第1話 洞窟を駆けるお嬢様 後話



 レイミリアがそうして思いを新たにしている時、彼女の操る馬車の上に黒い影がスッと立ち上がった。

 その影は、激しく揺れる馬車の上に何事も無いかのようにスッと立ち、両腕を組んだ姿勢で御者台を見下ろしていた。全身を異国の衣装に身を包み、顔全体を覆う布からわずかに覗く目が、足元の一点を凝視している。御者台に座って手綱を握っている薔薇色のドレスの娘を……。


 見ながら男は考えていた。この女は何者なのだろうか、と。


 魔王討伐という使命を帯び、二年がかりでようやく揃えた六人の仲間と、力を合わせついに辿り着いた最後の迷宮。必死の思いで入り口の結界を抜け、いざ魔王の元にと先を急ぐ。

 その途中、仲間の一人はまやかしに囚われ、二人とはぐれる。そうして気がつけば残る二人も消えていた。

 ついに男だけが残る。霧の深い怪しげな迷宮の道を進みながら、食料が尽きるころになってようやく霧が晴れた……。


 晴れた途端に、足元にレンガの感触を覚えた。目は壁にかかる灯りをとらえる。いったいここは、どこなんだ。男がそう思い動き出そうとしかけた時に、ガラガラガラと近づいてくる奇妙な形の馬車に気がついた。

 最初、男は怪訝な様子でその馬車を見つめていた。

――俺があれだけ苦労して辿りついた場所に、この馬車に乗る連中はいったいどうやって馬車なんぞで辿りついたのか?

 そう考えていた。

 そうして次に男は考えた。

――考えられるのは、この馬車に魔王の手下が乗っていて……というケースか。あるいは迷宮の途中で俺だけ別の洞窟に迷い込んじまったか?しかしいくら何でもそのケースはなかろう。気がついたら『たそかれ』から外に出てました?阿呆ではないか。となると……。


 男の考えは尽きることがなく、浮かんでは消えてゆく。


 そうして男が思考を巡らせていると、馬車がまだ距離のある場所で停止した。御者台から白地に金の細工をあしらった立派な服装の男が、何やら意味不明な言葉を喚きながらこちらへと向かってくる。


 男はそのおかげで迷いが晴れた。向かってくるならば、斬る。それだけのことだ。


 同時に別の声がどこからか聞こえたような気がした。少し甲高い、女の声だ。しかし走り寄ってくる男の不可思議な動きがそれを詮索する暇を与えてはくれない。


 金細工の服を着た顔は満面に笑みを浮かべ走り寄って来る。両手を上げたり下げたりし、飛び跳ねたかと思えばいきなりその場でクルンと回る。それを繰り返して近づいて来ている。

 涎のようなものが口元に見えた。腹が減っているというのか?ビッグフットのような幻獣の一種なのだろうか?しかしこの肌に毛が無い様子は……。


 一瞬、男は戸惑った。


――こいつ、もしかすると人、なのか……?


 あたりを見回せば、どこまでも真っ直ぐに続くトンネルのような穴の中。左右を見れば灯りのようなものが等間隔で吊り下げられているのが目につく。あきらかに、話に聞いていた『たそかれ』の世界とは異なる。

 そこに現れた黒い馬車。流線型を形どったその馬車は、男の知っている知識の中では馬などが引くようなものには見えない。形状だけを見れば、トヨタかホンダのファミリーカーだ。しかし視界の先でUターンをしようとしているそれは、四頭の馬が引いている……。


 戸惑いながら男は、駆け寄ってくる男に麻酔針を吹いた。そうしてその怪しい男が目の前で眠り込むのを確認すると、その呆気のなさに確信を持つ。


――こいつは、普通の人間だ。なんだって魔王の住むような場所に人がいるんだ?


