4. A “closed” room murder case
被害者、芽山
アプリには無機質な情報しか記されない。けれど私の目の前に広がっている光景は、そういった文字情報で処理するにはあまりにも生々しかった。
赤崎高校第二事件の裁判からわずか数日。三度目の事件も起きてしまった。
芽山先輩の遺体は、男子トイレの奥で座った状態で放置されていた。椅子代わりに千海の化粧道具入れの上へ座り、脚をガムテープで巻きつけられるようにして箱へ固定されていた。その姿勢は、『あしたのジョー』のラストシーンみたいだなとその漫画を読んでもいないのに思った。
幸い、トイレの芳香剤が放つ作り物っぽいレモンの臭いのおかげで、トレーニングルームで嗅いだような死臭を鼻に感じることはなかった。
「これは……」
千海が一歩前に出て、遺体に近づく。その視線は芽山先輩の首の部分に向けられている。
その、その遺体には奇妙な点があった。
首が真っ青になっているのだ。本来ベージュであるべき肌の色が白くなっていることの比喩ではなくて、言葉の通り青くなっている。絵具で塗りつぶされたかのように青色だ。
「やっぱりだくそっ。限定品だぞこれ」
千海は苦々しい顔をして遺体のそば、箱の上に落ちていたものを拾い上げた。それは、口紅?
千海は口紅の蓋を開く。中からいびつに変形した青色が出てくる。そういう口紅もあるのか。口紅といえば赤色という印象があったから私は素直に感心してしまった。世界は広いなぁ。
いやそうじゃなくて。
「なんで口紅で、首を青く?」
「さぁな。人殺しの考えることなんてわからないよ」
千海はもう一度「くそっ」と吐き捨てるように言って口紅をもとの場所へ戻した。自分の化粧道具を死体の冒涜に使われたことが相当頭にきているらしく、紳士然としていた口調が荒っぽくなっている。
「中の様子はどう?」
トイレの入口から伊藤先輩の顔が飛び出す。私たちはとりあえずトイレの外へ移動することにした。廊下に出ると、栞は壁にもたれてしゃがみこんでしまっている。
「あの、あの死体は」
「間違いない。芽山先輩だ」
栞の質問に千海が答える。それを聞くと彼女はがっくりと肩を落として俯く。唇が小刻みに震えて血色が悪かった。伊藤先輩は栞の背中をさするように寄り添って私たちに視線を向ける。
「……ところで君は?」
伊藤先輩が話しかけたのは私でも千海でもなく、トイレにいた見知らぬ男子生徒だった。そういえばさっきから一言も口をきいていない。
「二年七組の手芸部員、
志島先輩は重々しく口を開く。スポーティーにまとめられた短髪に化粧っ気のない顔は、ポニテやら丸眼鏡やらとやたら個性的な手芸部男子の印象からは程遠い。伊藤先輩は彼の自己紹介を聞くとすぐさまスマホを取り出してその名前を打ち込み始める。
「確かにその通りね。すると第一発見者はあなたと栞さんかしら?」
「はい。僕がトイレに入ったときにはもう」
「時間はわかる?」
「いえ、気にしてなかったので。でも僕が入って少ししたくらいでアラームが鳴りましたから」
「なるほど」
伊藤先輩はブレザーから取り出した手帳に素早くメモをしていく。もう既に生徒会警察の仕事が始まっているようだ。そのてきぱきとしてそつのない仕事ぶりは田淵先輩とは大違いに見える。
ところで、私には一つわからないことがあった。千海に近づいて小声で尋ねる。
「死体発見アラートって何?」
「死体が見つかったことを知らせるものだよ。ほら、事件が起こったことを知らないと捜査もできないだろ? 死体が犯人の手を離れてからしばらく経つか、他の人に発見されると鳴ることになってるんだよ。今回の事件は栞さんと志島先輩が見つけたから鳴ったんだろうね」
なるほど。それにしても不必要なまでに大きな音だった。私たちは学校にいたからまだしも、土曜日を家で過ごしている大半の生徒は飛び上がったんじゃないだろうか。
あるいは、事件が起きたときに学校にいなかったことに安堵するか。少なくとも死体を見る必要も容疑者として疑われる心配もないのだし。
「それで、栞さんはどういう経緯でここに?」
伊藤先輩は私たちが話している間に、栞をなだめて情報を聞き出そうとしていた。彼女は胸に手を当てて自分へ言い聞かせるようにして深呼吸し、ぽつぽつと語り始める。
「あの、私は採寸が終わって、ちょっと早いけどお昼にしようかという話になったんです。……それで学食に移動する途中、先輩がトイレに行くと言って、私はここで待っていました」
「トイレの前で待っていた時間はどれくらいかしら」
「だいたい、三十分くらいだったかと」
いや、その長い待ち時間の途中でおかしいことに気づいてよ栞。まあでも、大きい方なら決してありえなくはない時間かな?
