2. “I am a murderer”

「……え?」

 私は意味のない言葉を繰り返した。ほかの生徒会警察の人たちも集まってくる。伊藤先輩を視線で追うけど、彼女も険しい顔をしたまま黙っているだけだった。

「なんで」

「被害者の右手を見ろ」

 田淵先輩はそれだけ言った。私は指示に従って、視線を倒れている彼の右手へ移す。手はきつく握りしめられていて、拳のあいだから細長いものが何本か飛び出している。私がそれを凝視していると、田淵先輩がしゃがんで一本引き抜いた。

「何かわかるか?」

「髪の毛、ですか?」

「そうだ。しかも金色のだ」

 田淵先輩がつまんだ髪の毛を私の顔の横へかざす。一本だけだとわかりにくいけど、私の髪と同じ色に見えた。長さも同じくらいだ。

 なんで?

「被害者がこれを握りしめていた意味が分かるか?」

「…………」

「おそらく被害者は抵抗するときに犯人の髪の毛を握りしめ、引き抜いた。慌てた犯人はそのことに気がつかず逃走。結果として決定的な証拠を現場に残すことになった」

「あっ、そんな、違う」

 頭がまとまらない。答えのない問いを詰問されているみたいに、脳内は真っ白だった。

 私は彼を殺してない。そんなことははっきりとわかっている。夢遊病でも多重人格でもないのだから当たり前だ。じゃあなんで? じゃあなんで彼が金髪を握りしめたまま死んでいるの?

「この学校に西洋人の、というより外国人の生徒はお前ひとりだ。被害者がこの髪の毛を掴む可能性があるとすれば、それはお前が犯人である場合だけだエマ・オールドマン」

「違う……」

 私は口をもごつかせるけど、言葉が続かない。自分でははっきりと、違うってわかっているのに、理解してもらうための理屈がさっぱり思いつかない。なんとか頭を振り絞って、自分を守るための言葉を紡ぎだす。

「その、もしかしたら……誰かがこっそり私の髪を集めて?」

「そうやって集めたにしては引き抜かれた量が多すぎる。第一、どうやって集めるんだ? こそこそお前のあとをつけていた奴に心当たりが?」

「偽物、なのかも」

「そうは見えんぞ。それになぁ、よく考えてみろ。お前の言葉が正しいなら、お前は忘れ物を取りにここに、たまたま来たんだ。もしかしたら誰かと一緒に帰っていて、アリバイが成立しているかもしれない。決まった予定があってアリバイが成立しないことが確実な奴ならともかく、そうじゃない奴にわざわざ苦労してまで罪を擦りつける理由がないだろ。不意に襲って絞め殺す。この殺し方なら被害者を襲ってさっさと逃げちまえば手がかりはゼロに等しい。小細工がいらないんだよ。被害者の手にある髪は偽造工作ではなく偶然残されたものと考える方が妥当だ」

「それは……」

 田淵先輩の主張は筋が通っているように聞こえた。私が犯人じゃなければ、信じていただろう。現場には絞殺に使った道具も落ちていない。ほかの人がいたことを示す何かがあるわけじゃない。手がかりは唯一、握りしめられた金髪だけ。もし何かのトリックだとすると、全く必要のない小細工だ。私が偶然この近くにいなければ意味をなさない。

「田淵くん、何か用なのかい?」

 ぐらぐらする思考が、教室に現れた人物によって中断された。ビバリーヒルズコップ、もといカーク先生だった。先生の言いようからして田淵先輩が呼び寄せたらしい。田淵先輩はカーク先生を向くと、重々しく頷いた。

「カーク先生。MCPのルール上、教師であるあなたに事件の詳細を教えるわけにはいきませんが、少し聞きたいことがあります。あなたはエマと同じ外国人でしたよね? つまり、日本国籍じゃないという意味で」

