番外編 ウェディングドレスとスタンガン

 7月19日の早朝、北沢警察署と新宿警察署で協議した結果、宮崎 香苗の誘拐に対する共同捜査本部が新宿署内に設置された。

18日の夜にはすでに、掌紋の鑑定結果が警視庁の特命対策室(調布一家殺傷事件)へと伝えられ、特命捜査係と強行犯係(20年前の幼女誘拐未遂事件)の特別捜査本部が設置された為、容疑者の三上と接触した香苗に関する情報提供が求められた。

新宿署は対象者がすでに誘拐されている事を報告し、香苗の書いた似顔絵を元に全国指名手配が決定する。

犯人の要求が不明だった為、報道規制も検討されたが特殊犯捜査係によってネットへの三上の最初の動画が発見された後、協議の結果全ての情報を公開し香苗の一斉捜索を行う事が最優先事項に決定した。


――― 7月19日 月曜日 時刻 10:15 


 本庁の特別捜査本部は、大きな会議室にそれぞれの事件に関する捜査員総勢120名が集結する大掛かりな物だった。

「す、すみません井上課長。拳銃の携行指示についてなかなか準備が進まず、遅くなりました。・・・これ、昨日までに俺がまとめていた資料も持ってきましたが、何か上に提出できそうな物があるか、ご確認お願いします!」

樫井は慣れない素振りで左脇のホルスターの位置を何度も直しながら、大きな鞄からいくつものファイルを取り出した。

「・・・おう。どうせ今野が書類の作り方知らなかったって所だろ。」

井上はそう言いながら樫井からファイルを受け取り、黙って読み始めた。

「先輩!この席どうぞ・・・宮崎の調書と身元引受に来た時の西嶋の証言は、先輩が用意していた物をもう提出済です。西嶋宅には安全課の制服が向かってます。」

晴見巡査は4人掛けの机の端にずれて樫井を座らせ、ペットボトルの緑茶を渡す。


「・・・ありがとう晴見。あれから何か進展はあった?」

「幼女誘拐未遂については時効が成立していますが、調布の掌紋と宮崎への付きまとい時の証拠が一致している件で、三上を指名手配することが決定しました。

ただ、三上は数年前に調布の不動産会社を退職後は足取りが不明で、現在ドヤ街を中心に捜一が聞き込みを行っているようです。サイバー課はIPアドレスから辿って最終的に動画を投稿した場所の特定を急いでいます。ウチの課は新宿署と一緒に、会議終了後に新宿で地取りする予定です。」

晴見は次々と資料を机に並べながら説明していく。


 ファイルを読んでいた井上は、晴見が口を閉じると同時に唸る様な声を出した。

「樫井は元々・・・西嶋と宮崎の知り合いなのか?」

「えっと・・・それは、宮崎は・・・夜霧ナイトフォグ事件のスケープゴートにされた女で、俺が去年逮捕しました。現在は執行猶予中になってます。5月の組犯合同捜査の後で、証言を頼もうと思って会いに行ってからの知り合いです。 西嶋は梅ヶ丘で、神野の信者の暴走車に轢かれそうだったのを・・・保護した時に知り合いました。

二人の関係は・・・どうやらネットゲーム内で知り合った友人らしく、俺が把握したのは先月位からですかね・・・。」

樫井は流れ落ちる汗を拭いながら、虚実の辻褄を合わせる様にゆっくりと語る。


「そうか・・・いや、この資料は実に良く調べているからな。ただの知り合いの為に休日に持ち帰り仕事にしてまで、どうして調べていたのか興味が出ただけだ。

お前はその顔だし、女の知り合いが多くても別に不思議じゃねぇ。

ただ、15年前の調布の事件なんて全く関わっていなかったお前が、なぜここまでしたのか・・・全く別の犯罪被害者と薬がらみの元犯罪者が偶然知り合い、なぜかすぐに同居までする仲になったのか・・・なぜその中間にお前が居るのか?

