生還者(リターナー)

 馴染みのない言葉に出会うと、人は無意識に記憶の糸を辿ろうとするらしい。

もしかしたら聞いた事あるのかな?思い出したら、理解できるのかも知れないと。

そういった知識欲があるから、人は人であり獣とは違うのだろうか。

杏花きょうかが自分が生還者リターナーだと話してから数分、俺たちは誰も本人に質問せず、頭の中で考えを巡らせていた様だった。


「もしもーし!なんで皆さんで黙っちゃうんですかー。

私なんかまずい事でも言いましたかー・・・?」

杏花は何か変なこと言ったかしら?と首をかしげてこちらを見渡している。


生還者リターナーって何なのー?」

ふわっと簡易テーブルの前に移動して、朱莉が素直に質問した。

杏花はすぐ答えようとしたが、『朱莉ちゃんちょっと待ってね』と言うと、

樫井さんを見て話し始める。

「樫井さんは、なんで自分に生霊が憑いたか分かりますー?」


「わかんねーなぁ・・・。彼女居た事ねぇーから変な振り方するわけないし。」


「・・・いや、恋愛とかじゃなくて・・・。生霊の憑りつく相手は男女のペアと決まってるわけじゃないんですよ?生霊って、強い思い・・・激情とでも表現しましょうか?・・・それが人間の身体から抜け出て生まれるんです。」


「激情?・・・怒りって事か・・・?俺は誰かとトラブったことなんて・・・?

えーー!?まさか・・・逮捕した誰か・・・?」


「名前は香苗さん。赤いコートで長い黒髪です。去年の冬頃に自殺未遂で倒れ、

幽体離脱したそうです。」

このままだと鈍感な樫井さんが真相に辿り着くのは、朝になってしまいそうだ。

慌てて俺は二人の会話に割って入った。


「・・・。そっか。あいつ・・・執行猶予になったのに入院したって聞いたから、

てっきり更生施設ダルクに行ったのかと・・・。

怒るのも当然だ。逮捕するだけで見舞いにも行かなかった。」

樫井さんはいつもの元気をすっかり失い、ポケットに手を突っ込んだまま下を向いている。

「・・・生霊が離れた元の身体はどうなってるんだ?」

後悔を乗り越えるように顔を上げ、樫井さんは真っ直ぐ杏花を見つめて尋ねた。


「いい状態とは言えないかも・・・。(身体が抜け殻の様になる)って、心ここにあらずって感じの比喩とかただの物の例えだと思いますよね!?

でもこれは、(幽体離脱をした人の姿を描写した言葉)だという説があります。」


「本来、タダの抜け殻に命はありません。香苗さんは薬物中毒の患者だから、身の回りの世話をしてもらって生きていられるでしょうが、生きている実感や気力などがない人は、だんだん衰弱して体調を崩します。」

『病は気から・・・ってやつですね!』杏花は仰々ぎょうぎょうしく人差し指を立てて話す。


 彼女は占い師だ。これまでもセンスや直感などを磨き上げてきたのだろう。

一般的な人への気遣いを求めるのは、お門違いなのかもしれない・・・。

しかし、ここに居ない香苗の心配よりも、朱莉の心境をもっと考えて話して欲しかった。

「朱莉・・・朱莉は香苗みたいに怒りに支配されてない。犯罪を犯して隔離されてるとは、俺は思わない。高校生なら、世話をする家族もきっといる。

きっと身体さえ見つかればすんなり戻れるよ。」

気が付くと俺は、朱莉の背中に手を添えてそう呟いていた。

急に振り返った朱莉は俺の胸に飛び込んできた。泣いてはいない。

強く俺のパーカーを握りしめ、一言『ありがとう』とささやいた。


「ごっ・・・ごめんなさい!私、あんまり人と関われないで生きて来ちゃって。

朱莉ちゃんを怖がらせる言い方になっちゃいましたね・・・。」

・・・今度はこっちが物凄く落ち込んでしまった。

杏花はバカバカ―!と言いながら頭をテーブルに打ち付けている。

「うわぁぁぁーー!やめてください!頭われちゃうーー!」

朱莉は俺から離れると、杏花を止めつつ『気にしてませんよ』と言いながら笑う。

あちらを立てればこっち立たず。

・・・まったく、人付き合いが難しいという点には俺も激しく同意する。

朱莉は杏花に近づいてきた樫井さんに場所を譲るように、俺の後ろの方へゆっくり移動した。


「んでよー結局、生還者リターナーって何なんだ?

それが分ればよー、香苗を立ち直らせるきっかけになるし、朱莉ちゃんも身体が見つかった時に戻りやすくなるんじゃないか?

このままじゃ良くない。って言うなら、さっさと解決して前に行かねーとな!」


 彼の言葉は一気に場の空気を変える力がある。

安心するし、希望が湧く。俺もいつかは彼の様な男になれるのだろうか?

ホッとした様子で笑顔を見せる朱莉を見ると、なぜか胸が痛くなった。


「・・・私は、霊感は少なからず持ってました。10歳にもなって部屋の隅を見てお喋りをする、変わった子供として、有名でした。

両親、8歳の弟の4人で小さな一軒家に暮らしていました。ゲームしたり、テレビ見て笑ったり・・・そんな毎日は突然消え去ってしまった。」

誰もが口を閉じ杏花を見つめる。朱莉は口に手を当てて立ち尽くし、不意に御影みかげの薄緑の瞳が悲しそうに揺れた。


「ある日突然、半年前に死んだはずのお祖母ちゃんの声で夜中に起きました。

他の部屋から物凄い音が聞こえたので、私は慌てて確かめに行こうとすると、

『行くな。警察に電話しろ!』と何度も言ってた・・・。

子供部屋にあった電話の子機を持ってベッドの下に隠れました。

小さな声で通報し、他の部屋から叫び声がすると訴え・・・

焦りながらも住所を伝えたその時、ドアがゆっくり開いて若い男が入って来た。

そのあとは良く覚えてません。この時、幽体離脱をしたからです。

半年後、手術を終えた後も昏睡状態で入院中だった・・この身体に戻りました。」


「私は、調布一家惨殺傷害事件のたった一人の生き残り(生還者)です。」


「・・・戻れたきっかけは復讐心だと思います。生霊として彷徨っている時に、

事件現場の我が家の周りをうろつく男を見つけ、近くで顔を確認しました。

その時の彼のおぞましい笑顔は、・・・今も毎晩夢に見ます。

私が・・・必ず、いつか必ず彼をこの手で殺す。そう心に誓ったその瞬間、

私の意識は病院のベッドに戻っていて、泣き叫びながら目を覚ましました。」


「私の理屈はこうです。・・・強い感情(恐怖、怒り、悲しみ)の爆発で剥がれた心と体は、それと同レベルの強さの感情の揺れが起きると、再び元に戻れる可能性が高くなる。・・・実体験の1例しかありませんが・・・。

私は生霊から元の身体に戻る現象のことを、生還者リターナーと名付けました。生命の危機、廃人になってしまった人生の危機、そういうものから強い意志で戻ってくる。そういった意味を込めて・・・。」


 物音一つさえ掻き消された路地裏に、彼女が椅子から立ち上がる音、

羽織っていたローブがスルスルと足元に落ちる微かな音だけ響く。

濃紺のドレスの大きく開いた背中には数えきれない傷跡が広がっていた。

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