第4章 生還者
番外編 樫井の休日
警察組織の中で、ドラマの主人公が大活躍する花形と言えば捜査一課である。
殺人や強盗などを捜査し、事件現場に華麗に登場!
街のお巡りさんとは一線を画す、悪人あいての大立ち回り。
正義感に溢れた警察官が憧れを抱くのは自然の成り行きだった。
北沢警察署の刑事、樫井 良太郎は今日も書類の整理と記録に追われていた。
ドラマで見た本庁の捜一のデカとは程遠い、所轄の刑事部捜査員の激務。
刑事っていつも紅茶飲んでたり、居酒屋で楽しそうに秘密の会議してなかったか?
しかし本気で嫌だと思ったことは一度もない。
たとえ思っていた現実と違ったとしても、あの日誓った自分の信念を貫く事に理由なんて必要ないのだから。
――― 3月27日 土曜日 雨上がりの匂いがする夜
「ぬぉぉぉぉーーー眠い!眠すぎる!」
栄養剤の瓶が数本転がっている机で、半分目を閉じながら樫井は叫ぶ。
そのデスクは乱雑で、他の刑事にはよく迷宮の館だといって笑われていた。
「あれ?樫井?昨日から今日まで休みじゃないの?何でスーツで来てんの?」
外から捜査を終えて戻った柏木刑事が隣の席につきながら尋ねる。
「昨日、友達と飲み過ぎてさー、朝急に思い出した仕事だけやってまた帰るつもりだったんだよ・・・。なんでこんな追加が来てんだよ。
よし!もう無理!帰りまーす・・・。」
重みで折れ曲がってしまったファイルを無理矢理端に寄せ、樫井は退散を始める。
「明日、朝から会議だからー!帰って早く寝ろよ?」
「おーう。頑張るよぉー・・・!」
警察署から自宅マンションまでは歩いて20分くらいかかる。
結構遠いが、ショッピングモールも遅くまではやってないような、この静かな町を樫井は意外と気に入っていた。
二日酔いの可能性を考えて車には乗らないで来たが、徒歩での帰宅は結構辛い。
腕時計を見た樫井は溜息をついて空を見上げる。さっきまでの雨は止んでいたが、今日はデパ地下惣菜の気分だったのに、店は丁度閉まった頃だった。
なんだか最近、肩が重い。物理的な痛みはないが、酷く悩んだ時の胃の中のような重苦しさが、毎日首の辺りを締め付けている。
昨日、何を食っても旨い店で飲んだ後はだいぶ楽だったのに、朝起きるとまた重石を乗せたようになっていた。
ふと寂しい路地裏に怪しく光った物を発見し、近寄っていく。
閉店した後の服屋と、隣のビルの隙間に異様な人影を確認した樫井は、静かに声をかける。
「君、何してるの?路上で勝手に商売したらダメだよ?」
樫井よりも少し若く見える女は20代半ばといった所だ。
フワフワのウェーブがかかった茶色いロングヘアー、結婚式の二次会に着そうな質素なエメラルドグリーンのドレスにローブを羽織っていて、少し寒そうなサンダル履きの素足。
いかにも占い師・・・といった丸い水晶を、路地裏のビールケースを積んだ即席の台に乗せて、折り畳み椅子に座っている。
「?お客さん・・・じゃなくてお巡りさんか。・・・でもあなた、良いお客さんになりそう!肩、痛いでしょ?素敵なモノおんぶしてますねー!」
「!?・・・まぁ、俺非番だしこれ以上はサービス残業するつもりないから通報しないけどさー。ギリギリ敷地内で道交法は触れてなさそうだし。
店の人に訴えられたらアウトだけどさぁ・・・。おねーさんまだ若いでしょ?
夜は危ないし早く帰ろう?」
「えっ!!若いっ!?・・・おにーさん、イケメンで優しいとか・・・
怪しい占い師に見えますよね?でも、これだけは誓いますけど・・・
ホントに見えてるんですよねーー。・・・貴方の名前は樫井 良太郎さん。
そこの警察署の刑事さんで、年齢は29歳。なんでその顔で彼女居ないんですか?」
湿った冷たい風が通り抜ける。あまりに驚くと人は笑ってしまうらしい。
「え・・・えーーー!?はははっ・・・俺、ストーカー被害にあってます?!」
「すぐに信じなくてもイイですけど。その反応慣れてるんで、後で謝罪とかも要りませんから♪・・・それより肩の痛みの原因、生霊のせいですよ。
心当たりの原因、早く探して下さいね?私、簡単な事と衝撃的な過去とか見るのは出来るけど、細かい人の感情まで読み取れないんで。
あっ!名刺渡しときますね!命の危機の時はぜひご利用ください♪」
杏花は帰る準備をしながら、樫井のスーツの胸ポケットに名刺をねじ込む。
「そ・・・そんな、そそくさと逃げる準備をして言われても信用できないだろー。
大体、生霊ってなんだよ?霊感商法なら立派な詐欺だぞ!?」
樫井が手を横に振って引き留めようとする間も、杏花は大きなリュックの中にぎゅうぎゅう水晶を詰め込んでいる。
「私が逃げる理由は2つある。1つはこのまま押し問答してもどうせ捕まるから。
2つ目は、本気で信じさせようと思ってとある名前を出すと、あなたは激怒して
やっぱり私を逮捕するからですー。」
すべて片づけ終わって、折り畳み椅子のケースを肩にかけると杏花は淡々と話す。いつの間にかサンダルからスニーカーにまで履き替えていた。
「いくら何でもいきなり逮捕なんてできないよ。ストーカーもう止めるならこのまま帰ったっていいんだ。とりあえず話そう?」
「そうですか・・・。もう会えなくなるのは残念ですが・・・。
・・・あなたの心の海の底。誰にも見えない深い深い暗闇に閉じ込めた名前。
誰よりも大切で守りたかった者・・・・・・・その名は
何処にも行けない・・・今も冷たい湖の底で、後悔の波に
傷付けるつもりは無かったんだけど・・・仕方ないよね。と杏花は通気ダクトの上に片足を乗せ、ひょいっと奥に続く路地裏の闇に向かっていく。
――― またね。優しい刑事さん。どこかのヒーローがきっとあなたを救うはず。
誰かの捨てたゴミを転がして強い風が吹き抜ける。
誰も居なくなった路地裏を見つめながら、樫井はただ、立ち尽くしていた。
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