 確信と同時に湧く疑問。その答えを得るために男は走った。


 見るともう一人、馬車を降りてこちら側に近づいてくる男がいる。黒い燕尾服の老人。おそらくは、今ここで倒れているこの男を助けようとしているのだろう。そう判断し、男の目標は遠ざかって逃げようとしている馬車へと切り替わる。

 その馬車から感じとれる気配は、目の前で倒れこんでいる男の数十倍、駆け寄ってくる老人からすれば数百倍のものに思えた。その者を捕らえここがどこなのかを聞けばいい。そう判断する。


――馬車はどんなに早くてもニ十キロ程度の速度しか出ないはずだ。ならば余裕で追いつける。


 男はそう考え馬車を追った。馬車は次第に速度を増していくが、男が考えたより低い速度で落ち着いていく。


――ってことは、馬車を操っているのも普通に人間か?馬の方も魔障をくらってるってわけじゃなさそうだ。ってことなら猫じゃねえんだからそろそろ追うのをやめるか?


 しかしなんでこんな場所に?男はそう思った。その疑問がすぐには頭から離れなくて、そのまま馬車を追うことにする。


 ほどなくして男は、馬車に追いつく。乗っている人間に気づかれぬように、そっと馬車の天井へと飛び乗る。飛び乗った所で、御者台を見て驚いた。なんとそこにいるのは、真っ赤なドレスを着て金髪を風になびかせる少女だったからだ。


――ますますわけが分からん。なんだってこんな所で、赤いドレスなんぞ着た子供が馬車を駆けさせてるんだ?


 馬車の天井に足の力だけで張り付き、暫く男は思案を繰り返した。魔王の側近であろうか、もしくは斥候か?しかしなぜドレスを着ている?あんな服では手綱を握るのにも邪魔で仕方なかろう?

 その思考が次第に散漫になっていく。


――しかし、ずいぶんと手綱の扱いが上手だな。馬達も信頼して駆けているように見える。それにこの迸るほどの気配、ありえん。この気配は里の主様とほぼ変わらんぞ?


 ほんの暫く、男はそうして様子を伺い続けた。そうして見ているうちに、御者台の少女が泣いていることに気がつく。


――何を泣く?というか、魔というものは涙を流すのか?いやいや、気配は強大ではあるが、狂気や殺意などは感じられん。となるとやはり人か?ならば事情を話し協力を頼むのも一手か?


 すると男は、腰につけた箱のようなものから、イヤホンマイクらしき物を取り出すと声をかけた。

 「おい」


 男の声はマイクを通して、男の左手首に付けられている小型の指向性スピーカからまっすぐに御者台に座る少女へと届けられる。その声に気づいたのか、少女がビクンと肩を震わせたのを見てとった。

 すかさず男は、次の一声をかける。

 「ちょっとおいあんた」

 これで振り返ってくれれば、馬車の上から顔を覗かせている自分の顔が見えるだろう。そう期待して男は少女の反応を待った。

 しかし一向に振り向こうとはしない。

 「おい、あんた。ちょっとスピードを落としてくれよ」

 もう一度、と思いそう声をかけるが、少女は頑なに振り返ろうとはしない。むしろ余計に必死になって手綱を振るい続けている。


――いかんな。これじゃ逆効果になるか。

 そう思い、男はそれ以上の声をかけるのをやめた。


――それに、気づかなかったがこの下にも気配がずいぶんとある。……しかし、なんだかあやふやな感じだな。何だこの気配は?

 男は馬車の様子を探るように、足元の天井に耳をつけた。


――音は、流石に聞こえねえ。人数的には、なんだこりゃ?数えきれねえ?まさか、こんな馬車の中にか?なんだそりゃ?

 混乱しきって、男は頭を抱える。


――と、とにかく。停まるまで待とう。後のことはそれからだ。

 頭を抱えながら男は、馬車の上にスッと立ち上がった。そうして腕を組み、御者台の少女を見る。真っ赤なドレスが風に巻かれ、まるで大輪の薔薇のようだと思った。



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