どんな顔をしたら
夕食時を過ぎて賑やかさが増した居酒屋の店内は、ご機嫌なホロ酔い客の大きな声や女性客の笑い声に満ちていく。
唐揚げと焼きおにぎりを4杯目のビールと共に持ってきた香苗は『1時間後にこの部屋予約入っちゃったわーごめん・・・』と言いながら引戸から入るなり絶句した。
「・・・あ、あんたら・・・こんなとこでおっぱじめないでよね!?」
「なんもしてないよ・・・食べすぎて眠いらしい。」
少し酔ったので壁に背中をくっつけて休んでいたのだが、コロッケを食べ過ぎた朱莉は開いて伸ばした俺の脚の間に挟まり、胸に寄りかかってウトウトしていた。
「すごーい・・・もう予約一杯なんだ!忙しい時に居座ってごめんなさい。」
茶化される事に恥ずかしがりもしなくなった朱莉は、まだ食べるつもりなのか唐揚げに照準を合わせながら香苗に話す。
「休みの日だからかなー?さっき晴見刑事も来てさー!彼なんて、一滴も飲まずに居座ってくれちゃってるから・・・まぁ良く食べてくれるんだけどね。
あれ・・・そういえば、誠士も前より沢山食べる様になったね!?」
動けない状況の俺の席の前にわざわざ食事を運んできてくれた香苗は、空になった食器をまとめて驚いていた。
「なんか、樫井さんから食事と筋トレのメニューが毎週送られてくるんだよね。
だんだん増えていくから、自然にこうなっちゃってさ。食費ヤバいよ・・・。
晴見さん来てるんだ?これ食べ終わったら帰る前に挨拶するよー!」
「アハハ!樫井やる気満々だねー。パーソナルトレーナーかよ!
オッケー!こっちもあんたが来てる事、晴見さんに伝えておくわー♪」
そう言って香苗が慣れた手つきでお盆を持ちながら引戸を開けて出ていくと、急に振り向いて俺の顔を見上げた朱莉がキラキラした瞳で見つめてきた。
「・・・はいはい。コレ早く食べて、晴見さんと香苗の様子でも観察しに行きますかね。」
呆れながらそう言った俺がまだ熱い焼きおにぎりに手を伸ばすと、朱莉もテーブルの方へ移動して唐揚げを一つ皿に取り、レモンを絞って口にいれる。
そしてもう一度振り向いた彼女は、片方だけ膨らんだ口を押さえながら『あ、これが以心伝心というやつかー!』と感動したような笑顔を見せる。
「・・・いや、朱莉の場合は顔に書いてあるだけだよ。」
言葉の意味を暫く考えている朱莉をそのままに、俺はいつまでも熱い焼きおにぎりで火傷した舌の上にビールを流し込んでいった。
全て食べ終わった後、杏花さんに朱莉をこれから送ると連絡して部屋から出る。
たまたま通路に居た香苗に声を掛けて、晴見のいるカウンター奥の席を教えてもらった。
晴見はだいぶ酔った隣の客を嫌がる様に椅子を一つ開けて鞄を置き、自分は端っこに陣取って黙々と食事をしている。
「こんばんは、松宮です。晴見さんお疲れ様です!今日はおひとりですか?」
「・・・あっ、松宮さん!お久しぶりです。 そうなんですよー・・・樫井先輩は誕生日の週末に休暇を申請してるから、今は大忙しで書類仕事してるんで。
松宮さんも1人・・・じゃなかった、『あかりちゃん』と一緒ですもんね!
あ・・・良かったらここ座って下さい。」
声を掛けた俺に笑顔で返事をした晴見は、俺が手に握りしめていた携帯を見て、
サラッと古傷を
「あ、ありがとうございます。お邪魔します。」
存在に気付かれた!?と勘違いして慌てる朱莉に目で『大丈夫!』と伝えた俺は、彼が鞄を足元に置きなおして空けた椅子に腰かける。
「松宮さん、来年の就活は警視庁受けるんですよねー?あーそれで少しでかくなったんだ。もう先輩が喜んでて毎日煩いですよ。僕もいつも無理に食わされます。」
少しづつ箸で切ってだし巻き玉子を食べながら、晴見は苦笑いして呟く。
「・・・まだ受かるかも分からないんですけどね。期待してくれる人が居るというのは嬉しい事ですけど。今までそういう経験なかったので少し戸惑いますね。」
「松宮さんが受験止めちゃったのって、そんな風に色んなことを少し難しく考え過ぎたからなんですね。・・・そう考えたら僕はいつも適当に生きてたかもなー。
友達が行くって言った大学に取り敢えず入って、サッカーの部活は中学からずっと頑張ってたけど微妙にプロに行けるレベルじゃなくて、安定感にひかれて公務員を目指したけど、毎日デスクだけなのもなーって思って警察にしただけですもん!」
「適当な動機で続けられる仕事じゃないですよ・・・。
樫井さん見てれば分かります。自分の心配事や本当にしたい事よりも、組織の為に尽くしてばかりですよね。晴見さんの事も尊敬してます!
