番外編 昼下がりの開戦 (前編)

 都道423号経堂線を西に走った後、狭い公園の前でシルバーの乗用車は停車した。

次々に入る緊急配備の無線を傍受した為、次の行動を決める話し合いが必要だと運転手は判断し、覆面パトカーに備え付けられた無線を掴む。

「はい、こちら北沢刑事課23・・・宮坂二丁目で待機中どうぞ。」

『こちら第三方面警ら隊・・・先程、渋谷伊藤ビルのガサ前に逃走車発生の連絡あり。現在、三軒茶屋方面へ走行中。色は白、ワンボックス、男3人乗車中。どうぞ』

『こちら世田谷地域課5、目視、追尾します。』

恐れていた事が起きてしまったが、本庁が念入りに逃走ルートを潰していた様で、

神野が捕まるのも時間の問題だ。樫井は無線を戻し安堵の溜息をもらす。


「あいつ・・・この期に及んで逃げるのか。」

「どうしたの?非番デカ。神野と接点なんかあったっけ?」

「・・・すみません梅沢警部補、その非番デカってやめてもらえませんか?

神野はデート商法とDVで女に薬バラまいて稼いでたんです。

前にウチの管轄内でパクった子、死のうとして入院中なんですよね・・・。」

助手席に座る警視庁組犯5課の警部補、梅沢は舌打ちして窓の外を見る。

「ヤクザと繋がった時点でマークはしてたんだが、やり方がクソ過ぎてヤクザにまでソッポ向かれたような奴でな。死にたがってる女は他にもわんさかだ・・・

お前が責任感じる必要はねぇよ・・・樫井。ここまで時間掛かって悪化したのはコッチの上の奴らのトロさのせいだからよー。」

梅沢は酷い悪態をつきながらも、サングラスをずらして樫井と目を合わせながらそう話した。

45歳だが柔道で鍛えた腕は見るからに太く、日焼けした肌に金の腕時計が良く似合う。派手な赤いシャツに淡いベージュのスーツという見た目は、完全にヤクザの側の人相なのだが、どんな時も人の目を見て話す所は彼の人柄の良さを感じさせた。


「いえ・・・本庁と麻取が追い詰めてくれなかったら、俺らなんてあの子たちに何もしてあげられませんでしたから。」

樫井は警察組織に入りたての新米でも無いため、自分が全ての事件に関われるとはもちろん思っていない。

しかし、香苗をボロボロにした神野がガサも受け入れず逃げたのに、逃走先の部署が違うせいで何もできずに待機している自分にイライラしないで居られるほど、

ゆるい感性を持ち合わせている訳でもなかった。

そんな樫井の悔しさを察したのか、ベテラン警部補は少しおどける様に話を続ける。

「梅ヶ丘によ、アイツが大学生に薬撒かせてた時のアジトの廃工場があるのよ。

ちょっくらパトってみますか?残党を引っ張れたら落とせる証拠が増えるしな。

もしかしたら今日の俺の相勤はさー・・・世田谷管轄イケメンランキング1位だし、

出番じゃ無い時にこそ、大事件を解決しちゃうって有名な非番デカだし・・・幹部の一人や二人転がってたりしてなー!」

「・・・全然有名じゃないですよ!そんなこと言ってるの梅沢さんだけっす。」

樫井は少し困った表情を梅沢に向けながら、無線を手に取った。

「こちら北沢23、これより梅ヶ丘方面をまわります。」


――― 4月28日 水曜日 一掃作戦開始から4時間後の正午すぎ


 梅ヶ丘南口を左に進んだ先にあるペットショップから、葬式帰りの様な黒いフォーマルドレスの女が買い物を終えて出てくる。緩い巻き髪のハーフ顔の美女は、春の陽気だった街並みを冷たい空間に変える何かに気付き、ハッとして頭上の看板を見上げた。


「今日は気付いたんだ。前より敏感になったじゃなーい?

杏花ちゃーん・・・やっぱり男出来ると感じ方が違うのかなぁー?」

「香苗さん・・・お久しぶりです。

月末は樫井さんの所に居るんじゃなかったんですか?」

生霊の香苗は赤いコートと長い黒髪を風になびかせ、ペットショップの名前が書いてあるアーチ状の入口から、フワリと杏花の前に飛び降りた。

杏花は、同じ生霊でもある朱莉と友好的に接する時のようにその場で会話を続けたりせず、エサの入った買い物袋を胸の前に抱え直して、駅に向かって歩き始める。


「あんたキャラ変わった?何か前より言い方にトゲを感じるんですけどー。

欲しいものが手に入らないで怒ってる子供みたいよぉ?

猫の餌なんてどこにでもあるのに、こんな所まで買いに来てるなんてさぁー・・・

今日の作戦の事聞かされてるのかと思ってたけど・・・違うのねー?」

「コンビニのご飯ばかりでは御影ちゃん飽きちゃいますからね。

あの店は凄い種類が置いてありましたー!また来よーっと!

