声なき目撃者

 足に力の入らない人間がもたれ掛かれば、本来は腕に相当な重さを感じる筈だ。しかし、とくに鍛えていない俺が簡単に支えられてしまうほど、朱莉の身体は

軽く氷の様に冷たかった。

(意識がないと人間らしさが無くなる・・・?)

俺は彼女を抱きかかえてソファにそっと寝かせる。

目を閉じて動かないが僅かに胸が上下しており、生きている事が確認できた。

御影とアメが朱莉の前に駆け寄ると状態を詳しく調べ始め、俺の顔を見てから首を縦に振って大丈夫だと伝える。


 少し安心して、俺は黒い服の少年の方を振り返る。

彼はぐるっと神棚や全員の様子を一通り見回して、ふっ!と鼻で笑った。

「片方はビビッて出て来もしない低レベルな双子の神に、ただの動物になった化け猫。ネットで話題のポンコツ刑事にただのフリーターか。

生霊シスターズを守るには、ちょっと物足りないような気がするね!」


「樫井・・・今、ガキの生霊が勝手に入ってきて、ビビった朱莉が失神した。

あいつはたぶん、人間の身体の時にこの辺で悪さしてたクソガキだよ。

私が同時通訳してやるからこっちに来て。杏花はこういうののプロだから・・・

あんたがそこに突っ立ってる方が邪魔なの!」

香苗はそう手短に説明すると、少年の前に立ちふさがってる樫井さんを引っ張って窓際へ移動した。

樫井さんは静かに頷くと、ジーンズのポケットからメモ帳とボールペンを出す。


「あなたは・・・どうしてずっと元の身体に戻るのを拒否しているのですか?

私も協力します!・・・もう自分や動物を傷付けなくて済むように、一緒に話し合いましょう!」

杏花さんは、本棚のファイルを勝手に引っ張り出して読み始めた少年に、優しく話しかけた。


「そんなに真面目な話しないでよー!こんなゴミみたいな世の中で、なんにも知らずに能天気に生きてるだけの大人を、少しからかいに来ただけなんだから。

僕が興味あるのは朱莉ちゃんだけだし!いやぁーー近くで見てもホント可愛いねぇー!おにーさんが家に閉じ込めたくなる気持ち分かるなぁー!」

少年は酔っているかの様にフラフラと歩き回りながら、俺の顔を見て嘲笑した。

「人を失神させるほど怖がらせといて、からかったで済むわけないだろ。

お前は誰だ?なんで朱莉を知っている?」

香苗から事情を説明されながら俺の言葉を聞いていた樫井さんは、手のひらを上下させて『落ち着いて』と合図を送って来た。


「僕はとある引きこもりの学生だよ。ずーっとネットに張り付いてるせいでねー、

結構なーんでも知ってるんだよ!例えば・・・。

朱莉ちゃんがどうしてのかも知ってるよー!

その優しいおねーさんを、ずーっと探してる殺人鬼のハンドルネームとかもね!」

――カタッ!樫井さんがペンを落とした音が響く。

それと同時に、糸が切れたマリオネットのように杏花さんが床に座り込んだ。

それは初めて覚えた感情だった。

何も言わず少年に近づいていった俺は、気が付くと彼のセーターの胸倉を掴み、

大きな本棚へ力任せに押し付けていた。

バタバタと重い本やファイルが上の段から落ちて散らばる。

「知ってることを全部話せ。・・・話さないと・・・。」

「・・・そうやって僕を殺す?」

苦しそうに顔を赤くして絞り出した彼の言葉に、ハッと我に返り俺は手を離す。


「あははは!ビビりすぎだろ!本当にダセー大人だなぁーー!

残念だけど、これ以上おにーさんには何も教えてあげないよ。朱莉ちゃんが人間に戻ったら僕の楽しみが無くなっちゃうじゃん!

