サプライズ

 『来週の土曜日は家でランチしましょう!ぜひ二人で来てね!』

先週、突然杏花さんから謎のメッセージが届いた為、いつもは夜勤に備えて昼まで寝ている所を、無理して9時に起きる。

朱莉はもう起きていて身支度(見た目に変化なし)にこだわっていた。

「杏花さんからぜひ来てねと言うことは・・・渾身の料理を思いついたに違いないんだよ!ここは朝ごはんを我慢して・・・」

食事をせずに歯磨きを済ませた彼女は冷蔵庫を睨み、何かと必死に戦っている。

「・・・早めに出かけてカフェでジュースでも買いますか?お土産にケーキくらいは持っていきたいし、ケーキ屋の2階の店でテイクアウトしない?」

薄いシャツに着替えながら俺が声を掛けると、独り言を聞かれた恥ずかしさからか

朱莉は『そ、そうだね!誘ってもらったなら何か持ち寄らないとねー!』と口ごもりながら目を逸らした。



――― 6月12日 土曜日 ジメジメとした梅雨空の昼食時


 買ったばかりのケーキが崩れない様に、自転車を降りてゆっくり歩いて向かう。

ハッピーいちごミルク(タピオカ入り)なる物を買わされて、とても恥ずかしかったが、人がいない細い道に入る度にちょこちょこ飲んでは『あまーい!美味しーい!』と喜んでいる朱莉を見ると、あの可愛らしい店内のふかふかのソファに座らせて、じっくり飲ませてあげたかったな・・・と思った。

気分よさげな朱莉は杏花さんの家の近くの綺麗な遊歩道へ差し掛かると、フワッと

土手を下り小川へと舞い降りた。

ケーキがぬるくなるとまずいので、呼び戻そうと柵から身を乗り出して見下ろす。

しかし朱莉はいつものように水面を飛び回っている訳ではなく、土手の草むらで黒い何かと話し込んでいた。

俺は道の端に自転車をとめてカゴにケーキを入れ、慌てて追いかける。


「生霊のお嬢さん、悪いことは言わねー。今日はこの辺を出歩かねぇ方が賢明だ。

お前ら、たしか外人みたいな占い師の女と猫の知り合いだろ?

