教えてあげる
張り詰めた空気は、必要以上に室温を低く体感させる。
俺はベッドの隅にあったブランケットを、朱莉の肩に掛けた。
「私は、こんな身体になった位だ・・・。香苗の怒りにまみれた怨念が解らないこともない。だが朱莉・・・お前はこの感情に引きずられてはいけないよ。」
薄緑の眼光が、香苗に突き刺さる。
「なにこれ?面白過ぎるコントだねー!王子様と猫に守られるお姫様?」
窓のカーテンに寄りかかってその様子を見ていた香苗は、いきなり腹を抱えて笑い出した。
「ねぇー可愛いお姫様ぁーーー!この世で一番醜いものと、死ぬより辛い地獄、
知りたくない?知りたいよねぇー・・・?」
香苗は御影を素通りし、朱莉に近づくとバン!!とテーブルに左手をつく。
そして右手を朱莉の肩に
――俺は手を伸ばし、赤いコートを掴んだ。
唸り声と共に御影が半透明のロングブーツに咬みつく。
「あんたら馬鹿じゃねぇーの?痛みなんて、感じると思うの?
私の本体だってそんなものとっくに忘れて、朽ちた人形になってるってのにさ。」
朱莉から引きはがされて不満そうな香苗は、俺の手を振り払ってそう吐き捨てた。
それ以上香苗を刺激しないように、俺はもう一度ベッドに腰を下ろす。
このまま怒らせては、絶対に樫井さんから離れてはくれないだろう。
「痒い痒いかゆいかゆい・・・あんたら見てると
両腕を組むようにして強く擦りながら香苗は
そしてふわりとテーブルの上に腰かけ、足を組む。
そのまま、驚いて座ったまま後ずさる朱莉を見下ろした。
「家はゴミ溜めだったな。母親の彼氏はいつも私を可愛がってくれたよ。
17歳の時、逃げるように出て行った。付き合う男はみんなクズ。
ある日、繁華街でキレた男にボコボコに踏みつけられてたんだよねー。
みんな見えない振りして素通りしてったのは笑えたわー!急に彼氏が蹴るのやめたなーって思ったら、そいつは道の真ん中に転がってた。助けてくれた神様(イケメン)が家に来いって言うんだもん、そのあとは普通に全て彼にあげた。」
「でもさーこの世に神なんている訳ないよね?そいつは迷える子羊たちに幸せになる
香苗は荒れた指先に髪をくるくる巻き付けて笑っている。
「掃き溜めみたいな地下街で薬を売ってた神様とチンピラの抗争がおきた。
通報で駆け付けた警官が樫井だった。神様のスケープゴートにされて、その場に置いてかれた私を迷わず逮捕したくせに、あいつは私に必要なのは治療だ!
とかなんとか甘い事言いふらしてた。
執行猶予だとか言われて
誰も話すことのなくなったワンルームは、俺一人だった時よりも静かだ。
香苗はうずくまった朱莉の肩に両手を添え、顔を思いっきり近づける。
「未就学児並みにピュアなお姫様にはぜひ知ってもらいたいの!この世の中がどんなに汚くて救いようがないかって真実ー!面白そうでしょーー♪
男がどんな顔して女の身体で遊ぶのか、傷つけるのか、ゴミの様に捨てるのか、
おねーたまが教えてあげるぅーーー!」
徐々に掠れたような小声になっていく香苗は、朱莉の耳元で囁く。
「全部知ったらぁー・・・もう二度とそこの王子様の事、優しいだなんて思えないかも知れないけど♪」
『そいつだって・・・』『 じゃない。』
底意地の悪い笑顔で香苗がさらに何か話したが、こちらには聞こえなかった。
朱莉が跳ねる様に立ち上がる。
目には恐怖と絶望の色を浮かべ、さらに迫ってくる香苗を見つめる。
朱莉が口を開く前に、俺は香苗の胸倉を掴んだ。
「そこまでにしろ!お前、本気で自分が一番不幸だとでも思ってんのかよ?
朱莉は、自分がどう生きてたかも覚えてない。もしかしたら、お前以上に悲惨かもしれない。それでも迷わず元の身体に戻りたい。誰とも関われない幽霊では居たくない。そう言える強い人間だ!せっかく樫井さんに手を差し伸べてもらったのに、
生き直す事もしないで、恨み言ばかり叫んで彷徨ってるだけのお前に、
朱莉の何が分かるっていうんだ!」
「やめろ誠士!!もうこれ以上構うな!お前の感情が侵されるぞ!」
御影が怒鳴り、隣で蒼い顔をした朱莉が身体を硬直させて立ち尽くす。
「なぁーんだ・・・殴ってくれないの?王子様ぁーー。
久しぶりに殴られて感じたかったのにぃーーー・・・残念。
あぁーそれとも・・・」
コートを掴む俺の手を上から指で撫でて、香苗が笑いかけてくる。
「完全にぶっ壊された私の真ん中、見てみたくなったのかなぁー?」
そう囁きながら頬を寄せて、首筋を舐める。
「なっ・・・。」
仰け反った瞬間、ベッドに尻餅をつくように座り込んでしまった。
すかさず香苗が両手で俺の肩を押さえ付け、後ろに押した。膝をベッドに乗せ、
倒れた俺の顔を真上から見下ろす。
長い髪が目の辺りに触れて、思わず瞼を閉じかけた瞬間、何かが俺の口を塞いだ。
冷たい空気が喉の奥に流れ込み、無理やり肺を満たしていく。
朱莉の小さな悲鳴と御影の怒号が遠くに聞こえる。
最後に見たのは真っ赤な唇。
意識が深く深く沈む。
――痛い、悲しい、怖い、やめて、死にたい、助けて、置いてかないで。
あなたに絶望を教えてあげる。
私を一人にしないで。
・・・そうだよな。分かったよ。
目の前に広がる暗闇は、真夜中の海のようにどこまでも続いていた。
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