番外編 歌声に乗せて

 カメラの電源を落とした男は、他の部屋に転がっていたもう一脚のパイプ椅子を引きずってきて、香苗の目の前に座った。

風通しの為に窓は開けられているが通り抜ける風は生温い。

気温がだいぶ上がってきたので、もう昼はとっくに過ぎているだろう。

叫ばれても人が通らない場所なのか、騒いだ瞬間にいつでも殺せる余裕からなのか、入り口の扉は施錠もされずに開け放たれている。

「随分とありきたりな別れの言葉だったねぇ。」

「こういうのは、受け取る側によっていくらでも意味も重みも変わるの。

ねぇー、すごく暑い。私が持ってた紙袋どこ?私服に着替えたいんだけど。」

男は無言で出ていくと、大きめの紙袋を香苗の足元に置いた。

そして香苗の椅子の後ろに回って結束バンドをナイフで切り、そのまま部屋の入口まで行って扉を閉めた。


 ふらつきながら香苗がゆっくり椅子から立ち上がる様子を、男はなぜか無表情のまま扉に寄り掛かって見つめている。

「・・・そこで生着替えまで見るつもり?悪趣味ね。

トイレがあれってのも、なかなかの囚人ぶりだったけどさぁー。」

香苗はそう言いながら部屋の隅のバケツを見つめた。

「自分では服も脱げなくなったの?さすがに少し疲れたのかな?」

男は薄ら笑いを浮かべながら香苗に近寄ると、ナイフを香苗の胸に押し当てた。

泣き叫びも抵抗もしない香苗に少しがっかりした様子で、そのまま胸を包んでいるピンクのドレスの生地を、谷間から腹の方へ向かって縦に裂いていく。

胸を小さく見せる為の補正下着が露になると、『こんな事までして天使になりたかったの?』と怪訝な顔をして首を傾げた。

「まぁね。あの子にバレたら嫌味だー!とか言って叩かれそうだけど。」

香苗はそう笑うと、自らドレスの裾を引っ張ってそのまま足元に落とした。


 一瞬の間をおいて、男はナイフを持つ手を香苗のうなじに添えて、左手で腹を撫で下ろしていく。

程よく筋肉のついた腰回りを這うように滑り、上向きに丸みを帯びた尻を掴んだ爪の先には、次第に力が込められていった。

水色の薄いレース状の下着の中に指が侵入してきても、微動だにしない香苗の瞳の奥を覗き込んだ男は、興味を隠し切れない子供の様に尋ねる。

「ねぇ・・・どうしたら君みたいな人形が出来上がるの?」

「さぁ。どうしてかな?理由が多すぎて忘れちゃった。」

香苗の返答に納得がいかない様子の男は溜息をつくと、下着と腰の隙間にナイフを差し込み、一気に引いて切り裂いた。

床に落ちた下着から舐める様に視線を上げていった先の、凄惨な過去を見た男は少し息を飲んだ後で、腹を抱えて狂ったように笑い出す。

「アハハ!凄いね・・・はぁ・・・これは凄い!君、良く生きてこれたね。

そこはどうやって焼かれたの?その×バツの数は何を表してるの?こんな芸術は見たことも無いよ。ていうか、なんで平気で息してられるの?生ゴミのくせにねぇ。」

香苗は黙って紙袋から黒いスキニーパンツとブルーのシャツを取り出して、素肌の上に着ていった。

「あぁー汚い汚い・・・本当にけがれきった魔女だね。もう二度と人に愛されることも無いだろうに、どうしてまだ生きようとする?女なんてどうせ、誰かに愛されなければ生きてる意味すら無いただの傀儡くぐつなのにさぁー。」

