第5章 対話
家庭教師
男女が同じ毛布に
その状況にあって、
隣でスヤスヤと寝息を立てる美少女の、艶のある黒髪にそっと触れる。
俺はカーテンから差し込む朝日を目を擦りながら見て、昨夜の事を思い返す。
(こいつ・・・布団に入って5分で寝やがった。)
――― 3月30日 火曜日 どこまでも青空が広がる朝
遠いところでアラームが鳴っていた気がして、携帯を確認する。
7時45分・・・いつも家を出ている時間だ。
「・・・うっわぁー!・・・・寝坊した。」
慌てて飛び起き、バタバタと身支度をしながらベッドの中身に声をかける。
「
「ふにゃー・・・
俺を寝不足にした張本人の生霊は、まだ眠そうに両手で顔を押さえている。
(そんなに眠くて仕方なくなることをした覚えはありませんけど!)
完全に寝ぼけていて、家主に「行ってらっしゃい」とも言わない居候を尻目に、
俺は
会社のデスクに着いたのは始業5分前だった。
バタバタとメモ帳を用意してパソコンの電源を入れる。
時間になるとすぐに電話が鳴り響く。こんな日に限って忙しくなりそうだった。
昼休み、会社の
「うわー!いい匂いだね!松宮君はカレーパン派かぁー。
俺はあんぱん好きなんだよねー♪あの薄皮な感じが・・・最高・・・
いかん!考えただけで血糖値が上がりそうだ。嫁に禁止されてるんだった!」
振り向くと、営業の小山さんがじっとりと羨む目でパンを見ながら、勢いよく喋り続けている。
「小山さん。こんにちは!・・・少し、食べますか?」
俺は物欲しそうな視線に耐え切れず、ミニクロワッサンを1つ差し出す。
「本当にーー!?いやいやー悪いね松宮君。優しくていい子だー!
野菜弁当を毎日食わせる俺の嫁に見習って欲しいよ・・・。」
小山さんはベルトに数センチ乗った腹の肉は見なかったことにして、
クロワッサンを一口で頬張った。
「健康に気を使ってくれる家族が居て羨ましいですよー!」
返事に困ったときはお世辞を言うべし。と、以前読んだ(人付き合いの基本)にも書いてあったので、俺はぎこちなく笑顔を送った。
「もごっ・・・。旨かった!ありがとう!
話変わるけどさ、松宮君って高校凄い進学校だったよね?」
「凄いかどうか分かりませんが、
真意を測りかね、ぼーっと受け答えをする俺に、小山さんはグイっと近寄る。
「凄いなー!M高!!いやねー、家の娘が今年中三になるんだけどねー。
適当に公立の偏差値の低いとこで良い!とか言って聞かんのよ・・・。
今日、松宮君が時間あればなんだけど、M高出身者として、勉強についての心構えとか教えてやってくれない?あいつ、春休みの宿題も全然終わってないのに、
俺が口出すと、おとーさんにはどうせ分からないでしょ!だってよぉ・・・。
だったら凄い家庭教師付けてやるからなー!って思ってね・・・。
ちゃんとバイト代は出すからさ!」
小山さんは拝む仕草で頭を下げる。
(・・・こんな時の上手い断り方が思いつかない。)
「あっ・・・えっと、分かりました。結局進学してないのに偉そうな事は教えられないですけど・・・。」
「本当にーー!?ありがとう松宮君!19時に山下駅前に来てくれる?君の家も近くだったよね?俺が歩いて迎えに行くからさー!家は5分くらいの所なんだ!」
「・・・。分かりました。」
結局、勢いに押されて了承してしまった。
夕暮れの帰り道、どこからか桜の花びらがふわりと飛んできた。
もうすぐ見頃を迎えるのだろう。花弁は一枚でも綺麗な景色を想像させた。
急ぎ足で帰る用がなければ、公園にでも見に行きたいところだ。
(学生・・・受験・・・進学校か・・・。)
胸の奥がチクッと傷む。早く家の扉を開けたい・・・そう思ったのは何年ぶりだったのだろうか。
「おかえりー!朝はなんか寝ぼけてたかも?!ごめんなさいー!」
扉を開けるとすぐに朱莉が駆け寄って来た。白いワンピースに花びらが付いている所を見ると、昼間は
「ははっ!ちょっと・・・朱莉、花付いてるよ?」
周りには
でも、俺にだけはこんな風に可愛らしい服の装飾に見える。
俺はそれがなんだか可笑しくて、今日一日で初めて本気で笑った。
「うわー!本当だぁー!・・・よし、取れた。
あのねー誠士くんー!私さっきまでミカゲちゃんの神社行ってたの!
空から花見したのは初めてで楽しかったぁ♪」
朱莉は空中花見を、身振り手振りで伝えようとして来た。
「うん、うん・・・分かった。へー・・・それはすごいね。あのさ、朱莉・・・
俺ね、今からまた少しバイトあるから、夕飯は冷凍食品たべてくれる?」
話が長引きそうだったので、俺はそう言って遮り、筆記用具を探し始める。
「バイト?・・・これからコンビニ?」
「違うよ。会社の小山さんから、娘さんの家庭教師頼まれたんだ。
来年高校受験らしくて、進学校の話が聞きたいって。」
俺は手短に説明して、玄関を出ようとした。
「誠士くんが中学生に、家庭教師・・・?」
朱莉がモゴモゴ喋るのが聞こえ、俺は振り返る。なぜか目を丸くして驚いていた。
そして、何やら指を
「行く!」
「え・・・?」
「私も一緒に付いてく!」
もう一度大きな声で主張した朱莉は満面の笑みを見せた。
「・・・なんで?」
「うーん?・・・勉強したいから?」
朱莉は首を傾げてそう答える。
(・・・逆に俺に質問されても。)
「自転車で行くんだけど・・・。確か、歩く位のスピードでしか飛べないよね?」
俺の質問に、朱莉は拳を握りしめて自信たっぷりに答える。
「大丈夫!香苗さんみたいに、背中に憑りつくから!」
「・・・いや、その例え怖いからね・・・。」
自転車のハンドルを握ると背中にフワリと朱莉が舞い降りた。
物理の法則、力学をまったく無視した格好だが、俺以外に見える人はいないのだから気にはならない。
羽のように軽い身体で、落ちる心配もない。そんなに強く掴まる必要もないのに、
なぜか肩にしっかりと腕を回している。
坂道をゆっくり下る途中で桜の花びらが頬に張りついた。
俺はブレーキを握りしめているので取れそうにない。
そっと朱莉が頬に触れる。『取れたよー!』と背中で笑う声が風に流されていく。
舞い落ちる花の下から見上げる星空が、こんなに綺麗だとは知らなかった。
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