・・・あいつらにもし連絡が取れたら、『矢ガラスがケース1だと言っていた』と伝えといてくれ。じゃあなー!」

「おい!ちょっと待て!俺たちは今からその家に行くんだ。今のはどういう・・」

呆然としている朱莉の代わりに、俺は矢の刺さった化けガラスを引き留めようとしたが、相手はもう曇り空の上に消えてしまった後だった。


 杏花さんの家のチャイムを鳴らす間も、朱莉は『さっきのはどういう意味だったのかねぇ?』と首を傾げていた。

杏花さんが電子ロックを解除するガチャっという音がしたその瞬間、何かとてつもない雰囲気を背中に感じて俺は道路の方を振り返る。

黒い人影がじっとこちらを見ている気がして、俺は驚いて立ち止まった。

しかし、ソレはすぐに他の一軒家の間に吸い込まれるように消えていく。

「誠士くん?どうしたの?ドアもう空いてるよー?」

先にすり抜けていた朱莉に中から呼ばれてやっと我に返った俺は、ケーキを揺らさない様にゆっくりと扉を開けた。


 久しぶりに来た杏花さん宅のリビングは、少しだけ模様替えされていた様だ。

以前よりも緑が多くなった気がして、俺と朱莉は席に座るよう促されてからもキョロキョロ見回していた。

カウンターキッチンに並べられている小さな陶器のカップには、良い匂いのする

ハーブ類が植えられている。

鼻を近づけて香りを楽しんだ朱莉は『これ可愛い!どうしたのー?』と葉を触りながら、ケーキを冷蔵庫にしまっている杏花さんに尋ねる。

「あぁー!なんか樫井さんがこの前急に買って来てくれたの。ハーブティーに使えて嬉しかったけど、なんでか理由を聞いても全然教えてくれないんですよねー。」

杏花さんは不思議そうに首を傾げながらも、少し幸せそうな笑顔を見せた。

淡いブルーのドレスにエプロン姿で微笑むと、絵本の不思議の国のアリスにそっくりだ。

「いいなぁー!センスいいプレゼントだぁー♪

あ!そういえば誠士くんもこの前花束くれたんだよねー!流行りなのかなっ!」

朱莉は杏花さんに微笑み返すと、ソファで丸くなっている御影を撫でようとフワッとリビングを横切った。

杏花さんはちらっと俺の顔を見たが、何も言わずランチの準備を進める。

『なにか手伝いましょうか?』と聞くのと同時に玄関のチャイムが鳴ったので、

俺は家主の代わりに扉を開けに行った。


 大量のお茶やコーラのペットボトルが入った袋を下げた樫井さんは、『松宮君、

もう来てたんだね!』と笑顔で入ってくる。

「樫井さんもランチ会なんて珍しいですね!・・・杏花さん、今日ってなんで急にみんなを呼んだんですか?」

荷物を運ぶのを手伝いつつ、部屋に戻りながら俺はトマトを洗っている杏花さんに尋ねた。

「あれー?私メールに書くの忘れましたかね?

・・・今日は、香苗さんのお誕生日なんです!」

「えーーー!知らなかったぁ!プレゼントも何も用意してないや・・・」

朱莉は驚いて飛んでくると、少し残念そうな顔をして俺と杏花さんを見ている。

「すみません・・・普通のランチだと思って、ケーキもお茶用の小さいのです。」

俺が申し訳なく思っていると、杏花さんは『全然大丈夫です!気持ちだけでいいと思いますよ♪』と手を振った。

「まぁー俺なんて飲み物しか買ってないけどな!んで、その主役さんはどこだ?」

あっけらかんとした樫井さんは、広いリビングを見渡して杏花さんに尋ねる。

「香苗さんは、三軒茶屋で夜遅くまで働いているので、さっきまで寝てました!

もうすぐ仕度して来ると思いますよ!」


『・・・。』

香苗が夜働いていると聞いて、俺と樫井さんは目を合わせて固まった。


「杏花ぁー・・・その言い方だと語弊があるんですけどぉー。」

欠伸を堪えたような声がリビング奥の部屋から聞こえる。

しばらくして、呆れた様子の香苗が文句を言いながら出てきた。

「完全にデリヘル始めたと思ってるからね!この男どもは!」

香苗は洗い髪をタオルで拭きながら気怠そうに笑う。

服装はOLが好んで着そうな、薄い生地のシャツにジーンズのシンプルな格好だ。

少し濡れて透けたシャツは胸のボタンがきつそうで、目のやり場に困ってしまう。


「そ、そんなー!違いますよー!皆さんも行きつけの『居酒屋てっちゃん』でバイトしてるんですよねー♪たまに賄いでもらったコロッケを持って帰ってくれるんで助かってますー!」

「あーー!あの一口コロッケのお店ー?いいなぁー私もバイトしたいー!」

杏花さんが話し終わる前に、あの美味しさを思い出してテンションの上がった朱莉は、香苗の前に飛んで行って彼女の手を握り『あ、あと・・・お誕生日おめでとうございます♪』と付け加えた。

「あ・・・ありがとう。え?杏花、今日はただのランチ会って言ってなかった?」

朱莉の言葉に耳まで真っ赤になって照れた香苗は、掴まれた手を解きながら杏花さんに尋ねる。

「サプライズってやつですー!香苗さんの携帯契約しに一緒にお店行った時に、

契約書こっそり見ちゃいました!」

杏花さんがそう言って人差し指を立てて説明すると、『はぁー。この家はプライバシーってもんがないのね・・・早くお金貯めて逃げよう!』と香苗は洗面所に向かいながら愚痴をこぼす。