・・・あ、それと、駅に行く途中の開かずの踏切で、面白いショーが見れるよ。

退屈なあんたらへのサプライズなんだー!楽しんでね!」

少年は本棚の奥へ吸い込まれるように一瞬で消え、手を掴む事もできなかった。

段々、体に力が入らなくなり膝がカクっと折れる様に勝手に曲がる。

俺は散らかった本の上に座り込んで、恐怖や絶望感で殆ど動かなくなった頭を働かせようと、自分の拳でひたすら額を叩いていた。

突然、大きな手が俺の拳を掴む。

樫井さんはそのまま力を込めて俺を引っ張り、立ち上がらせた。

「俺にも見えてたら、松宮君より先に同じ事してたよ。気にしなくて良い。」

彼はそう言って少し笑顔を見せると、座り込んで震えている杏花さんを抱えてリビングを出て行った。


 俺はよろけながら朱莉の寝ているソファに辿り着き、彼女の冷たい手を握る。

そっと近付いてきた香苗も一緒に床に座って、俺の肩を撫でてくれた。

「・・・樫井は杏花を部屋に寝かせたら、たぶん踏切に行くと思う。

あんたは見えるし、頭もいい。一緒に行って手伝ってやってくれない?

お姫様2人と御影達は私が守るよ。・・・大丈夫!あんなクソガキより、よっぽど修羅場くぐって来たから負けないよぉー!名探偵はさっさとクソガキ追い詰めて、

朱莉について知ってること吐かせてきな!」

香苗が俺の背中をポン!と叩くと同時に、戻って来た樫井さんがダイニングの椅子に掛けてあったテーラードジャケットを羽織った。

「俺はちょっと出かけて来るよ。香苗と松宮君あと宜しくねー!」

「俺も行きます。何か見えたら、伝えたいので。」

俺はそう伝えると、携帯と財布をズボンのポケットにしまって立ち上がる。

「・・・そっか。ありがとう。香苗!鍵、ちゃんとかけてね!」

「ハイハイ!分かってますよー!本当、とんだお誕生日会にされちゃったわね!

