Ψυχή :: 黄昏 - 2018 Common Era. Odyssey.

銀の鈴の章

第1話 洞窟を駆けるお嬢様 前話

 木製の車輪が乾ききったレンガの道を叩き壊す勢いで回る。そのせいで洞窟内に爆音のような音が響き渡り、蹄の音が薄暗闇に絶え間なく騒がしい。

 御者台に座るレイミリアが馬車を引く愛馬たちに手綱を大きくふる。すると手綱は波のようにしなり馬達にその意思を伝えてくる。


――お気に入りで着てきた赤のドレスがこうなるとものすごく邪魔。自慢の金色の髪が風にのたうつ様に暴れて前を見るのがけっこう面倒。


 レイミリアはふと、そんなことを思った。無意識に集中して、ここまで何も頭に浮かばなかった。しかしひとつでも思い浮かんでしまうと余計な考えが後から後から湧いて出てくる。


――この洞窟の地面は焼いたレンガ。それが隙間なく敷き詰められていたはず。だから、柔らかなレンガ道なら市街と同じ。だから、……もう少し急がせても大丈夫。


 そんなことが思い浮かぶと、今度は数年前のできごとが頭をよぎる。


――あの時も馬達は足を痛めはしなかったから……。まったく、あの超問題児め。いっつも無茶ばっかりして。それに巻き込まれて痛い目を見るのはいつも私達じゃない。ジケイは自業自得で済むかもしれないけど、私達はそれじゃあ納得できないわよ。


 思い浮かんだ従兄の顔が、ほんのわずかにだが恐怖をどこかにやってくれたような気がした……怒りで頭の中いっぱいにドーパミンがあふれ出たおかげか。


 洞窟の背後から迫る恐怖からの乖離。とめどなく頭に浮かぶ思考をそんなふうに捉えながら、しかしレイミリアはしっかりと手綱を握りしめる。そうして握った手綱を力いっぱいにふり馬車を出口へと急がせる。

 馬車の背後から感じるおどろおどろしい気配。そいつがじわじわとにじり寄ってくるのが感じとれる。背中に感じるその気配は、まるで以前に会ったことがある巨大な竜のようだ。


――あの時も大変だった。あのジケイが珍しく消沈してて、何があったのって心配して声をかけたのが間違い。……高山に竜を見にいきたいって、……まだ子供なんだから駄目だって言われて当然。……それで泣いてたんだっけ。ジケイには珍しく目から涙をポロポロとこぼして、くしゃくしゃでどうしょうもない顔をしてたなぁ……。


 浮かんでは消える様々な思考を胸に、レイミリアは精一杯に鞭をふるう。時折ガタンっと車体が揺れた。車輪がレンガに引っかかっているのだろうか。轟音のような轍の音は変わらずに洞窟内に鳴り響いている。背中に感じる竜に似た気配がまた一層大きくなった気がした。ときおり、手綱を握る手が汗で滑りそうになる。


――結局、竜を見に行ったんだよなぁ。お父様に許可をもらって……。マニちゃんが一緒についてきてくれたっけ。給仕なのに悪いことしたなぁ、大怪我しちゃったものね。見えないところだけど傷も残っちゃったし、あれは私が悪かったなぁ……。


 迫り来る、逃れようのない気配。そいつが身に着けたドレスの生地ごしにじっとりと肌に触れてくるのが感じられる。その恐ろしさを紛らわせようと、今度は意識的にありったけの記憶を掘り起こしていく。そうしながら握った手綱を離すまいと爪を食い込ませるように力強く握りしめた。そうして指先の痛みに耐えながら、レイミリアは奥歯を力強く噛んでぎゅっと口を結んだ。

 その瞬間ふと、レイミリアの瞳から涙がこぼれる……。


――えーっと、嘘だよね。こんなところで、私、死んだりしないよね……。


 怖さがだんだんと精神を蝕んでいく……それがつぶさに感じとれている。普通であればとうに気が触れていてもおかしくない状況だ。そうでなくとも取り乱し泣きわめいているだろう。

 それでもなお、必死になって強引に思いを昂らせ、レイミリアは左手の袖でさっと涙を拭いた。


――冗談じゃないわよ。何が相手だか知らないけど、こんなことで諦めてたまるものですか!


