ココア

 3月の終わりは桜も咲き始めて暖かくなる頃だが、

夜も更けると長袖でなければ風邪をひきそうな程、寒く感じる。

更に俺たちの心を凍り付かせたのは、彼女の絶望の記憶とその証だった。


「・・・・・・。うぉっ!?もーこんな時間か!女子高生は寝る時間だし、

杏花さんも家まで送るから帰る準備してー!」

唐突に話し出した樫井さんは、明るい笑顔を見せながら、さっと緑のローブを拾って杏花の肩に掛けた。

「松宮君、悪いけど・・・俺はこの大荷物のレディを送って帰るんで、

終電間に合いそうだし、電車で帰ってもらって良い?連れて来といて何だけど。

これからどーすっかは、また今度ゆっくり話そうぜ!金曜日とかがいーかもな。」

樫井さんは杏花の折り畳んだ椅子など、荷物を半分以上持ってそう言った。


「分かりました・・・。杏花さん、ありがとうございました。

また相談させて下さい。」

冬眠してるかの様に動かない頭を必死に回転させ、そこまでなんとか話し終わると、俺は朱莉あかりのいる後ろを振り返った。

一瞬、心臓のリズムが狂い、止まりそうになる。

朱莉は冷たい路地裏の地面に倒れるように座り込み、両手でかろうじて上半身を支えていた。御影みかげが声をかけ続けていなければ今にも失神してしまいそうな程だ。


「朱莉!大丈夫!?」

抱きかかえるようにして立ち上がらせる。朱莉は慌てる俺を見ると、『貧血持ちなのかなー私の本体はー?うん・・・大丈夫だよー!』と言って無理に笑顔を作る。


「杏花さんー!・・・生霊の事、色々分かって本当に良かったです。

私・・・私も、杏花さんみたいに強くなりたい!頑張って生き返りたい!

また・・・絶対会いましょう!良かったらお友達になって下さいね!」 

朱莉は向日葵の様な笑顔で樫井さんと歩いていく杏花に手を振る。


「朱莉ちゃん・・・ありがとう。・・・こちらこそ宜しくですー!」

杏花も楽しそうな笑顔をみせる。


 彼女たちが笑顔で手を振れる意味が俺には分からなかった。

かなりオブラートに包み簡素化させて杏花は話していたと思う。

それでも俺が周りも見れないほど思考停止し、朱莉が気を失いかけるには充分過ぎる壮絶な過去だった。

・・・なんで平気な顔をしてられる?

あんなに大切だから守りたい!とか言っておいて、その相手がすぐ傍で倒れた事にすら、気付いてあげられなかった。

どれだけ俺が生まれ変わっても、彼女達の様に強くはなれそうもない。

樫井さんの様に優しい男にも到底なれそうもない。



 俺と朱莉、御影は無言で駅までの道を歩き出す。

静かすぎる夜更けの街並みが心に影を落としていく。

(・・・誰かを助けるなんて俺には無理だ・・・。)


(やっと気づいたか・・・大バカ者のクソガキめ・・・。)

御影がテレパシーで追い打ちをかけてきたようだ。もう反応する気力も無かった。


(誰が助けろと頼んだ?お前は気負い過ぎだ。

・・・人というのはな、ただ傍に誰かが居て、一緒に悩みを分かち合い、辛いときは肩を貸してもらえるだけで・・・それで充分なのだ。

心の問題を抱える度、常に誰かに解決して欲しいだなんて、思わないだろう?

あいつらはそんなに図々しい人間なのか?)


(・・・。)


(樫井と自分を比べるな。樫井だって・・・あの場で全員の心に寄り添うことが出来ないから、今夜は杏花の隣に居てやろうと思ったのだ。)


(・・・。その判断が出来るか否かは、凄い違いだろ。)


(ただ寄り添うのだ誠士。朱莉にはお前が必要だ・・・。)


「私は、電車は好かん。今夜はゆっくり歩いて帰るよ。

・・・朱莉!また明日遊びに来ておくれ。」

御影はそれだけ言い放つと、夜の闇にスーッと消えてしまった。


 家の近所のコンビニでは牛乳とココアの粉を買った。

朱莉は『夜中の甘いものー!天国!!』などと騒いで喜んでくれている様だ。

少し冷えた部屋に入ると、すぐに牛乳を鍋に入れて火にかける。

朱莉は毛布を肩にかけてくるまるようにフローリングへ座り込んでいた。


「出来たよー。熱くしすぎたかも・・・。」

マグカップ2つをテーブルに置き、俺はえて朱莉のすぐ隣に座る。

肘が触れるほどの距離なので驚かれると思ったが、こちらを見て少し微笑むと

『ありがとー!』と言ってココアに息を吹きかけ始める。


「俺の両親は二人とも、なんていうか・・・高学歴だった。仕事も頭使うようなことしてて、忙しかったから・・・家族の楽しみとか、ほとんどなかった。

俺にも同じレベルの知能とか生活態度を求めて来てたけど、いつも息苦しいと思いながら、必死に気に入られようとしていた気がする。」

ココアをひと口飲む。熱さはあるが、甘い匂いが広がって気分が安らぐ気がした。


「勉強が夜中までかかった時は、母親がいつも決まって温かいココアを部屋に持ってきた。特に会話をする訳じゃないんだけど、なぜか嬉しかったんだと思う。

中学の時はココア目当てで遅くまで勉強してたかもしれない・・・。」

俺は、『だからこれ飲んで、落ち着いてね』とでも言いたかったのだろうか?

自分でもなんでこんな話をしているのか分からなくなりながら、隣の朱莉をみた。


「・・・いいなぁ。思い出があるって、暖かいな・・・。」

朱莉は静かに泣いていた。

さっきまで吹っ切れたような笑顔で杏花に接していたので、俺は頭の中がパニックになって言葉が出ない。


「杏花さん、絶対に人に言いたくない辛い思い出だったはずなの。

・・・でも、思い出すらなくした私が、早く元の身体に戻れる方法を知るために、

樫井さんが・・・香苗さんを戻せる方法を考えられるように、心をぐちゃぐちゃにしながら・・・全部話してくれたんだよ。

消してしまいたい様な記憶を見せてくれたんだよ・・・。

そこまでしてもらったのに、私はただ怖くて・・・息が上手くできなかったの。」

頬を伝う涙が、真っ白いワンピースに滴る。

俺はココアを置くと、朱莉を強く抱きしめた。

何も言葉は思いつかない。ただただ必死に彼女の髪を撫で、肩を抱き寄せる。


「・・・強く、もっと強くなりたい。誠士くんと一緒じゃないと頑張りきれそうにないよ・・・。これからも・・・隣に居ても良いかな?」


「・・・今日は、寒いから・・・一緒に寝てくれないか?」

何か話そうと開いた唇はそんな事を勝手に口走っていた。

朱莉の顔は見れなかった。自分が今、何を言ってるのかも良く分からない。

それなのに朱莉は、『私もそれお願いしようと思ってたー!』と言って笑った。


 俺が呆然と台所で歯磨きをしている間も、ユニットバスからは『なんかココアの後の歯磨きってチョコミントだよねー?』などと明るい声が響いていた。

いつもは部屋の端っこに敷かれる来客用布団セットは畳んだままだ。

俺が部屋着に着替えてる間にベッドの壁際は占領されていた。


 ココアの香りが微かに残る部屋は、外の街灯のせいなのか電気を全て消しても、

うっすら明りが差し込んでいる。

俺は青いカーテンを隙間なく締めようと、窓の前でしばらく格闘していた。


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