レモン

 さすがオフィス街の居酒屋、しかも金曜日というざわめきで満たされた店内は、

ほぼ満席になっていた。

俺はざっと見渡して樫井さんを探したのだが、姿が見えない。


「いらっしゃいませー!お一人ですか?カウンター1つだけでしたら空いてます。」

「いや・・・先に一人、入ってるんですけど・・・あ、予約した松宮です。」


店員の女性はバインダーの名簿に目を通し、あっ!と驚いた顔をした。

「申し訳ございません!松宮様。・・・こちらの手違いで、カウンター2名様のはずが、奥の個室に予約を入れてしまいまして・・・。お連れ様にはご説明して、

お部屋にご案内済です。あ・・どうぞこちらへ!」

「は・・はい。」


 店員に促されるままたどり着いたのは小上がりのようになった和室だった。

格子の引戸でカウンターのあるフロアとは仕切られている。

『・・・。』

店員は苦笑いして、『どうぞごゆっくりー。』と早足で調理場へ行ってしまう。

中に入ると、掘りごたつのテーブルでメニューを眺めながら、樫井さんがくつろいでいた。

「おー!来たか!なんかお見合いするみたいな部屋に案内されちまったよ!

男二人なのになぁー!面白れぇーー!」

「なんか手違いみたいですね・・・。6人掛けに二人だと広いですねー。」

正確には4人と1匹なので、それ相応の広さなのだが、周りの人からみればきっと訳ありの二人に見えているだろう。

そういう事を深く考えない樫井さんの鈍感さもまた、俺には羨ましい部分だった。


「とりあえずビールにすっかなー♪つまみ適当に頼んで平気?」

樫井さんはメニューをペラペラめくりながら、店員を呼ぶチャイムを押した。

その向かいの席の端に俺は座る。隣に朱莉あかり御影みかげも並んだ。

「松宮君なんでこんな広いのに端っこなん?」

「なんか端っこ落ち着くんです。いつも笑われます・・・。」

俺は朱莉の顔を横目に見ながら、適当に誤魔化した。


 ガラガラと引戸を開けて店員が入ってくる。

座布団の上で丸くなっていた御影は、思い出したかのように立ち上がった。

そしておつまみ4種類とビールを頼んでいる樫井さんの所まで歩いていくと、

背後に回った。


「ねぇ!どうしよう・・・ミカゲちゃんが戦っちゃったら!?」

修羅場を想像したのか、朱莉は俺の左半身にもたれ掛かり、腕を掴んでくる。

何も答えられない俺は、テーブルの下で朱莉の膝をポンポンと軽く叩く。

一瞬、冷たい空気が部屋に満ちた。何やら小声で樫井さんの背中の女に語り掛けていた御影が、引戸をすり抜けて出ていく。

すると、氷の様な冷気を振り撒きながら赤いコートの女がスーッと立ち上がり、

後に続いて出ていこうとする。完全に通り抜ける間際、後ろを振り返った。

台風の時の屋外に長い間立っていたような、振り乱した黒髪が顔の大半を覆っていて、表情はよく見えない。

・・・不意にその前髪の隙間から真っ赤な口紅をした口が覗く。

ニタァァー・・・。それは、歪む様に笑って見せた。


ひぃ・・・!と息をのむ朱莉の指先が、俺の太腿に触れた。

注文を終えた樫井さんが、『最近のバイトは大変じゃないかー?』

と話しかけてくれなかったら、俺も朱莉の手を掴んでしまいそうだった。


 久しぶりに飲んだビールは苦かったが、2杯目から美味しく感じ始めた。

御影はテレパシーで『私は無事だ。こいつの話を聞いてやってる。そっちは幸の工場の事を聞くのを進めてくれ・・・。』と伝えてきた。

樫井さんがこっちから目をそらした隙に朱莉にも教えると、余程心配していたのか

『よかったぁーーー!』と言ってテーブルに突っ伏した。


「あぁ!冴木スプリングな、普通に誰でも入れるらしいよ?知り合いの人が休憩中とかなら会いに行けるんじゃねー?携帯番号とか知らないの?」

「親の古い知り合いらしくて・・・携帯知らないんです。

えっと・・・会えば分かるんで、大丈夫なんですけど。

ちょっと就職の相談しようかなーと思ってたんです。」


 まさか化け猫の飼い主を探しているとも言えず、変な説明になってしまったが、

だいぶ酒が入った樫井さんは気にも留めない様子で枝豆を齧っていた。

「へぇー・・・。いやさー、家の親父に刑事になれたって言ったらな、

会って色々聞かせろーって始まってよぉー!んなもんねーよなぁー。

死ぬほど苦労して試験受けて移動したのに、命令されんのはよー書類、書類、

書類・・・書類仕事の後始末ばっかりよー。」

工場の話は速攻で打ち切られ、酔った樫井さんの苦労話がとめどなく続く。

追加で注文した名物のひとくちコロッケが運ばれて来ると、持ってきた店員をつかまえてそのままハイボールを注文した。


「コロッケ熱そーだなー!俺は猫舌なんだよー!先にトイレ行ってこよー♪」

そう、全く要らない情報を教えてくれながら、樫井さんは出ていった。


「何か、あまり会話にならなくなったね。喜んでくれてるみたいで良かったけど。」

そう俺が話しかけると、じーっとコロッケを見てた朱莉はハッとした表情でこっちを向いた。

『・・・そうだね!』また視線をコロッケに戻す。


俺も酔ってきたのかもしれない。

そんな子供みたいな彼女の様子が妙に放っておけなかった。

引戸がしまっていること、監視カメラの無いことを確認して、

『食べさせてあげるから、壁際に寄って!』と小声で伝えた。


物凄く感謝の言葉を並べながら、朱莉は壁に背中をくっつける。

「あっ!レモン好きだからかけて!」

コロッケにレモン?と驚いたが1つだけにかけて箸で摘まむ。

そのまま壁際に近寄り、左手を曲げて朱莉の頭の上の壁に肘をつける。

万が一、引戸が開いて見られても、気持ち悪くて壁にもたれている様にしか見えない様にするためだ。


 額が擦れるほど顔が近寄る。朱莉がなぜか驚いたように固まっているので、

『早く口開けて。』というと、小さい口を一杯にしてひと口で食べた。

そんなに熱かったのだろうか?顔が真っ赤になっていく。

「・・・おいひぃ。」

「良かったね。冷凍のお土産もあるみたいだから後で買うよ。」


 ハイボールを持ってきた店員とほぼ同時に樫井さんも帰ってきた。

樫井さんのテンションが最高潮になっていくのに俺が付き合って話していると、

さっきより少し俺から離れた席に朱莉が戻って座った。

1つしか食べれなくて不満なのだろうか?

頬杖をつきながら目の前のレモンを指で軽くつついている。


 誰も座っていない(ように見える)席の上の皿の中で、

くし切りのレモンがゆっくり、ゆっくり揺れた。

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