「あぁ。もう日本で暮らしている期間の方が長いけど、まだアメリカ国籍だよ。それがどうしたのかな?」

「もし外国人が日本で法を犯したら、それこそ殺人を起こしたらどうなりますか?」

 カーク先生は口を開いて、茫然と田淵先輩を見つめた。視線を私に移し、次いで床に倒れる遺体に。

「あぁ……もしかしてエマさんが?」

「違います!」

 私の声は悲鳴になっていた。それを無視して田淵先輩が続ける。

「可能性がかなり高いです。先生もこの前、鳥頭さんの話を聞いていましたよね? 投票で犯人と指名された人は、真実がどうあれ真犯人として扱われると。この事件では十中八九真犯人はオールドマンですが、ともあれ裁判後の処理は日本人だったいままでの三人と違ってくるでしょう。どうなるんですか?」

「そうだな……私も詳しくないが、たぶん国外追放ということになるだろう。いまの法律だと未成年も例外なく。エマさんはイギリス人だったよね? だからイギリスに返されることになるはずだ」

 カーク先生は腕を組みながら、思い出すように話す。私も、かつて両親が冗談まじりに話していたことを思い出していた。確か法律が変わったとかいうニュースを見て、エマも捕まったらイギリスに送られてしまうから気をつけろとか何とか。

 その話を聞いて私は、適当に笑って返事をしたんだと思う。そのときは自分には関係ないと思っていたのに。

「イギリスにですか。オールドマン、お前イギリスで暮らしたことは?」

 もう私が犯人であることを前提にして、田淵先輩が尋ねてきた。私は黙って首を横へ振る。それを見て、田淵先輩が伊藤先輩を顔を見合わせる。

「本来なら真犯人である可能性が濃厚な人物が限られるときは証拠隠滅を防ぐために監獄に、要はこっちで用意した部屋に入れて見張るんだがな。今回は決定的な証拠はもう回収したしこれ以上隠滅するものもないだろうから大目に見てやる。早く家に帰って親と今後を相談しろ」

 田淵先輩が手で合図を出して、生徒会警察の面々が教室から撤収を始める。伊藤先輩が慰めるように肩へ手を置いてきた。私はどこか、自分のことを別の視点から見下ろすような気分になって固まっていた。

 国外追放? 突然降って湧いた仰々しい言葉に頭がついていかない。私が日本から追い出される? イギリスへ? 国外どころか、県外へ出ることも稀だった十六年なのに。いきなり外国で暮らせと言われてもどうしていいかわからない。それに、このことをどうやって親に言えば? 私が問題なく学校に通っていると思っているのに。

 どうしたら。

 私は放置されていた椅子に崩れるように座り込んだ。足腰に力が入らなかった。

「おい、待てよ」

 そのときだった。低く唸るような声が響く。

 誰かはすぐわかった。

「寒月、ここ五階だぞ?」

「知ってるよ。自分の足で登ってきたからな」

 私は顔を上げる。教室の入り口に寒月先輩が這いつくばっていた。額に汗をかいていて細い髪が張りついている。息も荒い。スカートが乱れて脚は埃にまみれている。まさかここまで這ってきたのか。

 先輩の顔は険しい。いつもの不敵な笑みはなく、苦虫を噛み潰したように歪んだ表情。

 田淵先輩は寒月先輩を見て、ほかの生徒会警察に指示を飛ばした。命令を受けたメンツが外へ走っていく。寒月先輩は自力で椅子のひとつまで辿り着くと登って腰かけた。

「エマが? 殺人? ありえないな。こいつは四月の事件で親友を亡くしてるんだぞ。そんな奴が自分から加害者になるわけない」

「そうだな。オールドマンが殺人犯からほど遠いタイプなのは同意するよ。だが現場の証拠は彼女が犯人であることを示している。完璧な物的証拠だ」

「そうかな? じゃあ聞くが田淵ぃ。エマが犯人ならなぜ、エマが遺体を見つけたときアラームが鳴った? 犯人が死体を見たって理由でアラームが鳴るなら隠蔽工作は不可能だ。アラームは犯人以外の人間が遺体を発見したときに鳴るはずだろう」

