第8章 悪意
若葉マーク
静岡県のとある山林に昔からある自動車教習所は、合宿が出来て最短14日で卒検を受けれる施設としては、最安値の部類だった。
パンフレットで写真を見た時は、東京から近く景色も宿泊施設も綺麗なのになぜこんなに安いのか?と不思議に思っていた。
しかし、その理由は参加した初日に判明する事になる。
まず、施設につくまでの山道では何人もの自殺者(死後)がうろうろしていたし、
相部屋の俺以外の3人は毎晩のように金縛りにあっていた。
出発前のある日、俺は留守中の朱莉の事が心配で杏花さんに相談しに行った。
『朱莉ちゃんは毎日でも家に居てもらって私は構いませんが・・・私は松宮さんが
心配です。どうかアメとウカを一緒に連れて行って下さい!』
杏花さんはそう言って、白狐の潜む虹色の宝玉をお守り袋に入れて俺に持たせた。
その時に教えてもらった簡単なお祓いの祝詞と、霊の説得話法。
杏花さんがそこまで必死にレクチャーした意味も分からないまま出発したが・・・
それはこの施設での生活中かなり役に立つ事になった。
金縛りに苦しんでいた仲間たちからは尊敬と畏怖の目で見られ、今日の卒検までの約2週間で俺は何人の彷徨う魂を浄化したか分からない。
もう一つの敵は・・・そんなヘトヘトの状態でも、他の受講者と変わらずに受けなければならない実習中に、ひっきりなしに震える携帯だった。
アメは『彼女でもないのに毎日律義にメール返事して・・・バカみたい!』となぜか不機嫌になっていたが、ウカは『大変だのぉ・・・誠士は生まれ変わったら天使になれそうだのー・・・。』と遠い目をして共感してくれた。
――― 5月28日 金曜日 蒸し暑くなってきた曇りの午後
【今、試験が終わったよ。家に帰るのは夜遅くなっちゃうから、先に寝ててね。】
これから真っ直ぐに帰宅すれば夕飯時には帰れる計算なのだが、実は樫井さんと飲みに行くことになっている。
疲れているのに色々面倒な説明をしたくなくて、朱莉にその事は伝えてはいない。
うっそうとした山道を駅までの送迎バスが下っていく間も、バスを崖から落とそうとしてくる悪霊たちに目を光らせていた為、結局一睡も出来なかった。
渋谷の人混みに帰って来てこんなに安心するとは思わなかった。
生きてる人間がこれだけ多いと、幽霊は寄って来づらいのかも知れない。
大荷物とお守りは駅のロッカーにしまい、待ち合わせの広場へ向かう。
樫井さんに連れてこられた、少し駅から離れたビルの5階にあるお洒落な焼肉屋さんは、落ち着いた雰囲気だった。
大騒ぎする酔っ払いなどはいないが、カップルが多めで俺は若干気後れしていた。
「なんか高そうなお店に誘ってもらってすみません・・・。」
「いやいやー!松宮君がついに免許取るっていうからさ、帰ってきたら絶対お祝いさせてもらおうと思ってたんだよー!俺も良い事あったしー!」
樫井さんは笑顔で俺に『気にしないで』と手を振り、半個室のテーブル席に座った。
「明日鮫洲行って試験受けるまでは仮免ですけど・・・樫井さんの良い事は何だったんですか?」
「松宮君の頭の良さなら筆記落ちるわけないからもう確定じゃん!それにしても急に合宿行くなんて言うからびっくりしたよー!・・・あー俺ね、浅葱山の麻薬組織逮捕の協力で表彰されたよー!この前捕まえた神野もさ、なんか夜全然寝られねーとか言ってボロボロ自白しているらしい!」
彼は頼んだビールがすぐに来てさらに上機嫌になり、大きな声で乾杯した。
「来年は本格的に就活したいんで、暑くならない時期に取っとこうと思って。
コールセンターが意外に稼げた分、貯金が結構できたのもあります!
おおー!最近、大手柄が続きましたもんね!これは30代で警部もありますね!
拘置所の神野の部屋、想像したくないな・・・生霊で埋まってそう・・・。」
久しぶりの学食以外の豪華な夕食に、俺もテンションが上がっていたのかビールが
もう無くなりそうだった。
「いやぁー松宮君にそう言ってもらえるとホントに嬉しいよー♪
でも俺さ、松宮君の方が凄いと思うんだよねー・・・あ、ハラミとタン追加で!
だってさー朱莉ちゃんの分の生活費増えてる中で免許の金も貯めたんでしょ?」
樫井さんは店員さんに肉と酒を注文しながら、俺の顔色を窺うように尋ねる。
「・・・まぁー昔から要領よくやる事を親に求められてたせいか、本気出したら結構節約とか料理も上手くできちゃって。朱莉が自炊の手伝いしてくれて、惣菜買わなくなったのもあるかも知れないですね。」
「へぇー・・・じゃあ朱莉ちゃんに対して、別に不満とかは無いわけかー!
本当に松宮君はしっかりした若者だよねー!だって同棲してる訳でしょ?
・・・邪推だけど、ぶっちゃけ見返り求めたくなるんじゃないかなって思って。」
「うぇえ?・・・ゲホッ!!」
樫井さんらしくない言い回しで思わぬ質問をされ、飲みかけのビールでむせる。
「・・・もしかして、俺を淫行で逮捕してもう一手柄とか・・・。」
「えっ!?アハハ!いやーそれはないよ。相手は生霊だから証明できないし。
・・・でも、証明できないから何しても良いやって思わないでいる事は、凄く立派な事だと俺は思う。」
『・・・。』
どう答えていいかも分からなくて無言の俺を気にもせず、樫井さんは次々に肉を焼きながら話し続ける。
「松宮君さ、就職はどこか受けたい所あるの?」
「・・・え?いやーまだそこまでは考えてなくて、何にでも挑戦できるように取り敢えず免許を・・・って程度の考えで・・・。」
「あ、この肉良い感じだよ!そっち側に置いとくねー!
