第1話 洞窟を駆けるお嬢様 後話
◇
レイミリアが思いを新たにしているちょうど同じ時、彼女の乗る馬車の天上に、黒い影がスッと立ち上がるのが見えた。
その影は、激しく揺れる馬車の上にいて何事も無いかのように両の足で立ち、両腕を組んだ姿勢で御者台を見下ろしている。
全身を異国の衣装に身を包み、顔全体を覆う布からわずかに覗く目が、足元の一点を凝視していた。御者台に座り手綱を握っている薔薇色のドレスの娘を……。
見ながら男は考えていた。この女は何者なのだろうか、と。
魔王討伐という使命を帯び、二年がかりでようやく揃えた仲間の六人、力を合わせついに辿り着いた最後の迷宮。必死の思いで入り口の結界を抜け、いざ魔王の元へと先を急ぐ。
その道中、仲間の一人がまやかしに囚われ不明となる。直後に今度は深い霧に囚われ、そこで二人とはぐれた。その後必死に駆けるうちに、気がつけば残る三人も消えていた。
六人いた仲間が誰もいなくなり、ついに男だけが残る。白く煙る深い霧の中、怪しげな迷宮を手探りに進みながら、食料が尽きるころになってようやく霧が晴れた……。
晴れた途端に、足元にレンガの感触を覚えた。男の目は壁にかかる灯りをとらえる。
いったいここは、どこなんだ。男がそう思い動き出そうとしかけた時に、ガラガラガラと近づいてくる奇妙な形の馬車に気がついた。
最初、男は怪訝な様子でその馬車を見つめていた。
――俺があれだけ苦労して辿りついた場所に、この馬車に乗る連中はいったいどうやって、それもなぜ、馬車なんぞで辿りついた?いや、つけた?
男はそう考えていた。
そうして次に男は考えた。
――考えられるのは、この馬車は魔王の手下……というケースか。あるいは迷宮の途中で俺だけ別の洞窟に迷い込んじまったか?しかしいくら何でもそのケースはなかろう。気がついたら『たそかれ』から外に出てました?阿呆ではないか。となると……。
男の考えは尽きることがなく、浮かんでは消えてゆく。
そうして男が思考を巡らせ立ち尽くしていると、馬車がまだ距離のある場所で停止した。御者台から白地に金の細工をあしらった立派な服装の男が、何やら意味不明な言葉を喚きながらこちらへと向かってくるのが見えた。
男は、そのあまりにも怪しい動きをする相手のおかげで迷いが晴れる。
向かってくるならば、斬る。それだけのこと。
走り寄る男と同時に、一瞬、別の声が聞こえたような気がした。少し甲高い、女の声だ。しかし走り寄ってくる男の不可思議な動きがそれを詮索する暇を与えてはくれない。
金細工の服を着た顔は満面に気味の悪い笑みを浮かべていた。走りながら両の手を上げたり下げたりを繰り返し、飛び跳ねたかと思えばいきなりその場で回る。それを繰り返しながら、スキップのような歩調でゆっくりと近づいて来る。
涎のようなものが口元に見えた。
腹が減っているというのか?ビッグフットや雪男のような、幻獣の一種なのだろうか?しかしこの肌に毛が無い様子は……。
一瞬、男は戸惑った。
――こいつ、もしかすると人、なのか……?
あたりを見回せば、どこまでも真っ直ぐに続くトンネルのような穴の中。左右を見れば灯りのようなものが等間隔で吊り下げられているのが目につく。あきらかに、話に聞いていた『たそかれ』の世界とは異なる。
そこに現れた黒い馬車。流線型を形どったその馬車は、男の知っている知識の中では馬などが引くようなものには見えない。形状だけを見れば、トヨタかホンダのファミリーカーだ。
しかし視界の先でUターンをしようとしているそれは、四頭の馬が引いている……。
戸惑いながら男は、駆け寄ってくる男に麻酔針を吹いた。そうしてその怪しい男が目の前で眠り込むのを確認すると、その呆気のなさに確信を持つ。
――こいつは、普通の人間だ。なんだって魔王の住む たそかれ に人がいる?
