番外編 秋桜

 朱莉が旅行の時に言っていた通り、まるで小さな旅館の様な和風の立派な門構えに、杏花は緊張の色を隠せない様子で暫く車の脇に立ち尽くしていた。

「わ、私何もおかしくないよね?・・・あ、暖かかったけど、手土産のチョコ溶けてないかな?・・・この服、背中の傷見えてないかな?」

モスグリーンの膝丈まであるワンピースをふわりとなびかせて、焦った様にクルクルと回って見せてくる杏花を、樫井は目を細めて見つめている。

背中の傷跡を気にしたのか、鎖骨の上まで隠れるような生地の面積で首元を覆い、長い柔らかな栗毛は結ばずに下ろしていた。

「なにか聞かれても俺が答えるし、そんなに気を遣うような性格の人たちじゃないから安心して。はぁ・・・杏花さん可愛い。早くデート行きたい。」

身なりを気にしている自分とは違った視線で観察して来る樫井を少し睨んだ後で、

杏花は真珠のネックレスの位置と、黒いパンプスに泥が付いていないかの最終チェックをする。


――― 9月25日 土曜日 小春日和の穏やかな朝


「や、やっぱり付き合って2ヶ月でご実家は・・・早すぎるんじゃないかな?

わ、私だけ何処かで時間潰してこよーかなぁ・・・。」

「やだよー!もう逃がすもんか! 刑事の彼女が逃亡癖あるなんて困ります!」

素早い逃げ足でキャベツ畑の方へ駆け出した杏花の華奢な肩を、しっかりと樫井が抱いて捕獲した瞬間、りガラスの玄関が勢いよく開け放たれた。


「りょ・・・良太郎、早く女の子連れて来いとは言ったけんど・・・さらって来いとは言っでねぇーべぇ・・・。」

「まぁーまぁーまぁーーー!なんて可愛い子なのかしら♪お人形さんみたい!」

樫井が強引に連れて来たと勘違いして引いている父親と、完全に舞い上がって嬉しそうに微笑む母親は、サンダル履きで駆け寄って来ると二人を取り囲んであっという間に家の中へと連れ込んだ。


 20畳以上はありそうな広い和室に案内された後、一枚板の長い座卓の真ん中の席に座らされた杏花は、真っ青な顔色で俯いていた。

「どうしたの?車にでも酔ったかなー?これ、濃いめに淹れたお茶飲みなぁー!

・・・初めまして、私は良太郎の母の美織みおりです。」

美織は鮮やかな緑色のお茶を杏花の前に置き、隣に屈んで優しく声を掛ける。

一目見て、樫井の整った顔立ちは母親譲りなのだと杏花は思った。

若々しい話し方の美織は、特に化粧が濃いわけでもないのにとても美しく見える。

「・・・ありがとうございます。初対面なのにあんな姿をお見せして申し訳なかったです・・・。」

両親への第一印象が、逃亡しようと暴れる姿になってしまった事を酷く後悔した言い方で、杏花は丁寧に頭を下げた。

「なぁーにそんなこと!仲良さそうで逆に嬉しくてしょーがないわよ♪

あの子『今度の誕生日帰る!彼女連れてくから!』以外、なーんにも話してくれないんだから!ピンク頭のギャルだったらどーしよー!?とか想像してたもん。」


「わしはピンクでも偏見無いぞぉ!大工やりたがる若もんの頭はのー、そりゃーすげーもんよ。緑頭のりゅー君はの、今じゃ立派な建築士になったんだ!」

「へぇー・・・龍太君は試験受かったのか。頑張ってんなー!」

会話に自然と入り込む様に、ゆっくり歩いてきた父親は杏花の向かいの席に座り、荷物を部屋に運び終わった樫井も杏花の隣に腰を下ろす。

何を話すべきか困り果てた様子の杏花の背中を優しく撫でた美織は、父親側の席に移動してお茶を並べた。


「えーっと、こちら今付き合ってる、西嶋 杏花さんです。」

「西嶋杏花です・・・年齢は25歳です。世田谷区で一人暮らしをしています。

仕事は・・・心理カウンセラーとでもいいますか・・・正社員ではありません。」

樫井の簡単すぎる説明の後、杏花は小さく震えながら精一杯の自己紹介をした。

「わしは父親の良治です、こっちは母親の美織・・・あっちのは良太郎の妹の美桜みおだー。本当遠いとこからわざわざありがとね、宜しくねぇー杏花さん!」部屋奥の仏壇の遺影を見た時に一瞬言葉に詰まりながらも、良治は明るく話し終えて杏花に歓迎の言葉を伝える。