伊藤先輩は「三十分くらいね」と繰り返してメモに記していく。
「それで途中で、志島くんが来た?」
「はい。その人がトイレの中に入ってすぐくらいに呻き声のようなものが聞こえて、躊躇ったんですけど様子が変だったのでちらっと覗いたら……あんなことに」
栞は死体を見たときのことを思い出してしまったのか、手で口を押えて苦しそうに顔を歪ませる。
「栞さん。志島くんが来る前に誰かトイレに出入りした?」
「いえ、誰も」
「待って……じゃあ!」
栞のそばで座っていた伊藤先輩が素早く立ち上がった。彼女は素早く身をひるがえしてトイレの中へ入って行ってしまう。
「……先輩?」
「やっぱり。厄介なことに……密室だったわけね。犯人は消えてる」
伊藤先輩はすぐにトイレから出てきた。苦々しい顔をしている。
密室? それって、あの密室?
推理小説のタイトルによくなっている、あの密室?
「トイレにはもう誰もいないわ。掃除道具入れの中にもね。犯人はどこに行ったの?」
「この子がずっと入口に立っていたなら誰も出入りできないはずですよね。おかしいな……」
私はもう一度トイレの中へ入ってみる。確かに、トイレの四つある個室はどれも扉が開いていて誰も入っていない。さっき伊藤先輩が確認したらしい掃除道具入れの扉も開かれている。中にはモップやバケツが雑多に積まれているだけで隠れられそうな場所はなかった。というより、人が入るのも大変そうなほど狭い。
私はトイレを見渡す。天井で回る換気扇のほかに隙間らしいものは存在しない。隣の女子トイレと繋がっている個所も無いようだ。このトイレが外の空間と通じているのは二か所だけ。栞が前に立っていたという出入口と、芽山先輩の後ろで全開になっている窓。
窓は芽山先輩の胸から頭くらいの高さで開いている。すりガラスの引き戸。窓の外には住宅街が広がっている。遺体を避けて窓の下を覗き込むと、校舎裏のじめじめした地面が見えた。クッションになりそうな木や草は見当たらないし、何かを置いて動かしたような形跡もなさそうだった。
ただ、窓枠のあたりに青い筋のようなものが走っているのが目に入った。くすんだ銀色のサッシは、生徒が持ち回りで掃除当番を担当している割には綺麗にされていたけど、そこへ青色の線が一本だけ薄っすらと残っている。
どういうことだろう。
私は戻って、伊藤先輩にとりあえず「窓からも出れそうにないですね」とだけ報告した。伊藤先輩は眉間にしわを寄せて考え込む。
「どこへ逃げたんだろう、犯人は」
「先輩、もしかするともう犯人は学校の外に?」
「それはないわ。手は打ってあるから」
心配そうに言う千海に、先輩が答える。同時に、遠くから廊下を駆けてくるようなやかましい足音が響き渡る。その大柄な男子生徒にはやはり、見覚えがあった。
「田淵先輩」
「なんだまたお前か!」
またとはご挨拶だし、それはこっちのセリフだった。生徒会警察の田淵先輩が再登場だった。さっきまで方々を駆けずり回っていたのか息は荒く、元々崩して着ていた制服はさらに乱れている。彼は私への憎まれ口もそこそこに伊藤先輩の方を向く。
「学校は封鎖したぞ。アラートが鳴ってから学校の外へ出た人間はいない。学校にいる人間は全員体育館に集めた」
「ご苦労様、田淵。でももしかしたら、死体が発見される前に学校を出てるかもしれないわね」
「それも大丈夫だ。都合のいいことに正門の前で工事をしててくれたおかげで作業員が証言してくれたぞ。そこの金髪が通ってから誰も出入りしてないってな」
「私ですか?」
突然名前(じゃないけど)があがり、私は飛び上がって思わず自分の髪の毛を押さえる。予想もしていないところで自分の目立つ髪色が役に立った格好だ。少し複雑だけど。
「休みの日は裏門は施錠されているし、ほかに出入りできる場所はない。猿並みの身体能力があれば柵やフェンスを乗り越えられるだろうが、それは考えなくていいだろう」
「じゃあ容疑者はいまこの学校にいる人だけね。案外楽に片付きそう」
「いやそうとも限らないが……人が少ないから平日よりはましだな」