・・・香苗をいつも気にかけてくれて、本当にありがとうございます。」
テキパキと働く香苗を時々目で追いながら、溜息ばかりついて話す晴見に俺はそう感謝を伝えた。
心を読まれたことに少し驚いた様子の晴見は、また小さく切った玉子焼きを口に放り込むと『いえ・・・別に。』と言って苦笑いした。
「・・・松宮さんは、西嶋さんと香苗さんの共通の友人だと聞いていますが、今まで二人の事を好きになったりはしなかったんですか?」
突然の晴見の質問にとても興味があったのか、俺の背後を漂っていた朱莉はすぐに二人の椅子の間から顔を出して、じっと俺の回答を待つことにしたようだ。
「杏花さんはとても優しくていつも穏やかで、正直良い子だなって思った事はありました。でも、樫井さんと話してる時以外は・・・どこかで壁を作っていた気がします。結果的に、彼女を救って心を通わせたのが樫井さんで本当に良かった。
三上の事件以降の彼女の笑顔を見てて、心からそう思います。」
「・・・先輩はどんな壁でも平気でぶち壊す所ありますもんね。」
そう呟いた晴見と、隣で聞いていた朱莉は二人とも同じような表情で笑う。
「・・・香苗と俺は、似ている所があります。過去の壮絶さでは比べ物になりませんが、お互いに『一度ドロップアウトした自分なんてどうせ何をしても無駄だ。』という固定観念に縛られていた者同士でした。事実、彼女に『あんただって死んだ目をしてるくせに人助けだなんて絶対無理だ』と言われた時も、俺はなにも言い返せなかった。・・・でも、きっと彼女にも救われる日が来ると俺は信じてます。
俺に向日葵の様な笑顔をくれた人が、 『一人で目を開けるのが怖くても、誰かと一緒に居れば怖くなくなる。私はあなたと一緒に居れて嬉しいよ!』って言ってくれたんです。
香苗にもそう言ってくれる人が・・・早く見つかって欲しいと願っています。」
「・・・。」
晴見は何かを考え込むかの様に俯いたまま、静かに俺の言葉を聞いていた。
そっと俺の右肩に朱莉が手を置く。
俺はしっかりと左手でそれを握り返したが、晴見からは自分で肩を揉んでいる様にしか見えないだろう。
「・・・僕は、自分がどうしたいのかまだ決められないんです。これだけは適当に決めれないな・・・って思ったら、人生で初めて行動する事が怖くなりました。」
「それは・・・とても良い事だと思いますよ!香苗も『怖いくらい人を好きになれる人に愛されてみたい。』って言ってました。」
「・・・そうでしたか。」
俺の言葉を噛み締める様に聞いていた晴見は、少し辛そうな顔をして頷く。
いつの間にか個室を予約した客もやって来て、店内は満席になっていた。
カウンターの奥では板前の健司が元気に挨拶をして、4名の客を個室へ案内する香苗に何やら目で合図を送っている。
「そろそろ帰りますね!また晴見さんとお話出来て良かったです。」
そう言って俺が席を立つと『帰るのー?』と言いながら、お土産袋を持った香苗が駆け寄って来た。
「何かずいぶん話してたのね!あ、杏花の所寄るならこの惣菜渡しといてくれる?