 強い決意が背中から迫る恐怖を打ち破らんとするその刹那、レイミリアの耳は「おい!」っと呼ぶ男の声を聞いた。

 とたんに鼓動がドクンっと大きく脈打つ。恐怖がぐいっと、その鎌首をもたげ迫ってくる……。


 「ちょっとおいあんた」


 不思議なことにその声は、耳のすぐ後ろで聞こえた。馬車の走る音は変わらずに響いている。そんな中で聞こえた声。なので、レイミリアはその声を幻聴と切り捨てることにした。

 するとレイミリアの耳にまたも男の声が聞こえる。


 「おい、あんた。ちょっとスピードを落としてくれよ」


 背筋がゾクリとする。まるで耳元に口をつけて囁かれたかのような響きだった。


 レイミリアの手綱に、愛馬達はここぞとばかり、一生懸命に駆けつづけている。ガラングワンドコンバギャン、ガラングワンドコンバギャンと繰り返し鳴り響く車輪と蹄の音が、今や最大限に大きくなっていた。


 真っ直ぐに続く、天然とは思えないほど直線の洞窟。目線を少しだけ左右に向ければ、綺麗に削り取られたかのような岩肌が続いていく。前に向ければ結構な先まで見える。起伏があるからかしかし、出口の光はまだ見えてこない。


 暫くそうして馬車を走らせると、それきり背後からの声は聞こえなくなった。恐ろしすぎて、振り返り確認をしようとは思わない。

 考えた通り、やはり幻聴だったのだろうか……。


 相も変わらず、背中に恐怖がまとわりついて離れない。それは今や、尊大な威厳さえも押し付けるように感じとらせてきている。

 しかし、馬車のスピードをあげたからなのか、その恐怖が少しづつ遠ざかりはじめているようにも感じとれた。


 なのでレイミリアは、少しだけ気を落ち着けるために、ふーっと大きく息を吐いた。緊張からくる首と肩のコリを散らすために首も回した。

 そうして大きく鞭をしならせて馬を駆りながら、なぜこうなったかを思い返してみることにする。豪気な娘だ。





 この洞窟の奥には、この辺りの地元では有名な地底湖がある。ただし、めったに人が訪れることはない。いわゆるいわくつきのスポットという場所だ。


 数百年くらい昔に観光地として開発された場所らしく、洞窟の入り口から湖までの間の地面は、レンガによる舗装が施されていた。左右の石壁には三メートルおきに外灯が設置されていた。

 人づてに聞いた話ではあるが奥の地底湖には砂浜まであるらしい。海がないこの国に、砂浜はとても珍しい。


 なのに、来訪者はほとんどいない……。


 洞窟内の設備に関してはお城の王家が取り仕切っているらしく、毎年の年末、夜中までかけて整備をしている音が街中にまで届く。

 その音は毎年、レイミリアの住む市街の中心部にも聞こえてくる。

 何かお祭り的な意味もあるらしく、市内には屋台なども出たりする。


 そんな場所へと来ることになったのは、従兄のジケイがその湖に関する伝説めいた話を聞きかじってきたからだ。

 最奥部の地底湖まで行き、湖畔でとある呪文を唱えると湖の女神が現れるという。

 誰に聞いたのか実に眉唾な話だ。来訪者がほとんどいないのは、その女神とやらのせいではないのか?と、上機嫌で話をする従兄を前にレイミリアはそんなふうに考えていた。


 今年に入ってニ十歳を迎えたばかりの従兄、ジケイ。彼はグランスマイル家の後ろ盾を得て独立を果たしたばかり。

 独立に際し観光会社を起こし、その事業展開に躍起になっている。青年層向けに国内の目新しい観光場所を紹介し、そこへの旅行客を集め、足を確保し、行った先でのイベントを企画しと、行楽に関わる様々なサービスで市井の皆の欲求を満たす重要な一翼を担っている……らしい。


