香苗(かなえ)
人通りも
22時なので、泥酔するには少し早いのだが、樫井さんの飲酒のペースはとんでもない速さと量だったので仕方ない。
「いやー!良い店だったなー!何食っても旨いし、酒の種類も多いし!」
満面の笑みの樫井さんは大きな声で話す。
「結局、多めに払って頂いちゃいましたね。奢るって言っといてすみません。
お土産まで譲ってもらって申し訳ないです。」
樫井さんは、店員の女性が席の予約を間違えたお詫びに・・・と渡してきた冷凍コロッケのお土産も、『若者が食べなー!』と全部俺にくれた。
店を出てから歩きだして、すぐそばの道角を曲がった所に
しかし、樫井さんにまたしがみ付くのかと思いきや、女の生霊は駅まで歩く俺たちと一定の距離を保ちながら、すーっとついてくる。
全員で同じ電車に乗り、数駅。樫井さんの最寄り駅よりも2駅先に俺は降りるので、
車内で手短に挨拶をする。
「じゃー気をつけてなー!また明日もコンビニ行くかもしれねーけど!
しっかり寝ろよー!おやすみー!」
別れ際まで元気な樫井さんを見送ってから、改札へ向かう。
居酒屋に入る前と後で違うのは、赤いコートの女の生霊は樫井さんと帰宅しなかった点だ。
俺と朱莉がこうしてボロアパートに向かっている今も、少し後ろから御影と共に歩いてついてきている。
「ねぇ・・・このまま誠士くんのお家にあの人来ちゃうのかな?」
朱莉はとても嫌そうな顔をした。いつも無駄に明るいので少し心配になる。
「御影が説得して樫井さんから離れてくれたんだし、俺の家でもう少し強く言い聞かせれば、本体に戻ることも考えてくれるんじゃないか?」
極めて楽観的に考えた最良のプランを伝えると、朱莉は少し安心した様に笑う。
長い時間留守にした部屋はひんやりと冷たく、静まり返っていた。
俺は冷蔵庫からミネラルウォーターを出し、ベッドに腰かけた。
朱莉と御影はフローリングの床に、ついてきた女の生霊は部屋の奥、ベランダの前の窓に立ったまま寄りかかり、腕を組んで俯いている。
無地の青いカーテンが歪んでいる所をみると、俺に認識されている事を理解して、
実体化に成功したらしい。
「あんた、一体どういう人間なわけ?」
唐突に、鋭く高い声が響く。
俺は赤いコートの女が話した事に気が付くのに数秒掛かった。
「普通の大学生みたいな顔して、生霊と化け猫、両方飼ってるっての?何者?」
ボサボサの長い髪をかき上げながら女が続けて聞いてきた。
やっと見えた表情は虚ろで顔色は真っ青だった。クマだらけだが、切れ長の目で鼻筋は通っており、和風の美人だった面影を微かに残している。
茶色いロングブーツは朱莉の足と同様に半透明でつま先が見えない。
「俺は松宮誠士です。彼女は朱莉・・・記憶がない生霊で偶然ここで出会った。
元の身体に戻れるように協力しようと思って、一緒に住んでます。
御影は普段、近くの神社に居る。今度、群馬に行って大切な人に会う必要があるから、俺たちも一緒に行こうと思ってる。」
「あなたは・・・誰なの?どうして樫井さんに憑りついていたの?」
俺が話し終わるのとほぼ同時に、朱莉も話し始めて女に質問を重ねる。
「ふぅーん・・・御人好しのバカと楽しい仲間たちってわけね。
・・・私は
本体は・・・
樫井は私を逮捕したクソ野郎だよ。暑苦しい、頭ん中が花畑のクソ。
事故で死なねーかなって思って毎日首絞めてやってんの。面白いでしょ?」
ショックを受けて何も話さなくなった朱莉の代わりに、御影が口を開く。
「香苗は、朱莉と違っていつでも本体に戻れる。だが戻っても良い生活が待ってるとは言い難いらしい。樫井に憑りつく以外に気持ちのやり場もないそうだ。」
「そんな悲劇のヒロインって状況でもないけどー。ただの暇つぶしよ。
はぁー。ニャンコちゃんに樫井より面白い男だって聞いたから付いてきたけど、
全然つまらない。ただの根暗が自己改革する!っていきなり人助け初めちゃって
調子に乗ってるだけにしか見えないねー。」
黒髪の先の枝毛を撫でるように指でいじりながら、香苗はニヤニヤしている。
(なんか凄い言いたい放題ですけど・・・。でも当たってるか・・・。)
俺は水を飲みながら香苗をじっと見据えていた。
どうやって生きたらこんなに敵意で満ちた人間になってしまうのか、分からない。
いや、実は理解できてしまったのかもしれない。彼女から憎悪を突き立てられると、心の奥底に仕舞っていた、ヘドロの様な感情が
「あんた、死んだ魚みたいな目だよね。なにが協力したい!だよ・・・。
良い事してる自分可愛さ以外で、他人に協力する理由なんてないよねぇ。
てゆうか、一歩間違えたらあんたが生霊になってたようなものじゃない?
どんな悪霊よりも、偽善者が一番気持ち悪いのよねぇーー。」
突然、バンッ!!と大きな音がした。部屋の空気がビリっと振動する。
見れば座ったままの朱莉が、テーブルに握りしめた両手の拳を叩きつけていた。
「それ以上、人を傷付ける言葉しか話せないなら、もう出て行ってくれませんか!?誠士くんにも、樫井さんにも、もう近寄らないで下さい。
誠士くんは、誰よりも優しくて強いんです。あなたには絶対に分からない!」
香苗に扱き下ろされた時の何倍の衝撃だろうか。自分の鼓動が耳元で聞こえる。
目の前でわなわなと震える小さな肩。
それは香苗への恐怖のせいではなく、強い意志の表れに見えた。
明るく、ふわふわしているだけの少女はどこにも居なくなっていた。
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