あの子、自分一人の日は全然食べないからさー。」
「分かったよ!香苗も帰り気を付けてね。」
紙袋を受け取った俺が帰ろうとすると、晴見も一緒に立ち上がった。
「あ・・・松宮さん、本当に頑張って下さいね。僕も・・・待ってますから!」
「ありがとうございます!ではまた・・・。」
入り口の前まで香苗に見送られて外に出ようとしたその時、外から急に引戸が開けられた。
出ようとした格好のまま驚く俺を押し退ける様に、2人組の男が強引に入ってくる。30代前半のサラリーマンといった見た目だが、早いうちから他の店で飲んでいたのか、すでに泥酔しているような強い酒の匂いがした。
「すみません!ただいま満席でして・・・ご連絡先頂ければ席が空き次第、御呼びいたします。」
「えーー!このお兄さん帰るんだから席空くでしょ!」
香苗が慌てて状況を説明したが、大きな声で威圧するように背の高い男がごねる。
長めの茶髪に緩いパーマをかけていて、モテそうなタイプだが視線が攻撃的だ。
「お一人様なので席は1つしか空かないんです・・・。申し訳ございません。」
低姿勢で謝る香苗の様子を心配して、カウンターから見ていた健司は他のバイトに何か指示をしているが、給仕中のバイトも忙しそうでなかなか助けは来ない。
奥のカウンターに座っている晴見は気を使ったのか、急いで帰る準備をし始めた。
「この人たち凄くお酒臭ーい・・・。」
朱莉はあからさまに嫌そうな顔をして、口を手で押さえながら俺の後ろに隠れる。
「なー・・・安藤、この子どっかで見た事ない?」
急に香苗の顔を覗き込む様に近付いて、目の細い小太りの男が隣の男に問う。
「えっ・・・あ、確かに。あーー!この人リンゴちゃんじゃねー?横田すげー。」
安藤はパーマでうねった前髪をクルクルと指で弄りながら考えた後で、急に手を叩いて横田の肩を掴みながら笑い転げている。
香苗は一瞬ビクっと肩を震わせたが、『他のお客様のご迷惑ですので、大きな声は御遠慮頂けませんか・・・。』と言って毅然とした態度を示す。
しかし、次第に周りの客も騒ぎに気付きだし、店内の視線が一気に集まっていく。
こんな状況で香苗を置き去りに出来る筈も無く、俺も入り口に立ち尽くしていると荷物を抱えた晴見が駆け寄って来た。
「香苗さん・・・長居してすみません、僕もう帰りますね!」
晴見はそう言いながら鞄をレジの前に置き、ジャケットを羽織ると財布を出した。
「す・・・すみません晴見さん。 誠士もごめんね!」
香苗は申し訳なさそうに晴見から伝票を受け取り、俺に目配せをしてレジ奥のカウンターへ入ろうとする。
「へぇー・・・あんたら知り合いなんだ?さすが人気のリンゴちゃんだね!
彼氏候補が沢山いるとかすげーな。じゃあ俺らとも遊んでよー♪」
安藤は下卑た薄ら笑いを浮かべながら、香苗を追いかけて手を掴んだ。
「ちょ・・・ちょっと手を放してくれませんか!?」
そう言って俺が香苗と安藤の間に慌てて入ろうとすると、横田も相方の肩に手を置いて止める仕草を見せた。
「やめとけよ安藤ー、水商売で荒稼ぎしたせいで誘拐までされたのに、まだ客商売続けてるような女なんてロクなもんじゃねーよ!脳みそに栄養行かないでおっぱい育っちゃったやつ!・・・え?なにその顔ウケるんですけどーー!」
大勢の客の前で
「な、なんなのこの人ーー!?」
憤慨して叫んだ朱莉は、入り口の傘立てにある傘を掴んで今にも振り回しそうだ。
(キレちゃだめ!キレちゃだめ!フルスイングだめ!)
俺は必死に顔を横に振って、手で合図をしながら懇願する。
「それでどうすんの?盗撮でもするつもりですか?」
香苗をレジの方へ押しやる様にして横田の目の前に割り込んだ晴見は、相手の携帯を持つ手を掴みゆっくりと捻り上げる。
「痛っ、いってぇーーーな!何すんだてめぇー!」
叫ぶ横田を助けようとした安藤の前にも、駆け寄ってきた健司が立ち塞がった。
「他のお客様の迷惑になる方をお通しする事は出来ません。お引き取り下さい。」
「な、なんなんだよ!席空いてんのに追い返すのかー?この店はよぉー!」
手を広げて二人を外に追い返そうとした健司の白衣の胸倉を、安藤が掴みかかる。
「はいはい!そこまでー!岩澤さん、110番してください。」
急に大声で叫んだ晴見は健司にそう指示すると、横田の腕を背中側に捻って逮捕術の姿勢を取りながら壁に押し付けた。
驚いた安藤は呆然としたまま立ち尽くし、健司は溜息をつきながら首を横に振って香苗に目で合図を送る。
「晴見さん・・・こちらは帰って頂ければそれで大丈夫ですから・・・。」