確信と同時に湧く疑問。その答えを得るために男は走った。
見るともう一人、馬車を降りてこちら側に近づいてくる男がいる。黒い燕尾服の老人。見た目はどこぞ西洋の執事にも似て見える。
おそらくは、今ここで倒れているこの男を助けようとしているのだろう。
そう判断し、男の視線は遠ざかっていこうとしている馬車へと切り替わる。
その馬車から感じとれる気配は、目の前で倒れこんでいる男の数十倍、駆け寄ってくる老人からすれば数百倍のものに思えた。
話に聞いた魔王のそれに比べる。しかし気配だけでは判断がつかない。であればその者を捕らえ、ここがどこなのかを聞けばいい。そう判断する。
――馬車はどんなに早くてもニ十キロ程度の速度しか出ないはずだ。ならば余裕で追いつける。
男はそう考え馬車を追った。馬車は次第に速度を増していくが、男が考えたより低い速度で落ち着いていく。
――ってことは、馬車を操っているのも普通に人間か?馬の方も魔障をくらってるってわけじゃなさそうだ。ってことならハズレか?そろそろ追うのをやめるか?しかしなんでこんな場所に?
男はそう思った。その疑問がすぐには頭から離れず、そのまま馬車を追うことにする。
ほどなくして男は、馬車に追いつく。乗っている人間に気づかれぬように、そっと馬車の天井へと飛び乗る。飛び乗った所で、御者台を見て驚いた。なんとそこにいるのは、真っ赤なドレスを着て金髪を風になびかせる、少女だったからだ。
――ますますわけが分からん。なんだってこんな所で、赤いドレスなんぞ着た子供が馬車を駆けさせてるんだ?
馬車の天井に足の力だけで張り付き、暫く男は思案を繰り返した。
魔王の側近であろうか、もしくは斥候か?しかしなぜドレスを着ている?あんな服では手綱を握るのにも邪魔で仕方なかろう?
思考が次第に散漫になっていく。ここまでの疲れがでているのだろうか。
――しかし、ずいぶんと手綱の扱いが上手いな。馬達も信頼して駆けているように見える。それにこの迸るほどの気配、ありえん。この気配は里の主様とほぼ変わらんぞ?
ほんの暫くだが、男はそうして様子を伺い続けた。そうして見ているうちに、御者台の少女が泣いていることに気がついた。
――何を泣く?というか、魔というものは涙を流すのか?いやいや、気配は強大ではあるが、狂気や殺意などは感じられん。となるとやはり人か?ならば事情を話し協力を頼むのも一手か?
男は、腰につけた箱のようなものから、イヤホンマイクらしき物を取り出し声をかけた。
「おい」
男の声はマイクを通して、男の左手首に付けられている小型の指向性スピーカからまっすぐに御者台に座る少女へと届けられる。その声に気づいたのか、少女がビクンと肩を震わせたのを見てとる。
すかさず男は、次の一声をかける。
「ちょっとおいあんた」
これで振り返ってくれれば、馬車の上から顔を覗かせている自分の顔が見えるだろう。そう期待して男は少女の反応を待った。
しかし少女は一向に振り向こうとはしない。
「おい、あんた。ちょっとスピードを落としてくれよ」
もう一度、と思いそう声をかけるが、少女は頑なに振り返ろうとはしない。むしろ余計に必死になって手綱を振るい続けている。
――いかんな。これじゃ逆効果か。
そう思い、男はそれ以上の声をかけるのをやめた。
――それに、さっきまで気づかなかったが、この下にも気配がずいぶんとある。……しかし、なんだかあやふやな感じだな。何だこの気配は?
男は馬車の内側を探るように、足元の天井に耳をつけた。
――音は、流石に聞こえねえ。人数的には、なんだこりゃ?数えきれねえ?まさか、こんな馬車の中にか?なんだそりゃ?
混乱しきって、男は頭を抱える。
――と、とにかく。停まるまで待とう。後のことはそれからだ。
頭を抱えながら男は、馬車の上にスッと立ち上がった。そうして腕を組み、御者台の少女を見る。
真っ赤なドレスが風に巻かれ、まるで大輪のボタンか薔薇のようだと思った。
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