番外編 Moonlight Beast 前編

 新宿で得た目撃証言により車種、防犯カメラでナンバーが判明したものの、1週間前に盗難届が出されていて、三上の所有車ではなかった。

現住所などは依然不明のまま捜査は難航していたが、高速に設置されているNシステムなどにより、深川9号線下り方面へ通過したことが判明する。

その後の足取りは木場から不明だったが、一般道を捜索していた機動捜査隊が塩浜の工場地帯で盗難車を発見した。

鑑識が車内を捜索した結果、エーテル臭のする何らかの薬品が入った小瓶、動物用麻酔薬の残った瓶と注射器、結束バンドなどが見つかった。

詳しい成分が分かるまでは時間が掛かりそうな為、刑事課は付近の防犯カメラの確認と、他に盗まれた車がないかの照会に回ることになる。


――― 時刻 21:30 塩浜通り 深川車両基地前


 沢山の電車が広大な車庫一杯に押し込められている風景は、鉄道ファンにも人気らしく、塩浜通りは夜間でも意外と人通りがある。

「夜中までは人いないのかも知れないな。工場が閉まった後の路地裏なら、最初の車乗り捨てて他に用意してるのに乗り換えるのも可能だろう。

ぐったりしてる女を引きずってても誰も気付かないそうな真っ暗闇だ。」

樫井は運転席で無線の確認をし終わった石川巡査に、溜息混じりに話しかける。

「あの付近に防犯カメラがない事も、長い時間路駐していても人に不審に思われない事も、全て計算していたんでしょうか?恐ろしい知能ですね。

・・・15年、逃げ延びたのも不思議じゃないって感じです。悔しいですが・・・。

麻酔銃の薬なんか使われて、あの子は無事なんでしょうか?」

手詰まりになった悔しさを滲ませながら、石川は遠くの街灯を見つめて呟く。

樫井の1歳下の28歳の石川は新宿の地域課に長く居たからか、被害者にきめ細かい配慮が出来ると評判の若手だ。誘拐なんて初めての事でどうしたら良いか分からないと最初は焦っていたが、日が暮れる頃には積極的に捜査方針を樫井に相談するようになっていた。

樫井は進展の無さに苛立った様子で、クーラーの温度を下げながら口を開く。

「動画を取られたのは覚醒してすぐみたいだった。

頭が痛そうだったのは、薬の影響か・・・脱水か。どっちにしてもこの暑さだ・・・早く治療を受けさせてやらないとまずい。

ベイエリアまで逃げてきたんだ。街中より埠頭に潜んでるので間違いない。

でも倉庫なんて腐る程あるし、闇雲にサイレン鳴らしてうろつけば三上はさっさと人質を切り捨てるだろう。本庁の捜一が三上のヤサ見つけようと動いてるから、そっちで潜伏先の情報が見つかるか、通報さえあれば乗り込めるんだがな。」


 悔しさを滲ませながら拳を助手席側の窓に叩きつけていた樫井は、急に震えた携帯の名前を見て慌てて車から降りる。

「松宮君。・・・杏花さんの足取りは掴めた?えっ!?豊洲にもういるの?

・・・そうか。香苗が逃げてから通報したんじゃ、杏花さんと犯人の接触を防ぐのは間に合いそうもないな。香苗がどこで解放されるかは、杏花さんしか聞けないってことかな?・・・そうか。危ないから通報したらすぐ逃げてって言ってね。」

通話を終えた樫井は険しい表情で車へ戻った。本当なら止めるべき立場だし、自分一人でも乗り込みたいとも思う。しかし、こっちから行動を起こせない以上、二人とも救うには彼の作戦しかない。

「お疲れ。晴見は照会待ち?あのさ・・・辰巳のコンテナ街行けそうかな?

・・・うん。理由は思いつかないんだけど、武田先輩が良いって言えば。」

車内で二度目の通話を終えた樫井を石川は不思議そうに見つめていたが、外での会話も聞こえていたのか、状況を把握したようにシートベルトを着けなおした。

「こっちは豊洲に向かって待機で良いですか?ここはあの車調べるので機捜も捜一の覆面も沢山走ってますし。月島署からも応援呼べばすぐに来ると思います。」

「・・・あぁ。頼む。」

樫井は左脇のホルスターと防刃ベストを何度もチェックしつつ、短い返事をした。



――― 時刻 21:40 有明北緑道公園 橋の近くの釣り場


 古い映画にあったものとそっくりな光景が、真っ暗な海に広がっていた。

暑さで魚が釣れない為か、夜釣りの人々が早々に引き上げた釣り場の水面には、

無数の海鳥がひしめき合い、公園の木々はカラスの大群で騒めいている。

ベンチの裏の草むらは風で揺れているのではなく、鳩たちが落ち着かない様子で動き回っているせいでそう見えるだけだ。

「・・・ちょ、ちょっとやり過ぎじゃない?」

「映画のラストはこれくらい派手じゃねーとな!格好つかねーだろぉ?」

少々引いた様子のアメが鳥たちから逃れる様に海の上に浮かんで呟くと、矢ガラスは自慢げに柵の上で翼を広げた。

朱莉がウカと祝詞の最終チェックをしながら、混乱した様に頭を抱えるのを見ていた誠士は、そっと彼女の背中を撫でて『絶対大丈夫!』と笑顔を見せる。


「私は、誠士の頭の良さを知ってる。見返りもないのにここまで仲間を集められるカラスの人望、諦めないで一生懸命に練習した朱莉の根性、神々の力も杏花の愛と幸運も・・・香苗の強さも、私は信じている。・・・必ず、全員で帰ろう。」