・・・松宮君さ、来年の警察官の採用試験受けてみたらどうかな?」
『・・・。』
「ん?どうしたの松宮君ぼーっとして。うわぁー肉!お肉焦げてるよー!!」
「す、すみません!・・・ま、またまたー樫井さん、もう酔ったんですか?」
目の前の網が炎上してしまい、俺は慌てて肉を救出しつつそう答える。
「いやー真面目な話だよ!松宮君の困ってる子を見捨てられない優しさとかさ、
安易に見返りを求めない誠実さ、浅葱山の事件の時によっちゃんと朱莉ちゃんを二人とも守りきった行動力、そんでもってそこらの大学生よりも余程頭が良いと来ればさぁー、試験くらい余裕かなーって思って!」
「・・・凄い褒めてくれてますけど、俺高卒でフリーターですし・・・。」
期待に応えられそうもない自分の現状に、どんよりした気持ちになりながら俯く。
「高卒でも受けれるし、一回サラリーマンになってから転職する人も居たよ!
・・・あっ!昔そういうドラマあったよね!ほら、映画にもなった・・・」
「・・・えー!本職の人がドラマの話で勧誘しちゃうんですか?
俺・・・緑のコート着て走り回って、犯人に刺されるの絶対に嫌です・・・。」
「そうそう!知ってるねー松宮君!・・・『事件は、かい・・・』」
「ああーーーー!ダメです!色々問題なのでそのセリフは禁止です!」
「えー・・・じゃあ俺達で二人一組で相棒になるかー!松宮君、頭いい方で!」
「それ、俺の方が上の立場になっちゃいますよ・・・樫井さんと捜査なんて行った
ら俺、速攻で死ぬと思います・・・。」
俺はこの収集のつかない会話に混乱しながら、不思議と楽しんでいた気がする。
気付けば樫井さんの奢りなのに、4杯もジョッキを空けてしまっていた。
もちろん彼は俺の数倍の量を飲んでいたので、もう顔が真っ赤になっている。
「うーん・・・だいぶ飲んだなー!もう食えない・・・。
まぁーまだ実感湧かないだろうけどさ、もし興味出たらまた相談してよ!
こんな先輩でも、たぶん・・・試験勉強の手伝い位なら出来るし!」
樫井さんはそう言うと、さっと財布を持ってレジに向かったようだった。
携帯を見ると時間は21時近くなっていて、朱莉からは『これから金曜映画でショー見て寝まーす♪』というメールが入っている。
こうなったのは自分のせいなのだが、2週間ぶりに会う同居人の顔を見るときは寝顔か・・・と少し残念な気持ちにもなった。
戻ってきた樫井さんに『ご馳走様でした!』と頭を下げると、俺の様子を見て何かを察したような顔をした彼は、『まだ時間平気?良い所いこーぜ!』と笑った。
連れて来られた雑居ビルの看板には『サラリーマンのオアシス』と書かれてる。
「樫井さん、これは・・・。」
「松宮君、合宿で相部屋だったんでしょ?」
彼は意味ありげな顔でそう言うと、どんどん個室ビデオ店に進んで行こうとする。
「ま、まって下さい!樫井さんはこんな所に来て大丈夫なんですかー?」
「うーん・・・そうだなー!あぁ・・・違法なモノが並んでないか、ちゃんとチェックしなければ!」
「・・・それ、嘘臭い上に最低の理由付けですね。」
「まぁーこういうのはお互い若葉マークという事で、社会勉強だと思って!」
『・・・。』
1時間後に外で待ち合わせをしていたので、時計を見てから部屋を出る。
先に待っていた樫井さんは、謎の罪悪感に満ちた顔で濁った夜空を見上げていた。
「・・・俺の親父がさ、かーちゃんにケーキだとか花だとか買って来た日はさー、
必ずスナックのレシートがポケットに入ってたんだ。良く捨て忘れるからってよ、
俺と妹が必ずチェックして代わりに捨ててやってた。」
「・・・可愛い思い出ですね。」
「松宮君さ、今・・・朱莉ちゃんにお土産買って帰りたいって思う?」
「あー・・・まぁーそうですかね・・・。」
さっきまで考えていた名前を急に出されるのは、意外と恥ずかしいものだった。
動揺とフワフワとした心地良さを隠す様に、適当に誤魔化して答える。
「・・・ま、色々がんばろーな!」
樫井さんは笑顔でそう言うと、少しふらつく足取りで駅に向かって歩きだした。
車を買う金もないのに、俺は明日から緑色の免許証を持つ予定だ。
試験に受かったことを誰かに祝ってもらった事も、初めての経験だったが・・・。
色々あって少しキャパオーバー気味の脳をフル回転させ、遅くなり過ぎた言い訳と
明日の試験の事を考えて歩いていたら、いつの間にかアパートの前に立っていた。
荷物を廊下に置いて、左手に逆さに持っていた花束をチラッと見る。
23時までやってる花屋に駆け込み、閉店の準備中の店員さんへ残り物で構わないと伝えて作ったものだ。
バラバラの在庫を集めた割に、綺麗な色にまとまっている。
淡い桃色のクレマチスと白いカーネーションは、微かに甘酸っぱい匂いがした。
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