「それにしても良いお嬢さんよね!・・・良太郎はきちんとご挨拶に伺ったの?」

「あー・・・杏花さんのご家族は亡くなってるんだ。」

「・・・。」

美織の当然の質問に一瞬戸惑った様子の樫井は、先に言ってなかったことを悔やみ、詫びる様な視線を杏花に向けた。

樫井が話す内容を悩んでいる間も、よくありがちな『御病気?事故?』という類の質問を彼の両親は口にする事はない。

ただお茶をゆっくりと啜り、じっと杏花の決心がつくのを待っている様だった。


「私の・・・家族は事件に巻き込まれて亡くなりました。15年も前の事です。

私から両親と弟を奪った犯人は、樫井さんが捕まえてくれました。

とても感謝しています。でも、その恩を感じて付き合ったのではありません。

彼の誠実な人柄や、私と共通の友人たちとの関わり方に接して行くうちに、私の方から好きになりました。複雑な過去はありますが、彼の迷惑にはならない様にしたいと思いますので、これからもどうか宜しくお願い致します。」

杏花は目の前の二人をしっかりと見据えて話し終えると、正座している膝の上の手をじっと見つめながら、相手の反応に怯えている様だった。

樫井は彼女の手を包み込むように優しく握りしめ、指先を絡めて愛を伝える。


 しばらく夫と目を見合わせたり、杏花の方しか見ない樫井の顔をまじまじと見つめてソワソワしていた美織は、ついに我慢できなくなった様子で口を開く。

「そ、それで・・・籍はいつごろ入れるのかしら!?」

「なっ・・・何言ってんの!?今日は誕生日で休み取ったから帰るついでに、彼女の顔見せるだけだって言ったべー?なーんでいきなりそんな飛躍すんだぁー!?」

樫井は真っ赤な顔の前で両手をぶんぶんと振りながら、慌てて母親に言い返した。

「あんたこそ何言ってんの?結婚するつもりもないのに実家連れて来たわけ?」

「そーだぞー!良太郎、ボケっとしとるおめぇーの事だ・・・こんな良い子逃したらもう二度とチャンスはねぇーて・・・。30過ぎてダラダラしとるつもりなら勘当するがらなぁー!よーく肝に銘じて、絶対泣かすんでねぇーど!」


「あ・・・あの、まだ出会って1年経ってないんですけど・・・その・・・」

どんどん変な方向へ飛んでいく会話を、なんとか修正しようと杏花が口を挟むが、そんなことはお構いなしに樫井の両親は大声で彼を叱り続けている。

「付き合って何ヶ月だとか関係ないの!こーいうのはね、盛り上がってる時にぱーっと決めちゃって、ダメならさっさと別れて男が責任取ればいいんだから!」

「そ、そうだぞ!実はとーちゃんもな、市役所勤めのサブちゃんにかぁーちゃんを取られるかと思って心配でのー・・・わざと失敗したんだ!そん時に出来たのが」

――バコッ

「あんたね、初対面の女の子の前で何言ってんの!?」

「ふがっ・・・」

勢いづく美織の後に続いて何かを言いかけた良治は、思いっきり彼女に背中を叩かれて舌を噛んだようだった。


 もう死にそうな顔になって下を向いている樫井は、居た堪れない様子で頭を掻きむしっている。

そんな彼らの様子を見つめていた杏花は、いつの間にか大粒の涙を零していた。

「杏花さん・・・どうしたの?」

驚いた樫井は慌てて彼女の背中を擦る。

「・・・す、すみません。なんか家族って良いなって思ってたらつい・・・。

私の家族もきっと、樫井さんが挨拶に来てくれたら皆で大騒ぎしてただろうな。

実は・・・こんな心から歓迎して頂けるなんて思ってなかったので、直前まで逃げ出したい気持ちで一杯だったんです。本当に嬉しいです!」

泣き笑いしながら儚げな笑顔を見せた杏花につられるように、樫井家は全員で貰い泣きし始めた。

彼らの嗚咽に混じって若い女性のすすり泣きも聞こえた気がして、杏花は部屋奥の仏壇を見る。

ピンクの薄いコートを着た可愛い女子高生は、杏花と目が合うと深くお辞儀をして霞の様に消えていった。


 やっと全員が落ち着いた頃、不意に良治の携帯が鳴った。

少し面倒くさそうな顔をした後で、彼は急いで電話に出る。

「おー!山ちゃんどうしたの?・・・いや、風邪でねぇ。ちょっくら良い事あったのー。うん、良太郎もう着いとるよ?えー・・・せっかくの休みだからなぁ。

んぁー・・・わーがっだよぉ。伝えとぐー。ハイハイ。」


「・・・良太郎、今日は二人でここ泊まる?」

「いや、高崎市にコスモス見に行って・・・どこか泊まる予定だけど。」

不穏な空気を感じたのか、樫井は言葉少なに返す。

「山ちゃんの息子がね、せっかぐ東京から来たんなら署に寄れって言ってんだと。

すぐ済むしちょっと行って来て。この前の礼がどうしても言いてぇんだとよ。」

「えー・・・。」


「あ、私の事は気にしないで?どこかお散歩して待ってますよ!浅葱山とか!」

杏花が笑顔でそう言うと、美織はパタパタと何かの準備をし始めた。

「良太郎、警察署いくならこのお茶っ葉持って行って!杏花さん、Mサイズの長靴なら入るかな!?ハイキングするなら私の貸すわー。」

「ありがとうございます♪助かりますー!