なぁ樫井・・・何か俺に言っておく必要はあるか?」

叩き上げで所轄と本庁を3度移動して、40代後半で警部になってからは7年も課長として陣頭指揮を執ってきた井上は、その目の奥に確かな疑念を持ちながら語った。

隣の晴見は一切言葉を発する事も無く、膝の上の拳を見つめている。


「・・・いえ。本件に関しては全く関係ない、ただの友人です。

報告を怠ってしまい、申し訳ありませんでした。」

樫井は席から立ち上がり、深々と井上に頭を下げた。

「まぁいい・・・警務部に突っ込まれたくもないだろうから、この件は晴見が暇つぶしに調べて資料作ったことにでもしとけ。

三上を挙げるまでは・・・お前は西嶋とは他人だ。そのあとは好きにしろ。」

「えぇー・・・。この資料の内容、僕が上に質問されるんですかー?」

井上の突然の采配に、一瞬で自分の損得を計算したらしい晴見は、素っ頓狂な声を上げて狼狽うろたえる。

「いーじゃねーか。優しくて純情な先輩が、手柄は全部お前にやるってよ!」

井上は含み笑いをしながら二人の若手を見比べて、そっとファイルを閉じた。


 突然、会議室の前の方が騒めきだす。

捜査員の席と対面するように用意された、管理官や一課と二課、鑑識の係長が並んで座る席の後ろのスクリーンに電源が入れられた。

「特殊犯、知能犯係から報告です。たった今、マル被の最新動画が公開された様です。三上が顔出ししてる模様。スクリーンに映します。」

係長の指示に従い、捜査員たちは筆記用具と資料を手元に用意して全員着席する。


 警察に挑戦するような三上の言葉、香苗の精一杯の心の叫びを聞き終わった室内には、誰一人として無駄口を叩く者はいなかった。

庶務係の女性が、三上の顔写真をプリントした大量の手配書を配っていく。

井上が新宿署の刑事課長と捜査方針を話し合いに席を立つと、緊張した面持ちで固まっていた晴見は手帳のメモを見ながら溜息をついた。

「・・・先輩の友達・・・じゃなかった。知り合い、良い女ですね。」

「えっ!?なに?」

部下の言葉の意味が理解できなかった樫井は、呆然とした表情で聞き返した。

「いや、こんな子に愛されるなら、僕は仕事辞めても良いかなーーって。」

「それは・・・助けた後に、ゆっくり話そうか。」

昇進にしか興味がなかった優秀な部下を、狂わせてしまう程の魅力が香苗にはあるようだ。


 井上が新宿署の捜査員2名を連れて戻って来た時、丁度携帯が震えてしまった晴見は少し離れて話し始めた。

樫井が新宿署の武田と石川に名刺を渡していると、血相を変えた晴見が何かを叫びながら割り込んでくる。

「す・・・すみません。あの、保護の為聴取予定だった・・・西嶋 杏花が・・・

えっと、その・・・姿を消しました。さっき自宅へ向かった生活安全課のPCパトカーから、署に入電があって・・・分かりました。」


 晴見は樫井の顔色を気にする様に窺いながら、言葉に詰まりながら話した。

井上はしばらく考えていたが、首を横に振って樫井の肩に手を添える。

「何か行きそうな場所分かったら・・・その都度、安全課へ連絡入れてやれ。

樫井は石川巡査と、晴見は武田巡査部長と、予定通り新宿で宮崎の足取りを追ってくれ。・・・以上だ。俺はここに居るから、何かあれば随時連絡しろ!」

「了解!」

一斉に敬礼をした男たちは、詮索も言い訳もし合う事はない。

ただ一つの命を救い、殺人鬼の凶行に終止符を打つ。それだけに命を懸けなければ、誰一人として救う事が出来ないという信念のみが、彼らの足を動かしていた。



 豪徳寺のスーパー前でトイレに行きたいと言った杏花は、駅の傍にパトカーを止めさせた。三上からの直接の名指しは無く、精神が錯乱している状態でもなかった為、任意で聴取される予定の形式的な保護措置だと杏花が考えた通り、女性警官がトイレの近くに立つのみで、身体的な拘束は無かった。