男は理解に苦しむように頭を振りながらそう言うと、破れた下着に唾を吐いた。


「ふふっ・・・なんか勘違いしてるみたいだから教えてあげる。

私はこう見えてまだ処女なの。あんたの大好きなシンデレラと何も変わんない。

ロリコン拗らせたクソ野郎に教えてやるよ。女はね、本当に好きな男に初めて抱かれた時がロストバージンなんだよ。あんたには一生関係ない事だけどねぇー!」

香苗の煽りを黙って聞いていた男は、無表情でナイフを畳んでポケットにしまう。

そしてもう一度彼女に近づくと、何も言葉を発することなく顔を拳で殴りつけた。

少し地面から浮き上がる様に、香苗の身体は壁際へと飛ばされる。

パイプ椅子を引きずる音が薄暗い部屋に響いて、それはやがて幾度となく細い身体へと振り下ろされる打撃音へ変わった。

頬の内側を奥歯がえぐって、溢れた真っ赤な鮮血がコンクリートにみて行くのを、

うめき声すら上げずに見つめていた香苗は、静かに瞼を閉じる。

そして部屋から男が出ていく足音を遠くに聞くと、薄っすらと笑みを浮かべながら床の血痕を撫で、灯りの無い部屋が暗くなるまで大好きな歌を口ずさんでいた。



――― 7月19日 月曜日 時刻 11:20 新宿歌舞伎町


祝日の繁華街は観光客や学生で溢れていて、食べ歩きしたのち道に捨てられたゴミや、飲食店から立ち昇る煙などが混ざり合って異臭を放っていた。

ビルの隙間を縫うようにカラスたちは飛び交い、食べ物を見つけると素早く掴んでは大空へと羽ばたいていく。

先程から警察官の数がどんどん増えてきたが、大きなペットキャリーを抱えてフラフラ路地裏を覗く青年に声を掛ける者は一人もいない。

「樫井さんも来てるのかなぁ?」

狭い飲食店の隙間に差し掛かった所で、朱莉は誠士を呼び止めた。

「そうだなぁ・・・ここで居なくなったんだし、まずは聞き込みするだろうね。

・・・えっ!・・・み、御影!杏花さんが逃げたって樫井さんからメール来た。」

フワフワと浮かんでいる朱莉を振り返りながら、何気なく携帯をチェックしていた誠士は、驚愕の声と共にペットキャリーの中の御影を揺さぶった。

「・・・誠士バッグをゆするな・・・痛いぞ。杏花はああ見えて天才の類だ。

こうなることは想定の範囲内ってところだな。」

「や、や、やっぱりもう香苗さんの居場所分かっちゃってて、1人で乗り込むつもりなのかな!?うわぁーーー誠士くんどうするのぉーー!?」

『ま、待って・・・今考えるから!』今度はパニックになった朱莉に揺さぶられた誠士が、必死に彼女をなだめる声が路地裏に響く。


「私は矢ガラスと空から香苗の目撃者を探す。ウカは誠士たちと居て、何かあったら私を宝玉に呼び戻す祝詞をお願い!」

「わかったの!も、もしも敵との戦いになった場合に備えて、カラスたちに協力も頼んだ方が良いと思うんだのぉ。御影さん、一緒にカラスに頼んでくれるかの?」

バッグをすり抜けたアメとウカは、御影に今後の対策を提案している。

「そうだな。朱莉にお前たちを神体化するための祝詞も教えねばならんな。

・・・お、覚えられるといいのだが。大丈夫だろうか?」

御影はドラマの影響を受けた朱莉のめちゃくちゃな推理を聞かされて、死んだ目になりつつある誠士を横目に見ながら、不安げな声で呟いた。

「そ、そうね・・・。ねぇ、朱莉ー!私が今から言うセリフをさぁー、好きな歌のメロディーで替え歌にして覚えてくれない?」

アメはそう言うと、朱莉の腕を掴んでビルの屋上の方へふわふわ浮かんでいった。

二人を見つめていたウカは『朱莉さんは、やる時はやれる子だの。』と誠士に微笑んで自らもビルの上へ飛び立った。


――― 同日 時刻 18:30 歌舞伎町さくら通り


 静かに暮れなずむ空に挑むかの様に町はネオンを輝かせ始め、人の流れが一気に変わった。勧誘する甲高い声や、どこかの店から漏れるBGMなど・・・眠らない街には騒々しい音がどんどん増えていく。