御影はキャリーバッグから出てベンチに飛び乗ると、力強くそう語った。

「杏花さんが聞いたら、死亡フラグって言いそうな位・・・感動する演説だの!」

「う、ウカ!それ、誉め言葉じゃないから・・・。」

感動したウカが久しぶりに大きな声で発言した内容に、慌てて誠士が割って入る。

『えー!杏花さんと香苗さんがいつもゲームしてる時、このフラグ感動した!って言いながらこんな言葉喋ってたんだの・・・。す、すみませんなのぉー!』ウカが慌ててクルクルと回る姿を見ていた全員は、自然と柔らかい笑顔になっていった。

御影は呆れた様に溜息をついて、ゆっくりとバッグの中に戻っていく。


 生暖かい潮風を受けてクタクタになった長い前髪をかき上げた誠士は、ゆっくりと岸壁の柵に手を掛けて対岸の豊洲を見つめた。

隣でじっとその姿を見ていた朱莉は、少しづつ横にずれて彼の腕に頭を乗せる。

「・・・。」

ほんの少し、柵を握りしめる掌に力を込めた誠士は何も言わなかった。

遠くの晴海埠頭の灯りや台場やレインボーブリッジの輝き、晴れた夜空の月明かりを反射して漆黒の海は鈍色にびいろの波を揺らしている。

「・・・俺は、一人じゃなくなったんだな。こんなに誰かを大切に思えるように変われたのは、朱莉が一緒に居てくれたからだ。」

誠士は静かにそう語ると、腕にかかる朱莉の長い黒髪を手櫛で整える。

強く吹き付ける海風にさらされても、全く絡むことのない髪は柔らかい桃の香りを放っていた。

彼女は何か言おうとして開きかけた唇をギュッと結び、顔を埠頭の方へと向け強気な笑顔で遠くを見据える。

少しづつ変わっていく風向きは、人の心の動きの様に複雑にうねりながら、遠くの地平線へとさざ波を立てて流れていった。



――― 時刻 22:00 豊洲埠頭


 純白のドレスは月明かりを浴びると、真珠の艶の様に内側から輝く光沢を放つ。

海風がフレアスカートの裾を揺らし、ポニーテールを解いた杏花の栗色の髪を舞い上がらせる。

携帯のアプリでビデオ通話を選択し香苗の携帯に掛けた杏花は、顔にまとわりつく髪を背中に流して自分が良く見える様に映した。

通話が始まった先の映像は、簡易電灯のみの薄暗い小部屋を映している。

「着きました。香苗さんを映して下さい。」

「わぁーやっと話せたね!綺麗だよ・・・ボクのシンデレラ。」

震える声で目線を外して話す杏花を、真っ直ぐに見つめて三上は嬉しそうに笑う。

恐る恐る画面を見た杏花は息を呑む。小さな悲鳴が静かな埠頭に響いた。

「杏花・・・ぁんで来たのよ。

一人で来ぅなんて、どんらけあのバカが苦しむか考えてる?」

香苗の唇は腫れあがって常に血が滴っており、言葉が上手く発音できていない。

左目は内出血して垂れ下がった瞼で完全に塞がれていた。

ブルーの薄いシャツは、血の跡でしみが無数に出来ているような状態にも拘わらず、男に向けられた携帯のレンズを覗く彼女は杏花と樫井の心配をする。


「・・・彼女は歩けるの?早くその部屋から外に出して解放して下さい。

警察には連絡していません。電話もこのまま貴方が持っていて構いません。

外に出て、彼女が立ち去って画面から見えなくなるまで撮って頂けたら、そのあと私は約束通り海岸の公園で貴方を待ちます。」

杏花は自分以外には殆ど人影の居ない岸壁の全体が映る様に、携帯を高く掲げた。

「もちろんだよ!ここは埠頭まで10分もかからない。すぐに行くからね!