 田淵先輩は表情を変えずに、ルールブックを取り出してページを繰る。慣れた手つきで目的のページを探り当てるとそれを私と寒月先輩に見せつけた。

「アラームの鳴るタイミングは明確に決まっているわけじゃない。あくまで運営が適切と判断した時点で鳴らしているものだ。そうしないと著しく犯人側に有利だったり、不利だったりするタイミングで鳴りかねないからな。今回は隠蔽工作を終えたエマが一旦現場を離れ、再び戻ってきたときに鳴ったと考えれば矛盾はない」

 寒月先輩は黙りこくって田淵先輩の話を聞いていた。反論も罵詈雑言もない。沈黙が続いて、ようやく重々しく口を開く。

「……私に一日くれ。それまで」

「オールドマンが容疑者だとアプリに書くな、だろ。この前と同じ展開だな。いいぞ。明日の朝まで待ってやる」

 田淵先輩はそれだけ言うと教室から出て行った。入れ替わりに、さっき外へ走り出した生徒が戻ってきていて、寒月先輩の車椅子を教室まで持ってきていた。寒月先輩はその車椅子を無視し、再び椅子から降りて床へと這う。

「先輩……」

「正直、きついな」

 先輩はただ、短く言った。

「お前が殺してないのはわかってる。だがなんでここにお前の髪があるのか見当がつかん。こっちへ来るあいだにアプリで生徒の情報を見直したが外国人も金髪に染めている奴もいなかった」

 先輩は被害者の手に握られている髪の毛を凝視する。死後硬直が始まりかけているのか、手を取って開こうとすると針金のように指が半端に曲がったままの状態になって制止した。髪の毛は五本の指のあいだにしっかりと収まっていて、あとから被害者に握らせたという様子はなかった。やろうと思えばできるだろうけど本数は多いし時間もかかりそうだ。田淵先輩の言う通り、必要のない小細工にそこまで時間をかけるとも思えない。これは被害者が抵抗した末に握りこんだものだと考えるべきだろう。

「被害者は、何で殺されたんだろうな」

「絞殺に使った道具ですか? そういえば、何なんでしょう」

 寒月先輩の視線は被害者の首へ集中する。絞殺の跡は青い痣になって生々しく残っていた。細い紐のようなものが二本束ねられたような状態。

「仮にこの殺人が偶発的、突発的なものだったとしたら犯人は手持ちの何かで首を絞める必要があったはずだ。だがそう都合よく紐状のものを携帯しているか?」

 いや、と寒月先輩は首を振った。いまはそんなことどうでもいいと呟き、髪の毛に再び集中する。明かりに透かし、引っ張り、撫で、振り回して検分する。何もわからないと悟ると髪を放り出して床を見つめ、何か手掛かりになるものが落ちていないか確かめる。私もそれに倣ったけれど、床には目立った傷一つなく、ただ砂と埃でざらざらしているだけだった。寒月先輩は床にも何もないとみると髪の毛に戻り、また床へ戻り、時折被害者の体を嘗め回すように確かめたりという行為を黙ったまま繰り返した。

 そうしていつの間にか夜になっていた。

「先輩」

「…………」

「もう、帰りましょうよ。八時過ぎてますし」

「…………」

「私は大丈夫ですから。先輩」

「…………」

「ご家族が心配するのでは」

「……心配くらいさせておけ」

「先輩っ」

「うるさい!」

 先輩は声を荒げてからすぐに、辛うじて聞こえる程度の声で「すまん」と言った。泣き出しそうな顔だった。自信満々に笑っていることの多い先輩のそんな顔を見るのは初めてで、私は胸が締め付けられるような感じを覚えた。不安と焦燥が二人の間をラリーして膨れ上がっていく。

「先輩、私はもう」

「勝手に諦めんな。私がまだ、諦めてないのに」

 先輩はまた視線を髪の毛から床へと移した。もうそれぞれを見ているわけではないのだろう。ただ考え事をする合間に惰性で動いているだけだ。

「エマ、お前は先に帰ってろ」

「……でも」

「私に付き合わなくていい。いてもしょうがないだろ」

 先輩はぶっきらぼうに言った。その通りだった。ただ先輩はまだ帰る気がないらしく、床から離れようとしなかった。

「先輩」

 私の呼びかけに、もう彼女は返事もしない。私はカバンを手に取り、教室を後にした。

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