全く嫌そうに聞こえない彼女のセリフに、朱莉は俺の袖を掴んでクスッと笑いかけてきた。


 食卓の席が足りないので、杏花さんは部屋から椅子を持ってきてくれた。

華やかなテーブルには、トマトのカプレーゼや大盛りのパスタ、ローストポークなどのイタリアンが並んでいる。

樫井さんは『おおー!肉だっ!』と嬉しそうに笑う。

アメとウカも匂いにつられて神棚の宝玉から飛び出してきて、御影も『祝い事は良いものだな。』と言いながら杏花さんの足元に近寄っていく。

「今、みーちゃんのお肉のスパイスを取り除くからね!あ、香苗さん!主役は真ん中に座って下さいよー!・・・みんなお仕事あるし、乾杯はコーラかな!」

司令塔の杏花さんは、テキパキと準備を進めて全員に気を配る。

朱莉はグラスに氷を入れてコーラを注ぎながら、『パーティーってこんなに楽しいんだね!』と向日葵のような笑顔を見せた。

誕生日会に呼ばれたのも初めてだったが、俺も同じ感想だった。


 幸せでなごやかな時間が過ぎた分、心の奥に引っかかっていた矢ガラスの警告が不快感を増す。

片付けを済ませて樫井さんとコーヒーを飲んでいた杏花さんに、俺はあの出来事を伝える事にした。

化けガラスの不安感を煽る言い方を思い出して迷ったが、幸い朱莉はソファの方で香苗とアメに弄られながら楽しそうにおしゃべりに夢中だ。

「杏花さん、今日ここに来る途中で気になることがあったんですけど・・・。」

二人の向かいの席に座るなり真剣な表情で話し出した俺を見て、杏花さんは不思議そうに首を傾げたが、手早くコーヒーを注いで差し出してくれた。

樫井さんはコーヒーをすすりながら耳だけ傾け、彼の膝の上で丸くなっている御影も顔を上げた。


「御影と再会した日、矢が刺さって死んだカラスと話したじゃないですか?そいつがまたあの小川にいて、今日は危ないから帰れ、御影と杏花さんに『ケース1だったって伝えろ!』って言ってたんです。なんの事か心当たりありますか?」

俺の言葉に杏花さんはハッと息を飲むと、次第に緊張した面持ちに変わっていく。

「杏花・・・まずいな。この辺の動物たちには私から警告しておこう。」

「そんなっ!ダメです!みーちゃんは暫く外に出ちゃダメ!・・・こうなったら私が直接、あの子が離脱してる時に対話を・・・。」

「ちょっとちょっと!杏花さん落ち着いて?俺には猫ちゃんの言葉分かんないし、

松宮君の質問への答えにもなってないと思うんだけど・・・。」

樫井さんはパニック気味の杏花さんの背中に手を添えて、話を聞こうとする。


――ガタッ!

「キャッ!」

突然、ソファのあるリビングの大きな本棚のラックが揺れ、黒い人影が現れる。「なっ!?誰だよあんた!生霊・・・!?」

朱莉が驚いて香苗にしがみ付くと、香苗は朱莉を守る様に手を広げて鋭く叫び相手を威圧した。

「やぁ・・・初めまして。楽しそうな声に誘われて来た通りすがりの生霊です。

お近づきの印に、僕からもプレゼントをあげるよ。」

学生服だろうか?黒いズボンやセーターの下には白いワイシャツが見える。

15歳程に見える少年はかなり細くて背が低いので正確な年齢は分からない。

少し長めの黒髪の下の顔は青白くやつれ、声には幼さが残っていた。

少年が投げた何かが、香苗の足元に落ちる。


「まぁー・・・すんごいセンスのプレゼントどーも。・・・あんた、この辺で動物

殺して回ってたガキか。今度は自分が半分幽霊になっちゃったって訳?」

香苗は首の折れて動かない鳩の死骸を見下ろして、吐き捨てるように呟く。

危ない!そう思った瞬間、混乱していた脳とは関係なく俺の脚は動いてくれた。

急いで走って香苗の背中側に辿り着いた丁度その時、朱莉が貧血を起こしたように

力なく俺の腕に倒れ込む。

杏花さんも駆け寄って来て鳩の亡骸に白いタオルをかける。樫井さんは目に見えぬ

何かに警戒しながら、本棚と杏花さんの対角線に割り込んで立ち塞がった。


『・・・。』

部屋を包む、長い沈黙。

まるでそれを楽しむかのように、クスクス笑っていた少年は突然大声で叫ぶ。

『サプラーイズ!』という彼のセリフが、静まり返った部屋に反響して耳に残る。

得体の知れない恐怖は静かに身体の中に流れ込むと、やがて心を支配していく様に

広がっていった。

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