第10話 クロウとイリア 後話
◇
徐次郎が部屋を出て暫くたった頃に、室内に残った男が窓から外を覗いた。と、徐次郎と先ほどの二人が合流しているのが見える。
「……どうかしたの?」
イリアが名無しの男にそう尋ねる。男は窓から徐次郎をじっと見ている。
「あの野郎……、ヤバいことになってるな」
「どういうこと?」
女の質問に、男の表情が哀しみに染まる。そうして言った。
「あいつの嫁、亡くなったって聞いた。確か五年くらい前だ。三番目の子を産んで、産後の経過が悪くて、だってよ」
「うそ……」
男の答えに、イリアの表情が切なそうに歪んだ。
「それに去年だっけな。あいつが里を出ている間に、息子も一人亡くなったって聞いた」
「どうして?」
「知らん。たまに情報を貰う『マルアハ』の奴から聞いた話だ」
「だとしたら……」
男は窓辺から離れると、イリアのいるテーブルの席についた。
「ああ。入ってきたときから思ってたが、あの野郎、生き急いでやがる」
「だから『たそかれ』へ?」
「だろうな。あいつの強さじゃ、他の場所じゃ死にたくても死ねないだろう」
「そうね……」
その時、部屋の奥でガタンと音がした。寝ていた族長が目を覚ましたのかもしれない。しかし気にする様子もなく、名無しの男は話をつづけた。
「とにかく急いでここを出よう。それで、一度『マルアハ』へ行くぞ。『たそかれ』もだが、その前にあいつから聞いた、お前の祖先らしい話を確かめに行こう」
「ええ……」
「それが済んだら、すまんが暫くは休暇だ。お前はそのまま『マルアハ』で世話になってろ」
「あんたは、行くの?」
「そうだな。行く」
「じゃあ、私も行く」
「いいのか?」
「うん」
「徐次郎の馬鹿を手助けしたって、何の報酬も出さないぞ、あいつは」
「どうせすぐまた後で、私と『たそかれ』に向かうんでしょう。だったら一回でいいじゃない」
「あいつが一緒だと、絶対にやばい戦いに巻き込まれるぞ」
「本当にやばかったら逃げればいいじゃない。いつもどおりに」
「それもそうか」
「でしょ」
そう話し終えて、二人はニコッと笑いあう。その時になってようやく、部屋の奥から歩いてくる足音が聞こえた。
『たそかれ』の場所を聞くために閉じ込めていた族長が、そろそろ腹でも減って起きてきたのだろう。何を聞いてもとぼけるばかりで、しまいには「こっちの方が知りたいくらいだわ!」と逆切れをする始末。扱いに困り食事だけは与え、そのままほったらかしにしておいたら、ここ最近はずいぶんと怠惰な生活を送りはじめていた。開放するのにはちょうどいいタイミングだ。
男がそんなことを思いながらもう一度窓から外を眺めると、外を囲む竜巻の風は次第にその力を弱めはじめていた。
◇
レイミリアとミラクーロに合流した徐次郎は、白い猫を見て戸惑っていた。
「で、なんなんだ、そいつは……」
ミラクーロの頭の上に輪になって眠っている猫は起きない。代わりにレイミリアがあっけらかんとした口調で言った。
「この子、ベントスくん。ミラクくんが竜巻の中で拾ったの」
「何を言ってるんだ。こいつ、小さいが立派な精霊だろう……」
驚きに徐次郎の目は限界まで開かれている。またしてもミラクーロは目の前の人の目の渇きを心配しながら、事情を説明した。
「この子があの竜巻の発生源だったんです。たぶん、もっと大きいのがいると思うんですが、大気の精霊の分け身と言えばいいんでしょうか……」
「そうですよ。ボクは分離したばかりですが、ちゃんと仕事はできます」
ミラクーロの頭の上から、まるで子供みたいな声でそう答えが返ってきた。
「いやいやいやいや……ありえねえ」
そう言って徐次郎は頭を抱える。めったに会えないのが精霊なのに、まさか一日に二度も会うなど徐次郎の常識ではありえない。
「あー!」
その時、突然にレイミリアが大声をあげた。
「そう言えばジョジさん!怪我はどうしたの?怪我……」
どうやらここへ来た目的を思い出したらしい。じろじろと徐次郎の体を舐めるように見ている。
「……なんのことだ?」
徐次郎は怪訝な顔で、ミラクーロを見た。レイミリアに尋ねても要領を得ないと考えたのかもしれない。
「僕は知りません」
ミラクーロはそう答えながら、頭の上からベントスをおろすと腕に乗せるように抱きかかえ、鼻と鼻をすり合わせている。
「あれ?どこも血なんて出てないじゃない。あれ?」
レイミリアはついに徐次郎の腹の辺りを探るように手のひらで触りだしている。
「なんなんだ?いったい⁉」
徐次郎がそう叫ぶ頃、街の周りを渦巻いていた竜巻がついに消え去った。見あげると青い空が広がる。珍しく雲が風に流され、北へと走り去っていくのが見えた。
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