番外編 ついてこい (中編)
北沢警察署付近は大きな羽根木公園がある事もあり、自然豊かな町並みが続く。
公園のはずれにあった小さなスクラップ工場の跡地は、不景気になって廃業してから数年、なかなか買い手がつかず放置されている。
一応、入口は閉鎖してあるものの、隠れて悪さをしたい年頃の子供達が格好の遊び場として入り浸っていた。
――― 4月28日 水曜日 一掃作戦開始から3時間後の午前11時
「ほーんと毎日毎日勘弁して欲しいわよー!花火やら爆竹ならいい方なんだから!
この前なんて、大きなトラックの荷台でパーティー始めたんだから!
こんな警察署の近くなのに、パトロール間に合ってないんじゃないのー?
しっかりしてよねーもぉ!そう思うでしょー?刑事さん!」
工場の斜向かいの一軒家に住む老女は、我慢ならないといった態度で話し続ける。
「はぁ・・・それは大変ですね。・・・ハイ。問題のある場所が沢山あって回りきれてないのかも知れません。申し訳無いです・・・。
はい。生活安全課に連絡して巡回を増やさせますね。」
本題の答えをまだ聞けていない樫井は、相手の機嫌を損ねない様に会話に応じる。
工場前に停車中の覆面パトカーの車内では、本庁の梅沢警部補がその様子を面倒臭そうに眺めていたが、やがて痺れを切らした様に車を降りると、樫井達の方へ歩き出した。
「ハイハイどうもすみませんね!私、警視庁の梅沢です。ヤンキーの車以外で、
何か不審な車とか人の出入りって最近ありました?」
地元の警察署の人間ではない、
「そういえばねー、ボロボロの清掃車が最近何回か停めてあったわ!ゴミの日でもないのにおかしいよねー!って話してたの!」
「ボロボロ?区の清掃車とは違う感じですか?ナンバーとか覚えてませんかね?」
樫井がメモの用意をしながら尋ねたが、老女は割烹着の裾をポンポン叩きながら『さぁー?ゴミ出す用もないから注意して見なかったわぁー。』とにべもなく言い放つと、あからさまに忙しいから帰りたいといった態度を取り始めた。
梅沢が『あ、もう結構です。お手数かけました。』と頭を下げたのを見て、慌てて樫井も頭を下げる。
老女が自分達の話を周りに聞かれていないか、キョロキョロ辺りを確認しながら家に戻るのを見届けてから、梅沢はポケットから携帯を取り出した。
『佐々木ちゃん、世田谷署が三茶で止めたワンボックスに神野乗ってないって言ってたけど、ビルには予定通りガサ行ったよね?まだパクったって無線入らなかったんだけど、今どんな状況?・・・やっぱりなー。分析にさ、今日近くに清掃車出入りしてないか確認取ってくれる?あぁ?知らねーよ周りのビルのカメラだって!』
樫井は梅沢が話し終わるのを待たずに、自らも北沢署に電話をかけ始めていた。
『樫井です!お疲れ様です。今野係長。現在梅ヶ丘で待機中なんですけど、今日のガサのマル被の逃走車情報が追加でありました。・・・はい。廃工場に前集めてた大学生に用意させてたらしいです。古い清掃車でナンバーは不明。・・・はい。
では引き続き本部の梅沢警部補に同行します。』
梅沢は話し終わった樫井の目を見ると、停車中の車へと戻り始める。
二人が座席に腰を下ろしたのを見計らう様に、緊急無線が車内に鳴り響いた。
梅ヶ丘駅前のロータリーは昼食時の会社員や、ベビーカーを押す若い母親のグループなどで混雑していた。
駅の様子が見渡せる位置で樫井は車を停めて、辺りを見回し続ける。
「朝早くビル横に清掃車が5分位居たらしいけど、今日資源ゴミの日で誰も違和感に気付かなかったつう本部のポンコツぶりだ・・・。今順番に足取り追ってるらしいがなー遠くに飛んでたらもう見つからねーかもなぁ。」
梅沢はサングラスをダッシュボードに投げ込み、イライラした様子で唸っていた。
「いや、ウチの署もこんな目の前で不審車両見逃してたんで。・・・神野、組犯に目を付けられて大人しくなってたと思ってましたが、未だに信者みたいな取り巻きが大勢いたんですね・・・。コッチ方面に向かった映像、本人乗ってれば良いんですけどね。」
何度も署内の担当者に電話で防犯カメラの追跡状況を確認しながら、樫井はハンドルの上で腕を組む。
重苦しい車内に突然、機捜が状況を説明する無線が矢継ぎ早に入ってきた。
『こちら環七318、宮前橋左折する当該車両発見した。梅ヶ丘駅北口方面へ走行中。現地待機者に応援を要請する。』
樫井がナビで位置を確認し、サイドブレーキを解除する間に梅沢は無線を取る。
