだな」

 「そうだな。……久しぶりに会えて嬉しかったぜ」

 徐次郎と男はそう言って立ち上がる。イリアも同じように立ち上がると、しかし窓の外に顔を向けて首を傾げた。

 「……誰か来るよ」

 その言葉に男たち二人が窓辺へと向かい、壁際から外をうかがう。見るとそこには、薄汚れた色に変わったドレスの少女と、子供用のフォーマルに身を包んだ幼い少年と、その頭の上に白い猫がいる。徐次郎がため息をつきながら口を開いた。

 「大丈夫だ。ありゃ、俺の連れだ。……ったく、外で待ってろって言ったのに」

 「連れって……。いったいどうやってあの竜巻を越えてきたって言うんだ?」

 「気にすんな」

 男と徐次郎の会話は相変わらず素っ気ない。

 「連れってことは、あの二人があんたの子供かい?」

 イリアも窓辺から外を見て何の気なしにそう尋ねた。その言葉に名無しの男が顔をしかめる。しかし徐次郎は気にしたふうもなくこう答えた。

 「……似たようなもんだ」

 その表情は心なしか微笑んでいるようだ。

 「でかい方は、世間知らずすぎてな。世話がかかりそうで頭が痛い。小っちゃい方は逆にすれっからしでよ。……ったく、言われてみりゃよく似てやがる」

 そう言うと徐次郎は窓辺を離れた。元いた場所に戻るとカップに残った珈琲を全部飲み干し、そうして二人に背中越しに言った。

 「珈琲、ごちそうさん。美味かったぜ」

 「お、おう……」

 男の答えるのを聞くと、徐次郎はそのまま部屋を出て階下へと降りていった。



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