「痛い!痛いって言ってんだろ!放せよクソ野郎! お前には関係ないだろ!?」
「全然関係ありますよ!?・・・僕は警察ですから。店員さんに掴み掛かるのは、
立派な威力業務妨害罪ですけど?・・・他に何か言う事ありますか?」
「・・・。」
一言も話さなくなった横田と気まずそうに周りを見渡す健司の様子を見た晴見は、
掴んでいた手をあっさりと放す。
安藤は一瞬何かを考えたが、すぐに引戸を開けると仲間を置いたまま入り口から飛び出し、一人でさっさと逃げて行った。
「あれ?・・・お友達帰ってしまいましたね。では横田さんだけでも僕と交番行きましょうかね。」
晴見が淡々とそう話すと、横田は真っ青な顔をして急に床に倒れこむ。
「も、申し訳ありませんでした!少し酔ってたみたいです、本当にすみません!」
太めの図体に似合わない甲高い震え声でそう叫んだ彼は、なりふり構わず土下座し始めた。
そんな横田を抱きかかえる様にして起こした健司は、黙って店の外に連れて行く。
「皆様、大変お騒がせ致しました! 今いらっしゃるお客様全員の飲み物一杯、
サービス致しますのでどうかお許しくださいませ・・・。」
店内へ戻った健司が大きな声でそう話すと、どこからともなく拍手が沸き起こる。
「よっ!若大将!」
「お巡りさんかっこいーぞー!」
「かなえちゃん、気にすんなよー!」
常連らしきカウンター席のおじさん達は、全員立ち上がって口々にそう言った。
「香苗さん・・・大丈夫ですか?」
晴見はレジの奥で固まったまま動かない香苗を気遣う。
「・・・だ、大丈夫です。ただ、どんな顔をしたら良いのか分からなくて。」
困ったような表情で香苗は呟くと、だんだん目に涙を浮かべていく。
「そのままの表情で充分だよ。ここに居る人たちは皆、香苗の味方だから。」
「私も香苗さん大好きー!」
俺が香苗に笑いかけてそう言うと、朱莉もふわりと香苗に近寄って微笑んだ。
「す、すみません・・・どうしよう。」
ポロポロと涙を零しながら手で顔を隠していた香苗の背中を、健司がそっと押してバックヤードに連れて行く。
暖簾をくぐる直前に不意に立ち止まった香苗は、深呼吸をした後でクルっと後ろを向いて店内の隅々まで見渡した。
「皆さん、ありがとうございます。本当に嬉しいです!」
輝くような笑顔でそう言って深々と頭を下げる香苗を、割れんばかりの拍手と歓声が包み込む。
今にも力が抜けて倒れそうな香苗を、健司も一緒に頭を下げながら暖かい笑顔で支えていた。
晴見は近くの店員に、食べた分より多い1万円札と伝票を手渡す。
お釣りは要らないと言いながらバックヤードの方を少し見て、そっと店から出て行った。
俺と朱莉は顔を見合わせて、慌てて後ろを追いかける。
「・・・こっそり逃げるなんて自分でも恥ずかしいです。」
俺の足音で振り返った晴見は、悲しい笑顔でそう呟いた。
「あ、諦める理由なんて、まだ一つもありません!」
「・・・本当に松宮さんは格好良いですね。正直AIアプリじゃ勿体ないですよ。」
チラッと俺を見た晴見は皮肉のつもりなのか、地面を見つめたままそう返した。
俺は晴見に見えない様に、隣にいる朱莉の手を背中の後ろでしっかりと握る。
「俺も・・・いつか本物の彼女に、ちゃんと伝えます。」
「お互い、もうちょっとだけ頑張りますかねー・・・。」
少し呆れたように苦笑いした晴見は、真っ直ぐ俺の目を見てそう言った。
立ち去る晴見を見送っている間、斜め後ろに居る朱莉の表情は見えないままだ。
彼女は何も言わず握り続けていた手に、ギュッと力を込める。
「遅くなっちゃったね!杏花さん心配してるなー。」
「誠士くん・・・私、お家帰ろうかなって・・・」
振り向いて静かに繋いだ手を離した俺を見上げて、朱莉は寂しそうに囁く。
「杏花さんが前ね、旅行の間アメたちに御影の世話任せたら大変な事になるから、家に朱莉が居てくれて嬉しいって言ってたよ!頼りになるお姉ちゃんだね!
・・・絶対、早く手掛かり見つけるよ。また今度ランチ会に行かせてもらうね。」
朱莉は何も口を挟まず、静かに俺の言葉を聞いている。
居酒屋を出た先の道の真ん中で、独り言を呟いたまま立ち止まってる怪しい男に、
声を掛ける通行人は誰もいなかった。たった一人の生霊を除いては。
「ありがとう・・・誠士くん!」
この声を幻になんてしたくない・・・心からそう思う。
俺だけに見えているには勿体なさすぎるこの笑顔も、絶対に守ってみせる。
少しずつ冷たくなっていく秋の夜風は、なんだか胸が痛くなる匂いがした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます