樫井(かしい)
夜中もずっと蛍光灯の下で働いた後で急に建物の外に出ると、
クラクラするような疲労感が押し寄せてくる。
このコンビニの入り口は東向きだった。朝日が目に沁みる。
――― 3月29日 月曜日 眩しい青空が広がる朝
(・・・土日どっちも樫井さん来なかったな。大丈夫か・・・?)
忙しい刑事がコンビニに毎日来ないのは当たり前なのだが、妙に心配になる。
香苗が何かしてなければいいのだが・・・。
2駅離れたアパートまでは自転車でも15分はかかるので、眠気覚ましに缶コーヒーをゴミ箱の横で飲む。
缶を捨て、
「おーい!松宮君ーーお疲れさーん!」
見覚えのあるグレーのセダンから樫井さんが出てくる。
元気そうに挨拶しているが、少し顔色が悪い。
「樫井さん、良かった。飲み過ぎて体調崩したかと心配してました!」
背中の後ろに浮いてこっちを見ている、赤いコートの香苗には気付かない振りをして俺は尋ねた。
香苗はニタニタ笑いながらその様子を楽しんでいる様だった。
「あ・・・おう、あんなもんじゃ全然酔いつぶれやしないよ。
松宮君もう上がり?この後は帰って寝る感じ?」
「はい!寝るくらいしかやる事ないですしねー。」
「さすがに朝だけど夜勤は眠いよねー。俺も昨日から今まで捜査してたんだ。
これから署に戻って仮眠してまだやることあるんだけど、夕方から明け非番なんだよね。松宮君起きてからで構わないんだけどさ、飯行かない?
明日も仕事だし酒は無しで、そんな遅くならない感じで。」
樫井さんが急に誘うなんて珍しい。余程、話したい事でもあるのだろうか?
「いいですよ!連絡待ってますね。」
「悪いなー!18時くらいに携帯かけるわー!」
そのままコンビニへ朝食を買いに行く樫井さんに手を振り、俺は自転車に乗った。
少し開いたカーテンから西日が差し込んでいる。
(結構寝れたな・・・。何時だろう?)
寝ぼけながらベッドから降りると、台所にいた朱莉が戻ってきた。
「おはよ!余ってたレモンで、はちみつレモン作ってみたのー!」
「ふぁーあ・・・。ありがとう。朱莉は昼食べた?」
俺はあくびをしながら朱莉に尋ね、輪切りのレモンが浮いたマグカップを受け取る。
甘酸っぱい香りで、頭がスッキリ冴えていく。
「昨日の残ってたカレー食べたよ!2日目ってなんか美味しいよね?
あっ・・・誠士くんこれから樫井さんと会うんだよね?」
「そうだよ。なんか朝会った時も、やつれてたし心配だからさ・・・。
朱莉も一緒に来る?・・・香苗と話せるかは分からないけど。」
ホットのはちみつレモンをすすりながら、俺は朱莉を誘う。
「うん。・・・あのね、私、樫井さんに香苗さんの事言った方がいいと思う。
・・・最初はビックリするかも知れないけど、樫井さん良い人だし、
誠士くんがふざけて変な冗談言わないの、分かってくれると思う!」
「ごふっ・・・にがっ・・・えーっと・・・。」
動揺して皮を齧ったのか、口の中にレモンの苦みが広がる。
「引かれて避けられたら、もう助ける手段は無くなっちゃうと思うんだけど。」
俺が呆れてそう答えると、朱莉は自信満々に自らのプランを話し始める。
「大丈夫だと思う!私がポルターガイスト起こしまくって生霊を信じて貰うの!」
「・・・うん。とりあえずそれは止めよう。
・・・そーだなー。様子見て考えるけど、なるべく穏便にいかないとな。」
しばらく考え込んでいると、携帯がローテーブルの上で突然震えた。
朱莉は忠告が理解できていないのか、既にかなりワクワクしている。
「あ!ミカゲちゃんも呼ぼう!今から連れてくるね♪」
(・・・なる様にしかならねーな・・・もう。)
樫井さんに住所を伝えると、30分もせずにアパートの下に着いたと連絡が来た。
「さすが地元の警察官って感じですね!」
驚いた俺に『警官クビになったらタクシーの運ちゃんもありだよな!』と冗談を言っている所を見ると、そんなに深刻な悩みではなさそうだった。
どうやって朱莉と御影を車に乗せようかと焦ったが、樫井さんの方から前のシートは書類だらけだと言ってきたので、自然に全員で後部座席へ乗り込めた。
「普通にファミレスだけど、ここ煩くなくて結構気に入ってるんだよー!」
店奥の静かな4人掛けのソファー席に案内された後、樫井さんはそう言ってメニューを開いた。
この前も個室を気に入っていたし、いつも明るく冗談を言っている樫井さんも、
意外と静かな環境を好むようだ。
朱莉と御影は俺の左隣に座ったが、香苗の事をじっと見たまま動かなかった。
「そんなに睨まなくてもー今日は王子様にはなにもしないよぉー!」
香苗は意地悪くニヤついていた。
注文の品のハンバーグが来て、樫井さんは異常に熱がりながら少しづつ食べ始めている。
「今日、呼んだのだけどな、ちょっと頼みがあってさぁ・・・。」
「そんな気がしてました。・・・どうしたんですか?」
俺もチキンソテーにナイフを入れながら続きを促す。
「土曜日の夜、駅前のモールの路地裏に占い師が居たわけよ。そいつがな、
俺に生霊が憑いてる!って言うんだよね・・・。」
樫井さん以外の全員がビクッと身体を硬直させた。
氷の上に立っているような張り詰めた空気が流れる。
御影と朱莉はこっちを見て口をパクパクしているし、香苗は樫井さんの背中から飛び退いて宙に浮いていた。
香苗は何か考えている様で、不気味な笑顔はもうない。
(・・・やっぱり樫井さん凄いわ。爆弾の投下の仕方半端ないって・・・。)
「へ・・・へぇー!今どき、霊感商法とかあるんですね・・・。」
(・・・とりあえず探るしかない・・・。)
「な!?そう思うだろ?・・・俺も最初はそう思ったんだよ。
俺の事全部知ってるみたいに話してるから、ストーカーかも?とかも思ったな。
でもな・・・あいつはマジだ。」
「俺の身内が10年以上前に死んだ事も、死んだ場所すら言い当てたんだからな。」
今までに見たこともない暗い表情で、冷めたハンバーグを口に入れる。
そんな樫井さんに掛ける言葉が見つからない。
小さくなってるはずの肉を飲み込むのに、俺はどれだけ時間をかけたのだろうか。
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