幸(さち)

 御影みかげはしばらく動かなかった。

穴が開くほど日記の内容を目で追っていたと思ったら、しばらくするとミサンガと鈴を前脚でそっと触ったり鼻先を近づけたりし始めた。

「お前達に頼みが出来た・・・。その前に一つ思い出話をしよう。」


「あの頃、さちは10歳だった。当時の世は戦争真っ只中。とある春の日、

三毛や白など道端に沢山いた綺麗な野良猫たちの中から、ネズミ捕りにするのだと親にねだって私だけを選び家に連れ帰った。

錆びた銅のような色の毛並みを赤い御影石の様だと褒め、御影という名を付けた。

手編みでこの首輪を作り、なけなしの小遣いで鈴を買った。それからの日々は毎日が輝きに溢れていた。

食うにも困る時代だったが、この上ない幸せを感じた4年間だったよ。」

御影はじっと鈴を見つめ語り続ける。


 朱莉はちらっと俺を見て、すぐに御影に視線を戻した。


「霜月の寒い朝、14歳のあの子は自分の玩具の中で1番丈夫な、貯金箱にもなる

人形に日記を織って入れた。

この神社に埋めに来た時、私も一緒に居た。出会った頃から付けていた私の首輪は、この時に初めて切られた。当時はなぜ幸が泣きながらそれを箱に入れたのか、

私には理解が出来なかった。」


「翌日、私は供出きょうしゅつされ木刀で殴り殺された。生皮を剥がれ、

アリューシャン地方の兵士の防寒具の一部となったのだ。」


 朱莉の息を呑む音がした。

境内は生き物が1つも居なくなったかの様に静まり返っている。

御影は切れた首輪の上にあごを載せるようにして伏せ、目を閉じた。


「この場所に吸い寄せられる様に戻った時にはな、戦後の焼け野原、飛行機の残骸に埋め尽くされた海、町中に溢れた恨みや悲しみを体中に集めてしまっていた。

信じられないことに、こんな時代まで思念が消えずに残ってきたのだよ。

数えきれない人々の涙、悲嘆、そして絶望・・・それらが私を創造したのだ。

もう魂は何処にも行けないだろう。成仏してくれと願った幸には言えぬがな。」

薄緑の瞳をうっすら開き、こちらを見ながらじっと動かない御影から、

なぜか視線をらせない。


全てを諦めた様な言い方・・・人間に絶望し尽くした後の、無我の境地。

・・・いけない。このまま1人きりで朽ち果てさせてはいけないんだ。

このあまりにも純粋に人を愛しすぎた猫を。

また話し始めようとした御影の前に立ち、俺は右手をかざして止めた。


「俺は・・・それは違うと思う。」

俺がそう呟くと、呆然としていた朱莉が顔を上げて、潤んだ瞳を向ける。

「負のエネルギーだけで、形作られた訳ないんだ。その綺麗な毛並み。

幸の想いが沢山残っているんだよ。この境内にもその体にも・・・。」


御影は大きく目を見開くと、俺の言葉を遮るように豪快に笑いだした。

「はっ・・・!うはっ!ははははー。あーぁ・・・如何にも人間らしい戯言よな。

朱莉のような狭間に彷徨う訳でない、誰かを恨んで死んだこともない・・・

ただのクソガキが私を慰めてくれるとでも言うのか。」


「・・・あぁ。お前の話を聞いて、俺が勝手に同情して、勝手に慰めてるだけだ。」

頭が痛くなるような辛さが御影から伝わってくる。

荒波の様な感情にまかせ、俺は反論した。


御影は呆れたように首を振り、溜息をつく。

「いいか、神や仏でもない人間にそんな崇高な理念は望んでいない。

現在も幸が生きていることは分かっているのだ。

お前達には幸を探し、この首輪を渡して欲しいだけだ!

幸の最期の時に一緒に燃やして欲しい。私の頼みはそれだけだ。

私の心まで救おうなんて、平和ボケした人間如きが思い上がるな!!」


朱莉が隣に飛んできて俺の服をぎゅっとつかんだが、俺は振り向かずじっと御影を見続けていた。

「霊体の仕組みなんてわからねーよ!でもな、最後までお前のことを想ってた幸が

この場所に大切な思い出を埋めたからだろ?お前がここから離れられないのは。

恨みや悲しみしかのこってないとか、お前が言うなよ!」


「ふん。死んだ様な目をしながら生きてる、お前などに私の気持ちは分からない。

私がどれほど幸を守ってやりたかったかなど。一番苦しい時に一緒に居られなかった痛みが、本気で誰かを愛したこともないクソガキに分かってたまるものか!」


 御影も朱莉も黙っている。しかし感情が爆発している俺の喉は、小刻みに震えながら次の言葉を紡ぎだしてまなかった。

「・・・首輪を渡してそれで終わりか?本当の気持ちを言えよ!

直接、幸に会ってその気持ちを伝えたいって、そう言えよ!

手伝わせる為に呼んだのなら、最後まで同情させろ!

俺は何でも手伝ってやるって言ってんだ!!」


「・・・。なにを・・・・・言って・・・。」


 こんなに悲しみと怒りが入り乱れたのは子供の頃以来だろうか。

そもそも、そのような感情を人に直に伝えられた事があったのかも分からない。

段々と肩の震えが少なくなると、頭の熱がゆっくり引いていく。

この後に自分に向けられるであろう非難や、いきなりキレた怖い人・・・。

という二人からの視線を想像し、急に恐ろしくなる。

俗にいう後の祭りというやつなのだが。


「・・・お前、。」

御影は背筋を伸ばして座り直すと、暖かい眼差しを俺に向けながら言った。

「感情を殺して生きているような、そんな暗くてつまらない男だと思っていたが・・・ちゃんと人のために怒れるのだな。」


「誠士、朱莉・・・もし無理な願いなら聞いてくれなくても良い。

出来る事なら私を幸の所まで連れて行ってくれないだろうか?」


 この穢れた魂でも許されるのなら、最期は幸と共にありたいのだ。

そう言って木漏れ日の間から空を見上げた御影は、何よりも美しい生き物だった。

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