邪魔者はもういらないよね。ちょっと待ってね・・・。」

三上は嬉しそうにそう呟くと、壁にもたれる様にやっとのことで立っている香苗の腕を掴み、ズルズルと部屋の入り口へと引きずっていく。

建物の外はこの付近の倉庫街のようだ。遠くに看板が見えるが暗くて番地までは良く見えなかった。


 何かを言いたげな香苗は、外に出て腕を放されても立ち去ろうとはせずに、腹を押さえながらじっと画面を見つめている。

「ほら、君が行かないとボクは待ち合わせに遅れてしまうよ。」

「香苗さん、湾岸道路の方へ逃げて!・・・私は彼と話があるんです。」

香苗は携帯を持つ三上を睨みつけた後、画面の中の杏花を悲しそうに見つめた。

「まったく・・・これが本当の骨折り損ってやつね。・・・じゃあ。」

香苗はわき腹に手を添えて、右足を引きずりながら画面の奥へ遠ざかっていく。

三上がライトで照らした先には沢山のコンテナがあるのみだったが、香苗はその奥へと入っていった。


 ネットカフェで印刷した地図を見ると、誠士の言った通りコンテナ街さえ抜ければその先は大きな交差点がある。新木場へ向かう道を行けば必ず路駐で休憩しているトラック運転手や、走行中の捜査員の車にぶつかるはずだ。

「これで良いかな?じゃあボクもそっちへ行くよ。」

そう言って三上は自分の顔を映した。落ち窪んだ下瞼に街灯が影を作り、死神の様な印象が更に際立たせられている。

「待ってます。」

杏花の脚は立っていられない程の震えに襲われたが、無理に引き上げた口角で笑顔を作って見せた。


――― 同時刻  辰巳埠頭コンテナ置き場


 迷路の様なコンテナや電気の消えたビルの間の暗闇を進むのは、数々の恐怖を知っている筈の香苗にとっても容易な事ではなかった。

どこまで進んでも聞こえてくるのは少しずつ遠くなる波音、自分の引き攣った喘鳴ぜいめい。ごうごうと誰も居ない建物に吹き付ける海風に、汗と血液でびしょ濡れになった黒髪が振り乱される。

「誰か・・・誰かあの子を」

少し開けた場所に辿り着くと、視界の先に信号機の緑色の光がうっすら現れ始め、

車の音が遠くに聞こえる様になった。

車2台が通れる位の通路には沢山のトラックが止まっており、その中を全て覗いたが人が見える位置には乗っていなかった。

寝台に居るのを期待して拳で車体を叩きながら進み、誰かが出てくるのを願う。

次第に右足に力が入らなくなり、身体がトラックにぶつかる。


 霞んで良く見えない左目を擦りつつ香苗は歩き続ける。

突然、彼女の細い手首を暗闇から伸びてきた大きな手が強く掴んだ。

「うわぁぁ!いやぁぁぁーーー!!」

パニックになった香苗が叫びながら暴れる前に姿を見せた若い男は、彼女のもう片方の腕も捻って封じ込め、『落ち着け!暴れるな!』と凄みのある声で牽制する。

トラックの間に駐車してあったセダンから、もう一人の太った30代の男が駆け寄って来るのを見た香苗は、誘拐犯の用意していた仲間だと判断して抵抗を諦めた。

「海に入れる前にはしっかり殺してよね。」

「宮崎 香苗で間違いないか?」

香苗の苦し紛れの皮肉には全く反応せず、金持ちの大学生の様な服を着た男は静かに確認してくる。

「そうだけど?あ、あんたらの依頼主は豊洲に死にに行ったよ。どうせ金は入って来ないんだから・・・こんな仕事早く終わらせてさっさと飛べば?」

仕事内容も把握してない暗殺者を蔑むように、香苗はそう吐き捨てた。


「武田巡査部長!マル害の現認出来ました。本部へ連絡願います!」

「晴見、車乗せてやれ。聴取出来たらしろ。」

『新宿23より第一方面各局、辰巳3丁目付近にて新宿誘拐のマル害保護、なお受傷あり至急、応援と消防連絡願います。』

晴見の言葉を聞き終わるより早く武田は彼に指示し、無線で応援要請もしていた。

「・・・警察?け、刑事なの!?ね、ねぇ!犯人が杏花を殺しに豊洲に行ったの!

すぐに助けに行かないと間に合わない!私は良いから、早くそっちに行けよ!」

「・・・。」

驚いた様な顔を見せた晴見は、黙って香苗を後部座席に押し込めて助手席に走る。

『新宿23より豊洲付近PM、PCへ至急!マル害証言、マル被が豊洲市場近くの公園へ逃走した模様、緊配要請します。』

晴見が話し終わった直後、混線した様な雑音が返って来て車内は騒音に包まれる。

少し経って誰かの装備している無線と繋がったのか、荒い息遣いが聞こえてきた。

『北沢25、現着しました。沿岸部へ向かいます。至急応援願います。』


 二人ともが聞き覚えのあるその声は、息を切らしながらも冷静に応答した。

無線を聞き終えた香苗はゆっくり瞼を閉じてシートに倒れこむ。

慌てて振り返った晴見は静かに上下する胸の動きを確認すると、やっと安心できたかの様に自らも長い溜息をついて目を閉じる。

湾岸道路を曲がって近づいてきたサイレンの音を聞いた晴見は『先輩・・・宜しくお願いします。』と呟くと、静かに瞼を開けて無数の赤色灯を見据えた。

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