 本人はレイミリアに顔を合わせるたびにそう言っていた。なので今度は、この洞窟を新しい行楽の目玉にしようと考えたのかもしれない。


 洞窟の入り口から地底湖までは、だいたい十五キロメートル。御者のロイがわざわざお城に問い合わせて確かめたので間違いはないだろう。


 来てみるとここは緩やかに上り下りのあるほぼ直線の洞窟だった。ロイの操馬で入り口から入って、だいたい時速十キロメートルほどの速度でのんびりと進む。辺りを見回してみるとところどころ灯りの消えているところがあるのが見えた。

 年に一回しか整備されていないのだから、それは仕方のないことなのかもしれない。


 道中が単調で、奥へ辿りつくまでの時間がかかりすぎ。

 それに整備され過ぎていて洞窟感が全くない。

 人が寄り付かなくなったのはそのあたりが原因じゃないだろうか。

 馬車の中から外を眺めながら、レイミリアはここが閑散とした理由をそう分析していた。


 レイミリアがここまでの経緯を思い返している間も、馬車を引く四頭の馬たちは全力で走り続けていく。

 幼い頃から屋敷で世話をされ、御者のロイとレイミリアの二人に特に懐いている馬達だ。四頭が全力で走れば、時速にして三十キロは出る。

 その馬達も、背中に感じていた恐怖感がもうかなり遠のいたように感じている様子だ。走り方に余裕が出てきていた。


――馬車を折り返したのは地底湖が見えて来た辺り、だったかな。入り口から二時間くらいは経っていたと思う。「もうすぐ地底湖です」って、御者のロイがそう言って車内への扉を叩いた。その声を受けて、ジケイが扉を開けて、御者台に躍り出て、その時……洞窟の奥に変な人がいたんだ。


 それは頭の先からつま先まで真っ黒な人だった。ジケイが騒ぐから私まで顔を出して、直接この目で見たから間違いない。ジケイは「ニンジャだ!ニンジャだ!」って御者台で騒ぎ出して、その変な黒い人、こっちの騒ぎに気づいたみたいだった。


 ロイが機転を利かせて、まだ距離があるうちに馬車を停めて……。そうしたらジケイの馬鹿、馬車から飛び出してその黒いのに走り寄っていったんだ。ロイも慌ててその後を追いかけて、私は直感的に御者台に飛び乗って、馬車の向きを変えたんだっけ……


 ……なんとなくだったけど、それが正解だってすぐにわかった。


 黒いのに近づいたジケイが、走り寄ってすぐに床に崩れるように倒れこむのが見えた。ロイにすぐ戻るようにって声をかけたけど、ロイは首を横に振って、私に行けって手を振った。何がどうしてなのかわからないまま、私はロイの「お逃げください!」っていう声で手綱をふった……。

 そうして今、全速力で出口を目指している。


 ロイの事を思い出したからか、思わず涙が出た。飛ぶように後ろへと流れていく外灯が、レイミリアの頬をつたう雫を照らしつづけていく。

 響き渡る洞窟内の騒音は耳がおかしくなりそうなくらいだ。手綱から伝わる振動もこれまでに感じたことのない痛みを両の掌と腕に送り付けてくる。


 御者のロイはどうなったのか……。そこに考えが思い至り、レイミリアは思考を止めた。今その事を考えても仕方がない。それを考えてしまうと心が折れそうだ。それよりも急いで洞窟を出て、どこか近くの家で通話機を借りて、お城へ連絡する方が先。


 ……それだけを、今は考えることにした。


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