第7話『また明日。』

「神の裁きの時間です。」



 シスターは静かにそう言った。そして一歩ずつ無防備にエミリオに近づいていく。両手に鋭い重りが先に付いている紐を持っている。まるで生きているかのように伸び、エミリオの持つナイフをはたき落とした。逃げようとするエミリオを紐で縛り、重りで体を貫いた。急所を外しているのかエミリオらは必死に逃げようと足掻く。始めは手から。次は足と少しずつ動けなくする。紐が掠っただけでも肌は切れ、血が流れる。眼鏡が外れており、顔まではっきり見えなかったが、シスターは妖艶で、あでやかで月明かりに照らされ舞う姿に痛みを忘れ思わず見とれてしまった。

 逃げる気力が無くなったのか、それとも諦めてしまったのかエミリオはその場に倒れ込んだ。それを確認すると、シスターは攻撃をやめエミリオに近づく。シスターと目が合うと優しく微笑んできた。初めて顔はがはっきりと見え、シスターアンだとわかる。



「貴方は【グラッジ教】の信者ですね。聖杯もだいぶ飲んでおられるようで…。」



 アンはつま先で横たわるエミリオの頭を突いた後、しゃがんで目線を合わせた。赤く冷たい瞳が怯えるエミリオを映す。



「たっ……助けてくれ…っ!!お願いだ!!頼む!こんなことはもうしないから!!」



「私が聞きたいのは2つ。どこで、どうやってグラッジ教に入ったのか。命乞いの言葉はいらないですよ。」



「たっ、たまたまシスターに誘われてそれで……」



「そうですか。そのシスターを通じて色々していたわけで何も知らないと。」



「あぁ!毎月同じ日、同じ時間に指定された場所に行くといてそれで…!」



「わかりました。ありがとうございます。」



 アンはそれだけ聞くと、立ち上がりジェニルの元まで歩き出した。エミリオが刃向かうことはないと油断したのであろうか、ナイフを握りしめアンを目掛けて襲い掛かってきた。



「死ねぇぇぇええええ!!」



 コンクリートの床がペンキを溢したように赤く塗り替えられていった。落ちていくのはナイフを持ったエミリオの腕。アンが手に持っている紐で切り落としたのだ。



「あああああぁぁぁぁ!!」



 理解が追いつかないまま痛みだけがエミリオに襲いかかる。あまりの痛みに思考も回らない。



「背後から襲いかかろうと思ってたみたいですが、神様の加護を受けている私にはそういうの通用しないんで気をつけてください。それにしても、貴方は心の中ではお喋りなんですね。煩いほど聞こえてきて少し怖かったですよ。」



 アンの声はエミリオに届くことはない。痛みと出血のせいで意識が朦朧としている。



「せめてもの情けです…。今楽にしてあげますよ。」



 紐を振りかざすと、綺麗に首が切り落とされた。ビル内に響きわたっていたエミリオの叫び声は一瞬にして消え、ただ静寂だけが広がった。このシスターは神様の救いでも、シスターでもない。人の皮を被った悪魔である。ジェニルはそう感じた。確かにエミリオは怖く恐ろしい人であったが、必要以上に痛めつけ殺す必要はあったのだろうか。エミリオ以上の恐怖が身体を走る。

 アンは紐を二回軽く振り、血を払ってから服の中にしまった。白と紺で形成された綺麗な修道服は返り血で汚らしく染まっている。



「大丈夫ですよ、何もしませんから。」



 怯えるジェニルに向かって微笑みながら手をヒラヒラと振ってみせた。目の前で人を殺していた人の言うことを誰が信じるであろうか。自分でも信じることはないだろう。怖い、逃げたい、死にたくないそんな言葉ばかりジェニルの心に浮き上がる。しかしほっておくわけにもいかないので微笑みながらゆっくりと近づく。



「安心してください、と言ってもできないですよね…。でも本当に貴女に危害を加えるつもりはありません。手の縄、ほどかせていただきますね。」



 小さく震わせる身体に優しく触り縄をほどいた。太ももの刺された傷は血が止まりかけていた。



「立てますか?ジェニルさんが宜しければ病院までお送らせていただきますがいかがなさいますか?」



 ジェニルは小さく首を横に振った。心そこから怖がられては無理に手は出せない。



「……わかりました。それでは一階までお運びいたします。その後は救急車を呼びますね。」



 優しい対応にジェニルはこのシスターは本当に自分へ危害は加えないのではないかと思いはじめてきた。加護の力でその心を知ることができるアンは少しホッとし、ジェニルをお姫様抱っこする。



「あ、あの……先輩は何処にいるかわかりますか…?」



 か細い声で小さく質問してきた。余程ダニオンのことが心配なのであろう。



「ずっとお店で寝ていますよ。おそらく今頃ジェニルさんを探しに出ている頃では無いでしょうか。」



「そうですか…。」



 アンの言葉を聞き、良かったという言葉が心に浮かぶ。そして意識を手放した。己の身より他人の身をずっと心配してきた。どうしたらそんなに綺麗に生きられるのだろうか。いくら考えても自分にはもうできないこと。アンはジェニルを一階まで運び、下ろしてあげた。ダニオンはの携帯を手に取り救急車を呼ぼうとする。



「こんなところで何をやってるんですかシスター様。」



 静かなビル内に突然声が聞こえた。それはダニオンの声。ダニオンには加護が効かず存在に気がつけなかった。



「今から救急車を呼んで病院へ連れて行こうかと思っていたところですが、その必要はないようですね。………ジェニルさんは打撲と太ももに刺し傷がありますが、命に別状はありません。」



 ダニオンはアンを素通りしジェニルの元へ駆け寄った。傷は多いが脈は安定しており、今は気を失ってるだけだとわかる。



「それでは私はこれで失礼します。」



 頭を深く下げその場から立ち去ろうとした。ダニオンはその姿を見る事はしない。ダニオンに背を向けたとき、一つの言葉が響いた。



「また明日。」



 どういう意図なのかはわからない。教会へ来るということなのだろうな。小さな動揺は隠したままその場を立ち去った。

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