個室内でドレスから男物のジーンズとオーバーサイズのチェックシャツに着替え、

長い髪を結んでキャップの中に隠した杏花は、大きなショルダーバッグにドレスを詰め直し、他の男性客の陰に隠れる様に歩きながらトイレから出る。

女性警官には生理痛が酷いと伝えていた為、しばらく気付かなかったらしい。

電車に乗って数分後に北沢署からの着信を確認した杏花は、そのままマナーモードで震え続けるに任せ、30分後に到着した神田駅で電源を切る。


――― 同日 時刻 11:40 秋葉原電気街にて


 キャップを駅ビルのトイレに捨てた杏花は、フワリと巻かれたポニーテールを揺らしながら、護身用品のショップへ向かった。

「一番強力なものでスカートの下とかに隠せるように、細長い棒状の物が良いんですけど・・・。太腿に留めるベルト的な物もあれば最高ですね・・・。」

杏花はスタンガンの他にも、催涙スプレーとフラッシュライトも購入する。

また携帯の電源とGPS接続をわざわざオンにして、支払いもカードで済ませた。

再びICカードを使って電車に乗り、携帯の電源を切る。

早くあの人に伝わって欲しい。でもすぐに見つかる訳にも行かない。杏花は複雑な心中に蓋をする様に、窓に映る顔を無理やり笑顔に変えて遠くの空を見上げた。


 杏花は茅場町駅を降りてネットカフェを探しながら、携帯をチェックした。

樫井や誠士から尋常じゃない位の着信が入っている。

無事だということ、香苗を助けに向かった事をメールして再び電源を切る。

また何駅か進んでから、休憩しよう。

杏花はそう考えた様子で急に踵を返し、再び駅の雑踏の中へと姿を消した。


 汐留駅の近くにあるネットカフェは月曜の夜でも意外に混雑している。

セットで買った充電器でスタンガンを充電している間、杏花は説明書を読んだり、

香苗の情報が更新されていないか、掲示板やゲームのサイトを確認していた。

昼過ぎに注文したピラフは半分も食べられなかったが、異常に喉が渇くので先程からドリンクサーバーを行ったり来たりしている。

自分には細かい情報を読み取る事など出来ないと思っていたが、あいつの表情を見ていたら、不思議と江東区らしき地名、海岸や倉庫街のイメージが伝わってきた。

杏花は個室内で再びドレスに着替え、左の太腿の外側にスタンガンを、右の内股にフラッシュライトを装着していく。

続けて彼女は小さなハサミで、ドレスの膝上15㎝まで3ヶ所に切り込みを入れる。

フワッとした素材なので外見上は変わらないが、手を滑り込ませればいつでも武器を触れるようになった。

杏花のそれまで張り詰めていた気持ちは、真っ白なドレスを切り裂いていく間に、ボロボロと積み木が崩れたように脆くなっていく。


 再び携帯の電源をいれて、最初に樫井のメールを開いた。

【死ぬな。】

文章はそれだけ。それでも杏花の冷えた心を温めるには充分な熱量だ。

次に誠士のメールを確認した時、杏花は目を見開いて携帯を落とした。

1時間前に秋葉原を出発して、有明駅へ向かったという内容に感嘆の声を漏らす。

色々言い合いながら、生霊や浮遊霊に聞き込みをしている2人の姿を想像していると、自然と引きつっていた顔の緊張が解けていく。

きっとまた、全員であの家に帰ろう。

あの人の為に良い肉を買って、朱莉の為にノンアルコールカクテルを作ろう。

そんな事を考えていると、涙が勝手にポロポロ流れ落ちてきた。

恐怖では決して零れなかった涙は、誰かを想う度に止めどなく溢れる。

『みんなに会いたいよ・・・。』そう呟いた杏花は静かに目を閉じた。


―――  時刻 20:50


 暫く閉じていた瞼をゆっくりと開けた杏花は、香苗の携帯に駅の名前が見える様に自分を撮影した写真を添付してメールを送る。

【ウェディングドレスは綺麗な月の下であなただけに見せたい。友達の無事を証明してくれたら、豊洲の海岸公園に行きます。富士見橋の下で会いましょう。】

吐き気を必死に抑えながら送信ボタンを押すと、返事はすぐに来た。

【やっと会えるね。ボクの天使。近くの倉庫に居るから、今から1時間後に。

着いたらテレビ電話を掛けてね。友達を解放する様子を映してあげる。】

そんなメッセージと一緒に、ドレスから普段着のジーンズに着替えた香苗の写真が送られてきた。

片目は腫れ、口からは血を流していて、捲った袖の下の腕には無数の痣が見える。

杏花は沸き上がる殺意を必死に抑える様に肩で息をした。


 悔しいけどあいつは頭がいい・・・そう杏花は思う。

倉庫街で逃げ出した所で交番まではとても遠い。

埠頭は夜に働いている人も殆ど居ないので、携帯を取り上げさえすれば通報されるのも暫く後になる。

香苗の隠し場所とは対照的に、自分には豊洲の海岸の様に夜景スポットで少ないながらも人の目がある、逃げ場のない場所に来るように念じていたという事は、もう逃げ回る気はないのだろう。心中させられるのは目に見えている。

どうしたら勝てるのだろうか?先に通報してしまえば、サイレンの音を聞いた瞬間にあいつは香苗を殺して自分だけ逃げるはずだ。

頭を抱えてうずくまっていると、キーボードの横に置いていた携帯が急に震えた。


「も、もしもし・・・松宮さん?はい。・・・すみませんでした。

お二人は、今どちらにいますか?え!有明北緑道公園ですか!さすがです・・・本当に近いですね。あの・・・22時頃に香苗さんが解放してもらえそうなんです。

場所は・・・辰巳埠頭です。でも香苗さんが危険なので、警察にはギリギリまで言えません。時間近くになったら、樫井さんに電話してもらえますか?

・・・えぇ。私は犯人とテレビ電話をしながら豊洲で待ち合わせています。

そうですね・・・多分通報させない為ですね。香苗さんを逃がす様子を映すと言って外堀を埋められてしまいました。どうしたら・・・生きられますかね?」


 ふり絞るような声で杏花は最後の望みを誠士に託した。

無口で優しく不器用なヒーローは『絶対死なせない。全員で守る。』とだけ話す。

全ての意図は読めなくても、なぜか安心できる言葉だった。

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