なるほど。田淵先輩の奮闘は容疑者を学校から逃がさないためだったのか。前回の事件では一切役に立った感じのしない生徒会警察だったけど、こうやって初動捜査を見ていると印象が変わってくる。私は秘かに、自分の中で抱いていた生徒会警察役立たず説を打ち消しておいた。
「密室か……」
伊藤先輩から事情を聞いていた田淵先輩は、それだけ呟くと腕を組んでうんうん唸った。その状態でしばらくすると、突然目を見開いて「わかった!」と大声をあげる。あまりに急だったので、立ち上がっていて栞が驚いてもう一度しゃがみこんでしまいそうになった。私と伊藤先輩が腕を伸ばして彼女を支える。
「何がわかったんですか?」
「この事件には三つの可能性、三つの容疑者がある!」
千海に聞かれると、田淵先輩は三本の指を立てた右手を高々と掲げた。全員の注目が先輩の指に集まる。先輩はその注目へ満足げに笑って続けた。
「だが三つのうち二つは重大な問題があり、つまり考えられる可能性は一つしかない。それをいまから説明しよう。一つの可能性は、犯人が月島千海であるというものだ」
田淵先輩の手が振り下ろされ、人差し指が千海へ突きつけられる。千海はあっけにとられたように口を開けると、自分を指さして「僕ですか?」と言った。田淵先輩が力強く頷く。
「被害者が縛りつけられていたのは月島の所有物である化粧道具入れだ。そばには口紅も。ここから考えられるのは、その所有者こそが真犯人であるという可能性だ」
「で、でもそれじゃ」
「そう!」
私が反論を口にする前に、田淵先輩が被せてきた。いや、私まだ何も言ってない。
「だがこれではあまりにも簡単すぎる。第一、自分のものだとはっきりわかるものをトリックに使うバカはどこにもいない。それでは自分が犯人だと名乗っているようなものだからだ」
おお。どうやら田淵先輩は、前回寒月先輩に言われたことをきちんと学習できているようだ。案外、やるんじゃないかこの人も。私は心の中で田淵先輩の株を上げつつ「二つ目の可能性は?」と聞いた。
「二つ目の可能性は志島果音が犯人である可能性だ」
田淵先輩の指が今度は志島先輩へと向く。志島先輩はある程度予想していたのか、驚いた様子は見せずに「どういう意味ですか?」とだけ尋ねる。
「証言を聞く限り、君は馬原の言う『トイレには誰も出入りしていない』の例外だ。第一発見者だから当然だが……ところで、早業殺人という言葉は知っているかな?」
「早業殺人?」
「あの……密室に入ってから素早く殺すという、あれですか?」
田淵先輩の質問に答えたのは栞だった。田淵先輩に視線を向けられると、栞は縮こまって「小説で、読んだことが」といまにも消えそうな声で言った。
「そうだ。その早業殺人。志島はそれをやってのけたんだ。実は彼がトイレに入った時点ではまだ芽山は生きていて、彼は素早く彼を殺害し遺体を馬原に見せることであたかも密室殺人が起こったかのように見せかけた」
「ちょっと待ってください、それは」
「そうだ!」
いや、だから私まだ何も言っていない。しかし田淵先輩は自信たっぷりに話し続ける。
「早業殺人にしてはあまりにも状況が複雑すぎる。志島がトイレに入ってから馬原が遺体を見るまでの短時間でここまでの細工はできない。故に志島が犯人であるという説もありえない」
先輩の言葉に、栞が同意するように頷いた。二人の遺体発見までのタイムラグが決して長くないことは間違いなさそうだ。
じゃあ、最後の可能性は?
「最後の可能性は、非常に言いにくいが」
田淵先輩は探偵らしくしているつもりなのか、肝心なところで焦らしを挟んでくる。だが伊藤先輩が即座に「早く言って」と辛辣に突き放したせいでその試みはあっさり終わった。
田淵先輩は伊藤先輩を恨みがましい目で見ると、渋々といった様子で口を開く。
「……最後の可能性は」
田淵先輩の手が動き、志島先輩の正反対を指す。
「馬原栞、お前が犯人だ」
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