松宮さんに浅葱山の話聞いて、どうしても登ってみたかったので!」

楽しそうな杏花はそう言って、持ってきた鞄の中から靴下を出して履き始める。

樫井は軽く挨拶を済ませてすぐにデートに出発するつもりだったのか、物凄く渋い表情でスーツへ着替える為に自室へ向かった。


 署に行く途中の樫井に降ろしてもらった杏花は、一人でゆっくりと林道を進む。

綺麗に雑草が刈られて新しい杭が打ち込まれた遊歩道は、様々な野草の花が咲き乱れていた。

【写真スポット 浅葱百合群生地】と書かれた看板の下には、①コスモス畑コース30分。②稲荷参拝コース1時間半。との説明文と地図が掲示されている。

「こっちがアメとウカの故郷ねー!」

時間的にも樫井が戻ってくる頃に丁度いいと考えた杏花は、稲荷のやしろを目指して進むことにする。


 予備で持ってきたTシャツとジーンズの軽装に着替えてはいるが、昼を過ぎて気温が上がってきた山道を歩くのは、少し汗ばんでくるような運動量と暑さだ。

少し木の数が減った高台の広場から里を見下ろすと、山肌が段々畑のように整備されており、色鮮やかな秋桜コスモスが一斉に咲き誇っていた。

一般人は立ち入れないような、歩道も無い斜面の花畑には沢山の霊が漂っている。

全員若い女性なのは、死してなお美しい景色に惹かれたからだろうか?

杏花の存在に気付き、何人かがメッセージを伝えて来る。

そのどれもが、理不尽で不幸な事件に巻き込まれて自ら命を絶った後悔の念だ。

「・・・すべての命に幸せな輪廻が訪れます様に。」

彼女たちの切ない感情に引きずられながらも、杏花は長い祈りの言葉を紡ぎ終えてまた歩き出す。


 アメとウカの祀られていた祠の境内は、日当たりが良くなるように木が剪定されて新しいしめ縄も巻かれていた。

供え物も古くない。前の神が引っ越した割に充分なオーラがすでに生まれている。

「掛巻もかしこき稲荷大神の大前に・・・かしこみかしこみもうす」

杏花は祠の前に跪くと、神を呼び出す祝詞を唱え始めた。


 突然、目を覆いたくなる強さの白い光に包まれた祠の前に、両手で掬い上げれる程の大きさの真っ白いフワフワの毛玉が現れる。

「キュウゥー・・・クルルゥー。」

小さな声で鳴きながら、丸まっていたそれが体を震わせると三角の耳と長いしっぽが飛び出した。

「か、可愛いーーーー!!前任者ほどの力量は私にはありませんが・・・これほどまでにクソ可愛い白狐が生まれたなら、もう合格点ですよね!?」

「クゥー?キュルル・・・?」

生まれたての神は、目の前の人間が謎の自画自賛をしながら興奮に震えている様子を理解できないのか、真っ赤な口を開けて大きな欠伸をした。

深いブルーの瞳に陽光が反射して煌めく。

ヨチヨチ歩きの白狐は祠の周りを歩き、羽虫を追いかけてクルクルと回った。

「ぐはぁ・・・萌えすぎて鼻血でそう。」


 ショルダーバッグからお茶を出して喉を潤し、ハンカチで額を拭う。

「きょーか、すごい、かわいい」

「そうそう!みょうぶ。上手だよー・・・うはぁーぐうかわ。」

「じょーずー・・・みょーぶ、グウカワ・・・キュルゥ?」

杏花は祠の前の芝生に座り、膝の上に乗せた小さな白狐に命婦みょうぶと名付けて、人の言葉を教えている。

命婦は人間の子供や、インコなどとは比べ物にならない程のスピードで学習した。


 涼しい秋の風が通り抜け、木々の葉を揺らす音が境内に響く。

「・・・グルゥ、わるい・・・わるいの、きた」

「おっ・・・良く分かったね、みょーちゃん!さすが赤ちゃんでも神様だ!」

杏花は感心して命婦を褒めると、刺すような邪気の元を探す様に振り返った。

バキッと木の枝を折るように鳴らしながら、二人組の足音が近づいてくる。

「なんだ・・・会話してると思ったら一人じゃん。」

「まぁー可愛いからいいだろ?シェアすればいいんだし。」

まだ20代後半に見える彼らはかなり長い間違法な薬に溺れている様で、血色の悪い顔には生気が全く感じられない。

「こんにちは。お兄さんたちもお散歩ですか?」

「・・・と、いうよりハンティングかな?ちょっと一緒に来てくれる?」

「先約があるから無理ですね。」


「・・・おい、ゆうが捕まえろよ。」

「えー・・・疲れるなー。今度はたけるの番だろ?」


 不穏な会話を聞かせても全く怖がりも逃げもしない杏花に、少し警戒するだけの知能は残っている様で、二人組は逃げ道を塞ぐように近付いてくる。

その様子をブルーの瞳で見つめて命婦は恐怖に震えていた。

産まれたての白狐を安心させる様に、彼女は一人で微笑む。

優しい木漏れ日を作り出している梢を揺らしながら、数えきれない程の感情の波が静かな境内に吸い寄せられて来ていた。

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