第2話 三様にかたまる 前話
馬車は全速で駆けつづけ、そろそろ十分が過ぎようとしていた。距離にして三キロくらいは走れたろうか。
そう考えてレイミリアが手綱から合図を送ると、馬たちは少しづつ速度を落としていく。
「どうどう」
普通に人が歩くくらいまでの早さになると、レイミリアは手綱をゆっくりと引いた。それを合図に馬たちは歩を更にゆるめ、やがて停止する。
「ごめんね、無理をさせちゃって。少しここで休もう」
レイミリアは御者台を降りると、愛馬達の一頭一頭に触れて歩いた。馬たちも何者かの気配を察知していたのだろう、少し気が立っている様子だ。そうやって一頭一頭にふれながら、馬たちの気を落ち着かせてまわっていく。首筋を優しく撫でられることによって馬たちは次第に落ち着きを取り戻し、やがてブルブルと鼻をこすりつけてきた。
馬たちが落ち着いたのを確認してから、レイミリアは馬車の横へと向かった。車体の側面に備えられた開き戸を横に開け、車内へと身を乗り入れる。
中には前向きに並べられた椅子が二組備えられていた。その最後部に馬たち用の餌と水とが積んできてある。それを取ろうと奥へと向かった。
「え?」
車中を後方へと踏み出したレイミリアは、そこに誰かが隠れていることに気がつく。
驚いて、急ぎ馬車を飛び出た。すると、
「え!」
飛び出したレイミリアの目の前に、今度は黒い影が立っていた。
一瞬だがレイミリアは御者のロイが戻ってきたのかと思った。けれどそれはすぐに間違いだと気がつく。
「あんた達、いったい何者だ?」
目の前に立つ全身黒づくめの男がそう言ってレイミリアを睨む。少しひるんで、しかしレイミリアも負けじと言い返した。
「あ、あなたこそ!何者よ!」
驚きの感情を一気に怒りに変換する。こうした感情のコントロール方法は教育係のヨホから学んできていた。不審者にもし出会ってしまった時に、隙をつかれないようにするためだそうだ。
教わってから今までの十年間、一度も使いどころがなかったのにようやく役に立った気がする。
「聞いてるのは俺の方だ。あんた、人間か?なんでこんなところにいるんだ?」
すると男も負けじと言い返してきた。
人間か、と聞かれたレイミリアは首を傾げる。
「何言ってるのよ、私が人間じゃなかったら他に何だって言うのよ?」
レイミリアにしてみれば、どう考えてもおかしな質問だ。
「魔障に障ってはいないんだな?」
「マショウニサワッテ?なによそれ?」
魔障に障るとは、まるで馬から落馬のような言い回しなのだが、それ以前にレイミリアは魔障というものを知らない。なので会話が噛みあうはずもない。
「魔障ってのは魔に侵された状態だ。なんかこう、頭の中に知らない誰かの声が響くとか、ちょっと怒りっぽくなったとか、そういうのねえか?」
「マって何よ、オジサンおかしいんじゃないの、頭?それよりもなんでそんな恰好してるのよ。仮装ならまだまだ早いわよ。正月の出し物ならもういい加減遅すぎると思うけど」
「……うるさい」
「それに何よ!なんだって追いかけてくんのよ!ロイは?ロイに何かした?あとなんでこんな所にいるのよ。あんたどこの人?」
「……」
男はすっかり困惑顔だ。まさか魔王討伐に来て、それも最後の迷宮を抜けた先で、子女に出会うなど、想像すらしてきていない。
そんな男の心情などお構いなしに、レイミリアはまくしたてていく。
「だいたいなんでうちの子たちが全力で引っ張ってる馬車に追いつけるのよ?おかしいんじゃないの、頭。それになに、か弱い女性に話しかける最初の一言が『何者だ』って?おかしいでしょう、頭。それこそそんな恰好で、声だけはいいってのも何かおかしいでしょう、頭」
「……」
もはやどう考えても男に勝ち目はない。必要以上に「おかしいでしょう、頭」と繰り返すこの様子は、かなり頭に血があがってしまっていると考えられる。こうなってしまった子女に男が勝てる道理などない。