まっ、イケメン二人がカッコいいから許す!さっさと解決して、今度ちゃーんと

埋め合わせしなさいよねー!」

香苗の良く分からない要求に頭を掻きながら、樫井さんは玄関へ向かった。

俺は静かに眠る朱莉の、顔にかかった長い髪を横に流して整える。

「御影、朱莉が起きたら怖がらない様に説明しといて。・・・いってきます。」

御影が頷くのを見届けて、俺は小走りで先に出て行った刑事の背中を追い、どんよりとした曇り空の下へ飛び出した。


 少年は交差点の名前などは言わなかったが、この付近で踏切がある場所は一つだったので、そこに向かってみる事にする。

両側に沢山の一軒家や小さなアパートが立ち並ぶ細い道は、一方通行ではないものの車2台がやっとすり抜けられる様な狭さだった。

そこを横切る線路は登りと下りの2本だけだが、行きかう人の多さに対して開いている時間が短いので、普段から『開かずの踏切』と呼ばれている場所らしい。

樫井さんはどれだけ走っても疲れないのか、目的地に近づく頃にはだいぶ遅れて追いかけている俺を振り返ると、『大丈夫かぁー?がんばれ文系ー!』と苦笑する。


だという事は、俺にでもすぐに理解できた。

狭い道路の先の方には人だかりができ、パトカーのサイレンが鳴り響いている。

さらに近づくと鼓膜を揺らす電車の緊急ブザーと、係員の『全員後ろに離れて下さい!』という緊迫した声も聞こえてきた。

樫井さんはジャケットの胸ポケットから手帳を取り出し、交通整理をしている交番の警察官らしき人物に声を掛ける。

「お疲れ様です。たまたま近くに居たんだけど、これはどうしたんですか?」

30代の若い警察官は、野次馬と勘違いしたのか怪訝な表情で振り向いたが、警察手帳を確認するとすぐに樫井さんに敬礼した。

「はい!お疲れ様です!飛び込みの様ですが、さっきPCパトカー1台目が来たばかりで現認はこれからの様です。鑑識もまだ来てません。」

「ちょっと中見ていい?」

樫井さんはそう言うと、警察官が『こちらへどうぞ!』と案内する方へ向かう。

俺の顔をチラッと振り向いた彼は、『松宮君、近くにあの少年が居るか見て。』と小さな声で話し、踏切の方へ消えていった。


 現場がブルーシートで囲われて、消防車などが引き上げた辺りから人々の興味は薄れて野次馬の数は減っていった。

規制線の張られた踏切の内側では、まだ沢山の警察官や青い制服の交通鑑識が慌ただしく、何らかの作業を続けている。

あの少年を探す為に周りを見回していると、踏切の傍の電信柱に花束を発見した。

まだ誰が犠牲になったのかも分からないのに、花が供えられている事を不思議に思い、ゆっくりと近くへ向かう。


 目の前の中年の女性が飽きたように立ち去ったその場所には、ランドセルを背負った7歳程の少女がひっそりと佇んでいた。

「ねぇ、さっきの人お母さん?先に行っちゃったよ?君は帰らないの・・・」

少女の傍に近づいて状況を把握してくると、言葉が途中から出てこなくなった。

長袖の黄色のワンピースに厚手のコートはどう見てもこの時期の服装ではなかったし、赤いランドセルは何かが押し潰した様にグシャグシャに曲がっている。

彼女は俺が話しかけた事に気が付くと、血の気のない青白い陶器の様な顔色で悲しげに微笑んだ。

「・・・ずっとここにいたの?大丈夫・・・?怖いもの、見た?」

少女は少し驚いたように俺の顔をじっと見上げると、『うぅ・・・あぁぁーー』と言葉にならない様な声で返事をする。

そのまま俺の腰の辺りに抱き着くと、嗚咽を漏らしながら泣き叫んだ。

「俺の言葉、分からない?」

彼女の目線の高さまで腰を落とすため、俺は地面に片膝をついて語り掛ける。

少女は涙をこぼしながら首を横に振った。

「事故に遭った時に話せなくなってしまったの?」

『うぁぁー・・・』また首を横に振る。

「前から具合が悪くて、言葉が出てこない感じだったのかな?」

コクコク!と彼女が首を縦に振って頷いたのと同時に、樫井さんが踏切をくぐって帰って来た。


「松宮君・・・誰か居たの?」

「はい・・・。小さな目撃者が居たんですが・・・。言葉が話せないそうです。」

樫井さんは一瞬驚いたが、落胆したように溜息を吐いた。

「そうか・・・こっちも事故で処理されるそうだ。細かく証拠探したけど、まさか

生霊の少年から犯行予告がありました!なんて言える訳もなくてな・・・。」

『あ・・・』生霊の少年という樫井さんの言葉に、少女が微かに反応を示した。

「中学生くらいの男の子、知ってるの!?」

『うう・・ぁん。』少女は声を出しながらしばらく考えた後で、左手をパーの形に開くと、右の人差し指で左手の中指をツンツンと突いて大きく頷いた。

「・・・中指?その指が何か関係あるの?」

俺は意図が分からず、少女と同じポーズを樫井さんに見せて『少年を知ってるって小さい子が、ずっとこうしてるんですけど・・・何でしょう?』と質問する。

「・・・松宮君、それは・・・お兄さん指って言うんだ。」

『・・・・。』

樫井さんは呆然と立ち尽くす俺の肩に手を置いて、『あー!俺はちょっと署に行かなくちゃいけないからさ、松宮君は杏花さんの家に帰りなね!』と言って無理に笑顔を作った。

「朱莉が起きたら、今日はバイトに一緒に連れて行きます。

杏花さんは御影達が居るから大丈夫だと思いますけど・・・。」

「・・・俺も連れて帰れたら少しは安心できたかもな。」


 こんなに言葉少なに語る樫井さんは珍しかった。

責任が重いという事は、自分の感情だけで動くことも難しくなるらしい。

不安を押し殺しているのだろうか?いつもの明るさがない諦めた様な表情だ。

見ている俺まで心が痛くなる顔で苦笑いして、樫井さんは誰かにメールを打つ。

思わず彼から目を逸らした俺は、濁った川のような色の空を見上げる。

今にも落ちてきそうな曇天は、生きる辛さを抱える全ての人の想いを抱え込んだかの様に、何処までも重苦しく広がって行くのみだった。

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