・・・作戦の事は部外者には話せないみたいですからね。なーんにも聞いてませんけど。この辺だったんですかー?」

出来るだけ平常心を保とうと必死な杏花を、香苗はしばらく面白そうに観察していたが、おもむろに髪を弄りながら話し始める。


「この前、久しぶりに樫井の家いったらさー、今日の日付と渋谷の伊藤ビルに8時って書いてあるメモが机にあった。私に関する資料の3倍くらいの量のファイルもあったな。被害者の名前は確か・・・西嶋杏花。あんたの事だよね?」

「もうお昼じゃないですかー。何で渋谷行かなかったんですか?犯人捕まっちゃいますよ。最高の瞬間見ないなんて、信じられないですねー!」

杏花は自分の話に全く触れずに、煩わしいキャッチを見るような目で香苗を見た。


「うーん。一度でも本気で好きだった男がさ、地べた這いずり回って逃げる所見るのはさすがにキツイっていうか・・・もし、少しでも神野に同情しちゃう自分がいたら樫井に申し訳ないとも思ったり・・・。」

いつもの意地の悪い態度ではなく、20歳らしい香苗の純真な口調に杏花は一瞬たじろいだが、空のひつじ雲を数える様に遠くを見ながら口を開く。

「なんかすみませんね・・・情操教育をあまり受けれなかったもので、たまに人を傷付けちゃうみたいなんです。香苗さんなりの事情も考えず話しちゃいました。」

「そーやって、謝る振りして同情を集める話し方すんのやめなー。

自分で道を踏み外した私なんかより、全て奪われたのに明るく振舞って生きてる人間が何倍も辛いのは明白だって。何言われてもコッチがバカ見るだけだわ。」

杏花は爪を噛みながら香苗の話を黙って聞いていたが、ふいにハンドバックから飴の小袋を出して、一粒口に放り込んだ。


「樫井ねー・・・部署も違うし事件当時の担当でもないのにさー、あんたの資料まとめて上に出すつもりみたいだよ。絶対怒られるわーあれはーハハッ!

 1、犯人は人形マニアで遺体を正装させて飾る異常者。杏花はもう一度犯人の目に留まる為、わざとドレスを毎日着ている。警備を増やすべきだ。

 2、現実から逃れるためにゲームに没頭している。適正なカウンセリングを再開すべきだ。

 3、料理が得意なので日勤の飲食店に就職が可能。夜間の外出が減れば安全性が高まる。生活安全課からの指導を要請したい。

・・・あいつさ、捜査本部でも上がってなかった事実にたった数週間で辿り着いてんのね。そんだけ杏花が気になるって事じゃん。」


香苗も本来は頭の回転が良い方なのか、丸暗記した資料をペラペラと語った。

「あー。もぉー・・・何なんですかね?彼のお節介は。しょっちゅう家に来るのも結局は身辺警護だったわけですよね。嫁に貰うつもりでも無いくせに、勝手に人の職業変更まで考えちゃってるとか。」

杏花は飴をガリガリと噛み砕きながら吐き捨てる様に呟く。

深紅のピンヒールが地面を蹴るリズムが、不規則に早まって進む。

「・・・そんなに警備以外の理由で来て欲しいなら、素直に好きだって言えばぁ?

一生私を守って。って言えばイチコロじゃね?ほんと高齢処女めんどくさーい。」

「25歳は高齢じゃないですー!慎ましいんですー!あと、樫井さんはそんなに簡単には行きませんよ・・・。」

杏花はついに周りの目は気にしなくなったのか、立ち止まって空中を睨み、片手を振り回して反論している。


「簡単じゃないのって、妹の件でしょ?そういう心の傷を分かち合えるのは・・・

あんただけなんじゃないの?」

「・・・チャレンジ済ですけど。スルッとかわされましたけど。

香苗さんこそ・・・そんなに自信あるならさっさと本体に戻って見える様になって、樫井さんにアタックすればいいじゃないですかー。」

「あんた私よりぜーんぜん腹黒よねー・・・。自分から咬ませ犬になる奴いる?

・・・でもそれも面白いかもね。あっちの王子様の煮え切らなさもイライラするしー。そろそろ・・・おねぇさんが、みーんなに色々教えてあげなきゃダメね♪」


 葬式帰りのようなドレスの女が独り言を放ちながら手を振り回す様子は、かなり異様なモノだったが、今時珍しくも無くなったのだろうか・・・人の波は上手い具合に避けながら通り過ぎていく。

二人が駅前のロータリーに来た頃には、昼食時のざわめきが一層増していた。

しかし普通の楽し気な話声だけではない、悲鳴のような叫び声も混ざり始める。

振り向くと1台の清掃車がふらつきながらバス専用通路を逆走して来るのが見えた。

それは一瞬のうちに近づいてきて、立ち止まった杏花の目の前に迫る。

鼓膜を裂くようなクラクションが辺りの空気を凍り付かせ、死の恐怖のトラウマは彼女の脚の筋肉をマネキンの様に固めていった。

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