『北沢23北口にて待機中。清掃車を発見次第、追尾可能です。』
ロータリーに入るにしても、経堂方面へ抜けるにしても、自分たちの停車している位置の真向かいから清掃車は来ることになる。
樫井はUターンも右折も出来る様にハンドルを握り、対向車に目を凝らしていた。
しかし、緊急走行が危険そうな駅前のスーパー付近の人の多さが気になり、一瞬だけ賑わう歩道に視線を移す。
――否応なしに視界に入る、見慣れたフォーマルドレスの女。
大きな買い物袋を胸に抱えたまま、空中を睨んで何やら会話している様に見える。
樫井が口を開きかけた瞬間、クラクション盛大に鳴らして一台の清掃車がロータリーに突っ込んできた。
梅沢が無線の相手に危険を知らせる怒鳴り声が車内に響く。
半分歩道に乗り上げながらバスを避けて進む清掃車に、逃げ惑う人々。
樫井が息を呑む間もなく、大きな車体は杏花の目前に迫る。
すると突然、重力を全く無視するような体勢のまま、背面飛びをするかの様に杏花の身体は清掃車の横に吹き飛んだ。
完全に人を轢いたと思ったであろう、清掃車の運転席側に座っている大学生の様な若い男は、急ブレーキを踏んだ姿勢のまま固まっている。
樫井は梅沢に何の相談もせず、サイドブレーキをかけて車を飛び出していた。
背中を強く打った為、呼吸が不規則になった杏花は自分に覆いかぶさる香苗と、
すぐ隣で停止した清掃車を交互に見比べても状況が掴めないままだった。
やがて上半身を起こして、路上に散乱した猫缶と、その一つを容赦なく圧し潰している大きなタイヤを見ると、吐きそうな程に青ざめた表情を浮かべる。
「大丈夫、潰れたのは餌だよ。あんたの頭じゃないの。」
香苗は自分の右肩を押さえながら、杏花の顔を覗き込む。
「あ、ありがとうございます。香苗さん、右腕・・・どうしたんですか?」
杏花は、香苗のいる方へ震える手を差し伸べて呟いた。
「あー・・・ちょっと車に持ってかれた気がしただけ。
このくらいの痛みで人が死なないって知ってなかったらヤバかったかもね!
・・・数々の修羅場を与えてくれた神様に感謝だわー!アハハ!」
痛みに引き攣る顔の香苗が明るく話す言葉を聞き終わる前に、杏花は地面に手をついて嘔吐していた。
「ちょっとー!ビビって吐くとかどんだけよ・・・ほら!野次馬が見に来る前に立ちなさいよー!オタクでも一応若い女の子なんだからーゲロまみれで写真撮られんのとかヤバすぎー。」
香苗は左手を杏花に差し出そうとしたが、走って来た大きなスーツ姿の男が横から割って入るなり杏花の背中と膝を抱えて運び去り、数メートル後方のスーパーの壁際にそっと寄り掛からせた。
見慣れた刑事の姿を確認した香苗は、咄嗟に清掃車を振り返る。
助手席からは高そうな服を着た30代のホスト風の男が出てくる所だった。
神野は無謀な運転をさせた仲間をあっさり見捨てると、スーパーの隣の遊歩道方面へ小走りで去っていく。
40代のヤクザ風の男が携帯を片手に事故現場へ走って来ると、『樫井!何してる!救護は制服に任せて追うぞ!』と怒鳴り散らして遊歩道へと向かった。
樫井は杏花の擦切れたドレスの裾を見て、拳を握りしめている。
「樫井さん・・・怒らないで。怒ると危ないです。」
杏花が涙を滲ませて樫井の顔を見上げた。
樫井は杏花の顔は見ずに遊歩道を見据える。
「香苗!ありがとう。・・・ついてこい!あいつを終わらせるぞ!」
言い終わるより早く、樫井は走り出した。
背中に何かを感じたらしく振り向こうとしたが、前を向き直して走り去っていく。
杏花は駆け寄ってきた交番の女性警察官に毛布を巻かれ、事情を聴かれている間もずっと、4人が去っていった遊歩道を見つめていた。
何台ものパトカーに埋め尽くされた駅前は騒然としていた。
清掃車の運転席から動かない若い共犯者が機動捜査隊員に引きずり降ろされて、
緊急逮捕されている様子を、野次馬は次々と携帯で撮影している。
喪服の様な黒いドレスの裾を握りしめた杏花は、座り込んだまま動けない。
真上の太陽が厚い雲に隠れていくのをじっと見上げていたが、到着した救急隊員に促されるまま担架に乗せられた。
祈る様に胸の上で両手を合わせて指を組む。
次第に顔色が青白くなっていき、ゆっくりと瞼が落ちていく。
救急車に同乗した女性警察官は、緊張した面持ちで必死に声を掛け続けていた。
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