昼過ぎからずっと霊や動物たちに聞き込みをして歩き回っていた誠士は、カフェや公園などで朱莉を休憩させつつ、杏花にも連絡を続けていた。

彼女は通話には一切応じないが、送ったメッセージはたまに読まれている様だ。

御影が怪しいマッサージ店の前で地縛霊を見つけて、誠士に話をしろと訴えたのと同じ頃、矢ガラスとアメも1羽の鳩の動物霊を連れて来た。

誠士は幽霊の女性に声を掛け、矢ガラスたちに手招きした後で狭いビルの隙間へと入っていく。


「私の事、見える人は今まで何人もいたけど・・・話しかけたのは2人目ね。

昨日連れてかれた香苗ちゃんの事、聞きたいんでしょ?私はミカ。宜しくね。」

キャミソール1枚に素足の20代の女性は、クマだらけの下瞼を眠そうに擦って話す。

「あ!ポッポちゃん帰って来れたの!?じゃあ、あの子の居場所もう分かるね!」

ミカはアメの足元にいる鳩に気付いて手を振ると、笑顔でそう言った。

「ちょ、ちょっと待って!ミカさんは香苗の知り合いなの?鳩が居場所を知ってるって・・・どういうことか、全然分からないので説明してもらえますか?」

誠士がミカに説明を求めると、室外機の上に止まった矢ガラスが先に口を開いた。

「おっぱ・・・じゃない。香苗は、かなりの動物好きでな。生霊の護が殺しちまった鳩を遊歩道に埋めて祈ったのさ。誕生日の幸運、全部使っていいからこいつを生まれ変わらせてやってくれってな。香苗が家を飛び出した後、輪廻の順番待ちをしていたこの鳩は、香苗が心配でこっちに帰って来ちまって・・・それからはずっと一緒に簡易宿泊所に居たらしい。」

「あのこ、やさしい。すき。」

矢ガラスが話し終わると、鳩は覚えたての言葉を絞り出すように首を振って呟く。


「そうだよねー。私も香苗ちゃん好きー!・・・先月、フラッとこの街に来たあの子は大きなバッグ持ってうろうろしてた。私の事見つけると怖がりもせず話しかけてきて、『なんで死んだの?』とか聞いてきてさー!この街でこの格好で死んでんだから察してよって言ったら、『しばらくココで働くから仲間だね!悩みとか後悔全部話してよ。そんで満足出来たらさっさと天国行きな!』って笑って言った。

それからは・・・毎日仕事行く前に来てくれた。色んなこと、話したよ。

一緒にその可愛いポッポちゃんに言葉教えたりして、楽しかったなー!

昨日はね、深夜にその子が『まだ家に戻らないの!』ってココに飛んで来たから、

二人であの子のお店の前まで行ってみたの。そしたら店の前にいる香苗ちゃん見つけたんだけど、黒服のワゴンとは違うグレーのワンボックスが急に来て、走って降りて来た運転手の男が、あの子の口にタオルを押し付けたの。そんでフラフラしてるあの子を車に放り込んで、すぐに走って行っちゃった。

