第5話『神は全て見ている』

「…っやぁ…っ!んっ…やめっ!……だれかっ……」



 人気のない真夜中の路地裏。塀に囲まれ行き止まりの場所。露出の多い女性が、フードを被った人に手首を壁に押し付けられ、口を塞がれそうになって抵抗している。生憎場所が悪いので、人一人通らない。なかなか言うことを聞かない女性に腹がたったのか、フードの人は、刃渡り15センチほどのナイフを懐から取り出し、女性の顔の真横に突き刺した。恐怖のあまり震え、泣きだし、声を失う。フードの人が手を離してもその場から逃げようとせず座り込んだ。脚に力が入らず立っていられないのだ。



「……神様……っ……助けて……」



 振り絞るように出したか細い声は誰にも届くことはない。月は逃げるように雲の中へと姿を隠し、星は見捨てるようにただ光っている。フードの人は右手に持ったナイフを振り上げた。その時右手に何かが巻き付いた。



「お楽しみ中のところ失礼ですが、少しお話よろしいでしょうか。」



 塀の上にはシスターが。影で顔はよく見えない。このシスターが持っている紐が腕に巻き付いたのだ。紐の先には鋭く尖った重りがつけられている。強く腕を引っ張ると痛みが襲った。服の上に血が滲む。



「あまり強く引っ張ると腕なくなってしまいますのでお気をつけ下さい。」



 優しい声でシスターは言ってくれた。血のように赤く染まった瞳がフードの人を見つめる。



「随分探したんですよ、切り裂きジャックさん。あぁ、そんなに怯えるなんて、あなたも所詮人間だったんですね。」



 冷たい目をしたシスターから慌てて逃げるように紐を無理やり外し、走り出した。右腕、左指は血塗れであろう。シスターは塀からおり、女性を見ると気絶していた。女性に触れることなく地面に落ちた血液の後をゆっくりと辿る。



「ここは人が居なくてとても静かですね。お陰であなたの声がよく聞こえるます。」



 切り裂きジャックは血液がたれないように服で抑え、走って逃げる。どこへ逃げる?行き先を知っているかのようにどんどん追いかけてくる。もし、このまま走って街に出たとして、こんな姿見られでもしたら騒がれでもしたらもう殺しができなくなるかもしれない。第一何故あのシスターは自分を切り裂きジャックと言った。考えても考えてもわからない。道路沿いに走っていると運がいいことに、タクシーがやってきた。すぐ乗り、走らせて、シスターからなんとか逃げ切った。珍しい赤色の目。冷たいあの目がどうしても頭から離れなかった。


 次の日、街では大雨と共に速報が流れた。切り裂きジャックに襲われそうになった女性が傷一つなく帰ってきたと言うもの。証言では襲われそうになった場所に切り裂きジャックの血痕が落ちていたというが、生憎の雨で消えてしまっている。これでまた、世間は切り裂きジャックを逃してしまう。殺害できなかったことは残念だったが、このことはとても幸運であった。前から目をつけていた奴だけ殺害し、この街から出ていこう。そう心の中で呟いた。


 グレイアム学園中等部では2年生の教室が何やら騒がしかった。スペリーク、彼がまたアンドレッドにちょっかいを出しているのだ。虫の居所が悪かったのか、わざとぶつかりに行きアンドレッドがやったと突き飛ばしている。ただの八つ当たりだ。机に背をぶつけ床に尻もちつく。そんなアンドレッドをスペリークを含め3人の男子生徒が囲み、見下ろした。



「すぐ謝れば許してやろうと思ったのに、ムカつく目で見やがって……やめてんのか?」



 踏みつけながら言う。せっかくのきれいな制服が足跡のせいで汚れた。何も言わずに黙っていると胸ぐらをつかみ頬を殴った。冷たい空気が教室を走るが誰も止めようとするものはいない。手をだしたら次は自分に回ってくるからだ。人なんてみんな臆病者。自分が可愛い。



「ほらなんか言えよ。俺がいじめてるみたいじゃん。ぶつかってすみませんでしたって謝れよ。」



「…………痛いんだけど。」



 アンドレッドは睨むようにスペリークを見た。鋭い視線だ。相手は一瞬怯むが負け時とまた殴ろうと右手を振り上げる。



「喧嘩で暴力は駄目だよ。」



 いつの間にかダニオンがスペリークの腕を掴んでいた。タバコの臭いを纏い、笑顔を見せている。



「他では勝てないから暴力で制圧するのは負け犬とすることだ。強い人のすることでは無い。やめたほうがいいよ。」



「あんたには関係ねぇだろ!」



 スペリークは腕を振り払い言う。ダニオンにも殴りかかってしまうのではないかと思った。しかし彼は、アンドレッドとダニオンを交互に見てから舌打ちをし教室を出ていってしまった。他の二人もスペリークを追いかけるように教室を出ていく。ダニオンはアンドレッドに手を貸し立ち上がらせる。頬が赤く少し腫れ上がっていた。



「大丈夫かい?保健室に行ってそれ冷やしてきなよ。」



 そう言い、自分の左頬を人差し指でトントンと叩いた。制服の汚れを払い、何も言わずアンドレッドも教室を出た。


 国語教師エミリオは左手に黒い手袋をつけ、機嫌よく歩いていた。なぜなら今日の夜、仕事終わりに先輩であるダニオンと飲みに行く約束をしたからだ。久しぶりに行くのだ。楽しみで仕方がない。曲がり角を曲がったとき、丁度生徒とぶつかってしまった。



「うわっ……っっごめんよ!怪我なかった?」



 浮かれてよそ見していた自分が悪い。生徒に怪我がないか確かめる。ぶつかった相手はアンドレッドだ。エミリオは思わず叫びそうになり、口を塞ぐ。アンドレッドの赤い血のような瞳でこちらをじっと見ていたのだ。珍しい瞳の色。心臓が激しく音を立てる。アンドレッドはそのままエミリオの横を通り過ぎた。



「あ、ちょっと!」



 腕を引っ張り引き止めた。振り向くアンドレッドの瞳はブラウン色で髪のベージュと合い自然な色だった。赤く見えたのは気のせいだったのか。寝不足なのか目の下には少しクマができていた。



「先生、どうしました?」



 キョトンとした顔でエミリオのことを見た。叫びそうになるほど恐ろしい顔はしてない。



「あーいや、頬赤くなってるけどどうしたのかなって。喧嘩でもしたの?」



「まあ、すこし…でも俺昨日悪いことしたんでその罰なのかもしれないです。」



 アンドレッドは微笑みながらそう言った。悪いことをしたらどこかで自分に返ってくる。信者はよくそう唱える。なので言いたいことはなんとなくわかる。



「そっか。今度はそうならないように気をつけないとね。」



 エミリオも優しく微笑みながら返した。何したのか理由には興味ない。アンドレッド自身にも。一教師として、授業には送れないようにと伝える。



「はい、先生も気をつけてください。神は全て見ているので。」

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