かといってここで手を挙げれば、男の負けが確定してしまう。そんな負け方は嫌だという思いが、男の中に湧き上がっていく。
そうして男は、口を開くことを諦めた。ほおって置けばいずれ喋り疲れて静かになるだろう、などと浅はかともいえる判断をしてしまっていた。
そうして偉ぶって腕を組み、その実、じっと立ち尽くしている。
その時、馬車の中から鋭く甲高い声が響いた。
「お二人とも!今すぐに馬車にお乗りください。奴が来ます!」
年端も行かぬ少年の声。凛としたその声の響きにレイミリアの口撃が止む。と、その瞬間、レイミリアはぞわっと全身が総毛だつのを感じた。毛穴という毛穴が洞窟の奥から迫る恐怖におののいている。
反射的にレイミリアは御者台に飛び乗る。男が怪訝な顔でその後に続いた。馬車はレイミリアの手綱でふたたび駆け出し、ほどなく洞窟内に爆音のごとき轍の音が再び響き渡っていく。
「なんだって言うんだ?」
黒装束の男がレイミリアの隣でそう尋ねた。
「私だって知らないわよ。でもなんか追って来てる。あんただって感じるでしょう、この総毛だつ感じ」
レイミリアがそう言い終わると、馬車の扉が内側から開く。
「ごめんなさい。勝手に乗込んじゃって……」
開いた扉から、レイミリアと黒装束の男の間に小さな顔が現れてそう言った。
その顔は美しく均整がとれ、目鼻立ちもしっかりとしたヨーロッパ系のノーブルな顔立ちだ。
「誰よ、あんた……」
レイミリアは目を点にして、その男の子の顔を見た。その手元の手綱があやふやに揺れる。
それを見て黒装束の男は、黙って横から手を伸ばすと手綱を引き受けた。
「僕は、ミラクーロと言います。あの、後ろから追いかけてくるアレの、子供です……」
申し訳なさそうにそう言う男の子の顔を眺め、レイミリアの表情がますます怪しくなる。目尻が下がり、口元が緩み、その唇がわなわなと震えだしていく。
「あの、ごめんなさい。お父さんが僕を連れてきて、この奥の湖で何かしようとしていたんです。僕、それが怖くて、逃げてきちゃったんです……」
そう男の子は言うが、ではいつの間に馬車へと潜り込んだのだろう。馬車にはレイミリアとジケイと御者のロイしか乗って来てはいない。そして、今御者台で手綱を引く黒装束の男に洞窟の奥で会ってからは、レイミリアしか乗っていなかったはずだ。
しかもここまで馬車は全速力で駆けてきた……。子供が乗りこめるタイミングなどどこにもないはず。
「家族旅行か何かなのか、こんな場所で……?」
この状況がよくわからずに、自分でも頓珍漢だと思いながら、男は聞いてみることにした。
「いいえ、ここへ来たのは僕と父だけです。母は今頃、家で編み物でもしている時間です。なので家族旅行というわけでは……」
ミラクーロと名乗った子供は、その端正な顔を男に向けて申し訳なさそうにそう答えた。
その嘘偽りのない表情に、男はますます混乱していく。
「えっと、その中に、まだ誰かいるよな?大勢いた、気配が……」
「え?この中は僕だけですよ。さっきオジサンが飛び乗った時、僕も一緒に入り込んだんですから」
ミラクーロの答えは男を驚愕させた。同時に、そんなはずはないという考えも浮かぶ。
――里では索敵でも一番と名高かったのだ。その俺が気配を読み間違えるはずなんてない……。しかも俺と一緒に飛び乗っただと?馬鹿な、こんな小僧が俺に追いついて馬車に飛び乗ったというのか。なぜ俺に気づかれずにそんなことができる?
そうして男は、自分に都合よく考えはじめた。
これは何かの罠か仕掛けにはまり込んでしまったのではないか、と……。
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