でもそのポッポちゃんは、急いで追いかけて行ってくれたんだよ!帰って来れて良かったー!ずっと心配だったけど、私はこの街から出られなくて・・・。

・・・死んじゃったら、戻ってくると思ってたから、来ないってことは生きてるんだなーって、それだけは確信できたけど。ヒドイ事されてないか不安で・・・。」


 ミカが話し終わると、朱莉も暗い顔で俯いてワンピースの裾を握りしめた。

誠士はキャリーバッグの中の御影を覗き込んだ後で、そっとミカに話しかける。

「色々教えてくれてありがとう。俺たちは香苗を助けに行くために、手掛かりを探してたんだ。本当に助かったよ。・・・鳩は車の行き先を知ってるかな?」

しゃがみ込んで目線を合わせた誠士の顔を見て、鳩は必死に言葉を絞り出す。

「ふねと、はこがたくさんある、うみにいった。とおくにはおしろ、ちかくにかんらんしゃ、すぐちかくに、まるいおおきながらすがある。はなび、みえた。」

鳩の証言を聞いて、全員黙って考えていた。『昨日、花火大会があった海辺を検索したらどうかしら?』というアメの意見で、誠士は携帯を取り出して調べ始める。

「あーーー!さっき、お城あったよね!?二丁目に可愛いお城!」

「うわっ・・・あ、ちょっとヒビ入った・・・。あ、あれは違うと思うよ。」

急に叫んだ朱莉に肩を叩かれて慌てた誠士は、落とした携帯を確認しながら彼女の顔を見ずに答えた。

朱莉が不思議そうに首を傾げている様子を見ていたミカは、クスクスと笑い出す。

「へぇー・・・香苗ちゃんのお友達って色んなタイプの子がいるんだね!

海辺で花火の見えるお城・・・っていったらさー、あのシンデレラ城じゃない?」


『シンデレラ!!?』

御影とアメと誠士は声を揃えて叫んだ。

「遠くにテーマパーク、手前に観覧車、近くにガラス張りの建物がある埠頭?」

誠士はそう呟くと、地図アプリの画面をタップしながら関連画像も検索していく。

「観覧車が葛西臨海公園のだとすると・・・丸いガラスは夢の島の植物園のドームの事かも知れない。近くの埠頭は・・・新木場か辰巳って所のどっちかだ!」

「誠士くん!樫井さんに連絡しないと!」

朱莉に腕を掴まれてまた携帯を落としそうになった誠士は、裏返った声で必死に

彼女をなだめながら樫井に電話をかけた。

「・・・あ、松宮です。え!?秋葉原・・・わかりました。あの、香苗は新木場の方にいそうなんですけど・・・そうですよね。・・・俺は先に行ってます。」

「杏花は秋葉原に行ったの?・・・いくらあの子でも漫画を買いに行った訳じゃないわね。目的は・・・武器って所かしら?」

樫井と短い会話を終えた誠士に、アメが小声でそう呟く。

朱莉は息を飲んで驚いたが、すぐ隣で怯えるウカに気付くと優しく手を握った。


「樫井さんは防犯カメラを追って、もう箱崎JCT付近を捜索しているらしい。

新木場の事伝えたけど、通報でもない限り勝手に行くことはできないから、このまま普通の捜査をするって。杏花さんの事は他の課の人がICカードを調べて、最後に降りたのは秋葉原だったらしい。

一旦、俺たちも秋葉原に行って杏花さんを探してから、新木場方面へ向かおう!」

誠士はそう言ってキャリーバッグを抱え直すと、ミカにも改めて礼を伝えた。

「いいの。私も役に立てて嬉しいよ!絶対、香苗ちゃん助けてね・・・。

朱莉ちゃん、また香苗ちゃんと一緒にみんなで遊びに来てよー!

あ!・・・いつか、好きな人とあの二丁目の可愛いお城に行けるといいね♪」

ミカは笑顔で誠士に手を振ると、真剣な表情で香苗の救出を彼に託した。

そして朱莉の近くにフワリと近づくと、耳元でそう囁いて片目を閉じる。

「・・・?うん!分かりましたぁ!ミカさん本当にありがとうございましたー!」

楽しそうに返事をする朱莉の横で、真っ赤な顔になったウカは黙って俯く。

「んじゃー俺は取り敢えず仲間を集めながら現地へ向かっておくぜ!

助けてやっから待ってろよー!愛しのパイパイちゃーん!!」


 矢ガラスが興奮した様子で大空へと羽ばたくと、鳩も急いで後を追っていく。

朱莉は少し高く浮かぶと、キラキラした街を見下ろして覚えたての歌を口ずさむ。

アメとウカは電車が嫌いだと言って御影の首輪の宝玉の中へ入っていたが、朱莉が歌詞に詰まる度に声だけ出して教え直していた。

路地裏から広い通りに出た瞬間から、しつこい客引きが群がる様に押し寄せる。

誠士はバッグの中の御影を気遣いながら、駅の方へ繁華街を駆け抜けていった。

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