第2話 三様にかたまる 後話



 迷宮と呼ばれる場所では、さまざまな罠や仕掛けが施されていることが多い。男が数年前に行ったヒマラヤ山中の迷宮では、仲間同士を敵に勘違いさせる精神錯乱性のガスが発生していた。その前に行ったアマゾンの大森林では、敵対した魔信奉者を、気心知れた人に見間違えさせる罠があった。

 これもそういった仕掛けではないだろうか……。そう男は訝しみ、前方に目を向ける。


 精神錯乱性の仕掛けは、程度が弱い物であれば体のどこかを傷つけることで簡単に解くことができる。そう考えて男は手綱を強く握り、綱の間に指を挟みこんでみることにする。しかし暫くしても、指に手綱が食い込むばかりで何も変化は現れない。

 「まあいい。それよりもいったい何が来るっていうんだ?俺には……」

 男はそう言いかけて、やめた。


 男の目が、すぐ隣に座る男の子の背後に、怪しい動きをするレイミリアの姿を捉える。その様子に驚き右手に苦無を構えた。


 レイミリアは今にも飛びかからんばかりのランランとした目で、ミラクーロの後ろ髪をクンクンと嗅いでいる。その目はトロンと怪しく目尻が下がり、鼻の下も限界まで伸びている。両の手を頭の横に広げるように開き、指先は獲物を狙う猫科の生き物のように折れ曲がっていた。


 憑き物か?

 黒装束の男はそう判断して、苦無の柄に仕込んだ麻酔針を口に含む。するとそれに気がつきミラクーロが後ろを振り向いた。とたんにレイミリアとミラクーロの目が合う……。

 その状態でしばらく、三人の動きが止まった。


 馬車はその間もものすごい勢いで走り続けている。馬車を引く四頭の馬たちは、ロイとレイミリアに褒めてもらいたくて仕方ないのだ。頑張ればいつも褒めてくれる。そうして美味しい褒美を満足いくまで食べさせてもらえる。

 そうして走る四頭のうち、御者台に近い方の二頭、名前をパセリとセロリと言う、の二頭が、御者台の様子に気がついた。馬の視界はほぼ背後まで及ぶ。並んで右側を走るセロリのその視界の左後方に様子がおかしくなったレイミリアが見えた。ほぼ同時に左側を走るパセリにもそれが見える。

 二頭はブルルゥルンっと、前を走るエシャロットとキャロットに嘶きで「お嬢ちゃんがおかしいぞっ!」と知らせた。すると前を走るキャロットから、ブルンと短い返事があった。「小さい男の子の気配だ。たぶんいつものやつだ、気にせず駆けろ」皆のリーダーでもあるキャロットの返事は他の三頭に等しく伝わった。そうして四頭はまた集中して駆け出す。「洞窟の外まで急げ、そのままどこかの民家まで急げ」が最後にレイミリアから手綱ごしに受け取った意思だからだ。


 昔からレイミリアは、かわいい幼児に目がなかった。だから幼稚園に通う頃は天国のごとく日々を送り、小学校に通いだすようになると、毎日がため息の連続でもあった。たまに同じ学年に幼児のような子を見かけはする。しかし学年が上に上がるたびに、そうした子ほど大きく変化していく。

 ついに、中学校へと入学してすぐ、レイミリアは不登校となる。家から出ようとしないレイミリアに父や母が理由を尋ねた。しかしさすがに正直に話しようがない。「お前は何を言っているんだ!」と父に怒られて、無理矢理に通学させられるのがオチだ。

 だからレイミリアは学校をサボることを覚えた。勉強がつまらないというのもあるし、友達付き合いの中で本音を話せないというのも辛い。そうして学校へ行くふりをしながら近所の幼稚園近くまで行き、大人に見つからないように幼児たちを遠くから愛でることを覚えた。


 十三歳という若さで身に着いた自身の性癖が、他人に知れればどう思われるのか、それは十二分に理解できる年頃であった。

 御者台の上でレイミリアは、自分をじっと見つめるミラクーロの瞳に我に返る。その一瞬で、自分が何をしようとしていたのかに気がついて、レイミリアは硬直した。


 ミラクーロは、隣に座る十代の女性の、そうした性癖についてはあまりよく理解していない。幼子の姿のまま父上に連れられて、これまでもいろいろな場所へと連れて行かれた。しかしそうした場で寄ってくる者の中に、父上によく思われようとしての言動はあっても、今見たように目じりを下げて鼻の下を伸ばし、涎すら垂らしながらという者は皆無だった。

 過去に出会ったことのない恐怖に、ミラクーロは生まれて初めて硬直した。


 黒装束の男は、以前に妻から聞いたことがあった『ショタ道』というものを始めて見る。まだ幼児の男子をまるでペットのように愛で可愛がりいかがわしいことさえも辞さない、『腐女子』に分類される女子達の一派だと説明された覚えがある。ちなみに妻は『やおい道』を貫いていたらしい。

 聞いたことはあるが初めて見たその光景に、男は女の業の深さを思い病んだ。ここで引導を渡してやった方がいいのか、それとも見なかったことにしてあげる方がいいのか。

 そう思い悩み、男は硬直した。


 やがて馬車を引く四頭に疲れが見えはじめた頃、はるか後方、洞窟の奥深くから、地の底に響くような咆哮が響いてきた。はじめは音として耳に聞こえなかった。ただ洞窟内に響く馬車と蹄の音が、ゆらりと揺らめくようにうねりはじめている。


 最初にそのことに気がついたのはレイミリアだった。なんだかおかしな具合に音が聞こえていると、そんなふうに思い、耳に手をあてた。それを見たミラクーロがハッと気づき、御者台に立ち上がって背後の洞窟を見回す。黒装束の男がそんなミラクーロの様子を見て、同じように馬車の背後を気にするようにチラチラと振り返りはじめた。

 そこにものすごい音量の超重低音な咆哮が、届き、響く。

 先ほどまでとは全く異なる理由で、ふたたび三人は硬直した。


 馬車を引く四頭の馬たちも驚き硬直しかけたのだが、そこは野生と称賛したらいいのか……。全力で逃げねば、褒めてもらうことも褒美もそれ以前に命すら危うい。そう理解していっそう精一杯に駆け出している。


 洞窟の出口まで、およそ五キロ。三人を乗せた馬車とそれを引く四頭の馬たちの、決死の逃避行がはじまっていく。



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